ぼくは狼狽した

「狼狽した」という経験がここ数年ほとんどありません。

「解決しておいたほうがいいだろう」と思うような問題はちらほら起こりますが、瞬間的な感情は生じても、感情に振り回されるということがないので、淡々と物事を進めて終わらせてしまうという感じになっています。

もちろん以前からそうだったというわけではなく、アランが「考えているのではなく悩んでいるだけだ」と説き、ドラえもんが「悩んでなんかいないね、たんに甘ったれてるだけだ」と諭すというプロセスを経て今のような状態になったという感じで捉えていただければよいでしょう。

可能性のある最適な結果に着目すれば自ずと「できる行動」も限られてくるので、淡々とそれをこなしていけばいずれ何かしらに落ち着きますし、どのような出来事でもだいたい「10年後には笑い話になっている」というのが本当のところなので、悩むということがありません。

そんな中ですが、数ヶ月前狼狽したというよりもパニックになって飛び上がったということを経験しました。

部屋に現れた子ねずみ

部屋に現れた子ねずみ

ひとことで触れていましたが、現代において部屋にねずみが出るということはなかなか想定し難く、まさにドラえもんのように飛び上がってしまいました。

もちろんネズミが恐いというわけではないのですが、咄嗟の出来事で前頭前野ではなく扁桃体が反応したという感じになるでしょう。

我ながら熱した鉄板の上で踊るが如く飛び跳ね続けてしまいました。

そういうわけで、ドラえもんがねずみに出くわした時に見せる驚きの仕草もあながち単なる想像ではなく、実際にそういうふうに驚いている人がいたのだろうと思いました。

そのような形で、およそ想定外のものと出くわすと、考えるより先に飛び上がってしまうということが起こったりします。

そういえば養子のうさぎに誕生日プレゼントの葉束を渡した時(葉束 うさぎへのプレゼント)、「匂いは植物なのに動物のように動いている」ということで、「このパターンはDNAに刻まれていない」ということなのか、大好物の野菜がふんだんに盛られているにも関わらず、若干パニックを起こしていました。

そのように瞬間的にパニックになるようなことは今後も起こりうると思いますが、頭を抱えるということはなかなか起こり得ないと思います。

悩んで仕方のないことは悩むだけ気力が奪われるだけですし、何かしらの結果を求めるのならば直ぐに行動を起こせばいいだけですからね。

しかしながら若干「どうしようかなぁ」と思うことはたまにあります。それは我が事というよりも、目の前にいる人に「今言ったほうがいいのか、今は黙っていた方がいいのか」というような場面の時です。

答えることはできても答えることが最適ではない場合や「自分で見つけてこその達成感」を奪うのは野暮ったいというような時です。

といっても基本的には「雑事少なく」を選ぶことにしています。

なので、そんな迷いも一瞬で終わります。

Category:笑う月

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