2025年が終わります。12月生まれということで42歳になりました。数え年42歳厄年が終わります。
ということで、2025年の思い出についてでも触れていきましょう。
一人の男としての人生の最低を経て最高に
まず最初に本格的な厄払いについてでも触れておきます。
きっかけはたくさんありますが、一番は、自我レベルの精神をブラックジャック自己手術並にいじったことです。
本来いじくる必要はないのかもしれませんが「次のステージへ」ということを意図してか、本格的にいじってみました。
無意識というものは、意識しないから無意識ということになります。
ということで、それを無理やり引きずり出してきたという感じです。
端的には、ヒロイズムとまではいきませんが、僕の中にある「自己能力の確認欲しさ」による境界線不足が、身の回りの人たちを「道具主義」にしていたというような面が見え、それを破壊したというような感じです。
これは極めて単純です。
僕はたいてい何でも解決するので、周りの人たちは僕を「自分の能力不足で起きた問題の解決の道具にする」というようなことが起こるということです。
なので「お断りモード」を設定するだけで完了です。
この周りの問題が僕にやってくるという構造は、一種の「貧乏神」がやってくるということであり、ある程度蹴散らしても、またやってくるというような構造になっています。
なので、完璧な払いとしては、
「このままではあの人が地獄行きになる」
というシーンにおいて
「どうぞ、地獄に落ちてください」
という姿勢を保つということです。
それからというもの、能力を10倍使えるようになりました。
睡眠負債が残っているようですが、それが治るとさらに250%向上するということなので、最低の時期から比べると完治後は35倍になります。
つまり、最低な時期、僕は本来の能力の約3%しか使えていなかったということです。
思い出の多い一年に
その一方、今年は思い出が多い一年でもありました。
後半になるにつれ、どんどん面白くなっていきました。
(前半のことはあまり覚えていません)
一番の思い出は、6月に行った双ヶ丘です。
あと、マイ聖地巡りも面白かったですね。
あと最近は、どこに連れて行っても娘が
「楽しいね~!」ばかり言うので、まあよかったよかった、と思ったりします。
そういえば、娘の友達の家族ともたまに遊ぶようになったというのが、思い出が増えた要因の一つになると思います。
不思議な変化
この一年、特に半ばから後半に起こった不思議な変化は、
「ちょっと精神が怪しい人」「おそらく何かしらの発達障害がある人」にキレられるようになったことです。
(直近では、そのようなことは起こっていません)
おそらく、「ほぼ無制限受け入れモード」から「お断りモード」に変化しつつある過程でそうなったのでしょう。
そこから気づいたことは、ブラック企業などが成り立っているのは、結局「発達等々がちょっと怪しい人」が、共感性なく平気で叫び、周りがそれに合わせているからだけなのではないか、と思ったりしました。
とにかく専門家に委ねることに
それはさておき一番の変化は、「とにかく専門家に委ねることにしよう」というようなものです。
「おそらく、物理的、生理的に限界を超えている」ということで、よく医者にも行きました。
今年前半は、どこというわけではなく、全体的に「痛み」がありました。本当に体が痛いというような感じです。
慢性化して当たり前のようになっていましたが、おそらく本当にずっと炎症が起こっていたのだと思います。
よく眠くなるまで仕事をしていたことがありましたが、
最初に病院に行った時に、
「それは睡眠ではなく気絶です」
と言われた時に、
「ああ、そうか…」
と妙に納得したので、それが良かったのかもしれません。
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それではまた来年!
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