「贈り物」というものは、本来贈る人の善意のような気持ちが形になるようなものです。
気持ちを形にして示してみる、というのが贈り物であり、その手前には、相手に対する気持ちというものが必要なはずです。
その思いが形になり、物を媒介して思いが伝わる、それが贈り物のもつ本質的な意味であると言えるでしょう。
「贈る者の恥ずかしさ」ということで恥ずかしくなってしまう贈り物の代表例である「贈り物という名の自爆営業」についてでも触れていきましょう。
贈り物という名の自爆営業
それを「贈り物を買え」という脅迫のもと、大企業などでは従業員にカタログギフトのようなものを買わせようとします。直接的な搾取というものでは無いにしろ、間接的に「出世に響くぞ」的に脅し、従わせる苛斂誅求な仕組みです。
おそらく数千人規模の会社で、古くからあるような会社だと概ねどこでもそのような仕組みはあるでしょう。
そういうことに関連している会社の人は、生きていて恥ずかしくないのか疑問になります。
贈り物の販売元
で、贈り物の販売元ですが、たいていは上層部OBが退職後に行くような所だったり、同族の誰か名義の会社だったりというのが多いでしょう。
天下り先やオーナー一族が役員になっている会社が運営元となっており、季節ごとのカタログギフト的なものを営業商品だと称して従業員に買わせているという感じです。
給与から搾取
概ね大企業で、ある程度の役職の人や、業種に関連する省庁のお役人さんが退職後に数年勤めて退職金をもらうためのペーパーカンパニーだったり、同族企業が一族にさらにお金が入ってくるように従業員から「カタログ商品の販売」という名目で給与を搾取しているような構造になっています。
そうした企業が販売元となっている全然収益性のないギフト商品に対して「営業ノルマ」を課し、「給料の中から売買を通して上納金を納めさせる」というものです。
「営業成績」という脅迫
従業員側からすれば、「営業成績」をダシにベースアップの評価が下がるといった脅しを受けて買わされているという感じなので、まさに脅迫です。
という感じなので、そうした形で従業員からお金を巻き上げている人たちは、いわゆる自爆営業のようなことをさせてまで収益をあげようとしている姿を孫などにVTRで見てもらえばいいのです。
「おじいちゃんは、こうやって若い人からお金を吸い上げて、おまえにおもちゃを買ってあげてるんだ」
という姿をです。
「買えとは言っていない。売ってこいと言っているんだ」
と言っている姿をご子息の結婚式で流してみましょう。
自爆営業のレトルトカレー
聞いた話ですが、以前ある企業で自爆を迫られた人が、無理やり「カレーの6食セット」を買ったそうです。レトルトカレー6食が送料込みの1600円だったそうです。
そして、後日近所の大型酒屋に行くと、そのカレーは1食100円で売っていたそうです。
つまり6食で600円です。それを1600円で買わされたそうです。
もちろん奥さんに怒られたそうです。
さあこのような仕組みが何か世の中のためになっているでしょうか。
贈ることすら恥ずかしい
このような自爆営業での贈り物を贈ることなど、「贈ることすら恥ずかしい」という結果まで待っています。
このような自爆営業の仕組みを未だに放置しているような会社はロクな会社ではありません。
経営者ならこういったものを断固として切り捨てる覚悟がないと、株主に対しても背任行為です。
「モチベーションアップの飲み会」
などを交際費などで無理やりしなくてもいいですから、こういった自爆営業の仕組みを解体することです。
体育会系思想による抵抗
まあ体育会系思想があると「先輩には逆らえない」というような無駄な抵抗が来るのでしょう。
「世話になった先輩が退職金をもらうために再就職した先を潰すわけにはいかない」という圧力です。
そういった意味でも体育会系、儒教思想は害でしかありません。
僕は忌野清志郎も嫌いですが、それ以上に孔子が嫌いです。
孔子の思想が、「贈り物を贈り物でなくした原因」の一つになっているという彼の思想の本末転倒を呼び起こしているということです。
ということでミスター脳筋こと孔子は史上最悪の思想家です。孔子のことを聖人とか聖者と表現している人は気が狂れているとしか思えません。
まあ「社会」を主軸に置いたような思想家はどれもポンコツです。
贈る者の恥ずかしさ 曙光 464
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