肚の据わりとやる気について、そして集中力・やる気のルート選択でも触れていきましょう。極めて大まかに軽くだけ触れておきます。
大きく分けると肚(はら)の気と、「集中力・やる気のルート選択」についてです。それぞれ別々のことについて触れますが、前者は東洋的、後者は西洋的かもしれません。
肚(はら)の気
まず、肚(はら)の気について触れていきます。気と呼ぼうがプラーナと呼ぼうがそのあたりは何でも構いません。
まあいわゆる下丹田、臍下丹田であり、あえてまとめると第一・第二チャクラについてです。第一は会陰や尾骨、第二は小腸・仙骨らへんです。
これが弱るとやる気どころではありませんし、人にもナメられます。
今では最強レベルに戻っていますが、コロナ感染以降はしばらく不安定でした。
弱っている時期はですね、
挨拶して、無視されるんですよ。
で、少しばかり怒りが出て、それでまた弱ったりします。
なのでそういう悪循環を断つほうがいいですね。
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肚の気を復活させるのに最強なのは常にヴィパッサナー+時折非想非非想処です(コロナ感染後はしばらくそこまでいけませんでした)。復活どころか、最強に移動します(意味がわからない人は分かる必要はありません)。
一般的にはいわゆる大周天が一番早いですが、基本的には肛門を締めることです。クンバハカですね。
そしてその場所に意識を向けるというのでも徐々に回復します。
ただ、力を込めるのではありません。むしろ抜くほうが重要です。
いわゆるチャクラについては、本来はバランスが重要です。
しかしながら基本は「下」です。土台ですから。
肚がしっかりしてくると、嫌な奴が寄ってこなくなります。
その後、上の方を開いていけば良いという感じになります。
嫌なことがあった時、情報を外に流す
嫌な気、情報は、外に流すことができます。
基本的には気を感じられる、操作できることが前提となりますが、淀んだ場所、凝っている場所、こわばりを感じる場所を片手の労宮(手のひらの真ん中)でやさしく触れながら、反対の手を振ったりすると出ていきます。嫌な情報が集まっている部分が透明になるようなイメージを持ちながらが良いでしょう。
足の湧泉(これも足裏の真ん中より少し上くらい)から流すこともできます。
「よくわからない」という場合は、嫌な情報が流れるようにイメージして、足裏から大地に流すようなイメージで、ジャンプでもしてください。ジャンプでなくても、体を上下に揺らす程度でも構いません。
「イライラして物を投げる」「腹が立ったら地面を踏む」みたいな感じですね。あれはあれで理に適っています。
ただ、限界が来る前に意図的にすれば良いと思います。
という感じで、東洋的というか、よくわからない感じのことについても触れてみました。
怪しい方向にはいかないようにご注意ください。
集中力・やる気のルート選択
次に、西洋的な感じでいきます。ただこれはこれで概念に縛られそうな感じもするので、適当に捉えてください。ちなみに以下、厳密にノルアドレナリンの作用だとかドーパミンの作用だとかそうしたことにとらわれずに便宜上ノルアドレナリンルートやドーパミンルートと呼んでいる程度であると思っておいてください。
何かやることがあって、集中力を保たなければならない、気力・体力を維持しなければならない、生理的には血糖や血圧を維持しなければならない、というような感じの時、主にノルアドレナリンとドーパミンをどんな感じで出すかということが体の中で起こっています。
厳密にはドーパミンがノルアドレナリンになり、アドレナリンになる、コルチゾールが云々、セロトニンが云々等々詳しい説明が要るのかもしれませんが、そんなことは専門文献に任せておきます。
極めて簡単に表現すると、モチベーションを維持するのに、ノルアドレナリンに寄るか、ドーパミンに寄るかというルート選択があるわけです。これはどちらか一方というわけではなくバランスです。
ノルアドレナリンは「ファイト・オア・フライト」つまり闘争か逃げるかです。
ドーパミンは、快感につながっています。行動の先に「気持ちいい」があるから快く行動するというような感じです。
つまり、もっと単純に言うと、
ノルアドレナリンは、怒り・不安とその解消、
ドーパミンは欲とその充足です。
「どちらかを使って」というよりどちらかに偏る感じで、今のやる気・モチベーションを維持しようとするわけですね。
で、怒りや不安を一旦感じた後にそれを解消するより、欲に従って動いて、満たされて解消される方が、トータルでは幸せ感が違うという感じになっています。
「行動」を促すのは主にこのふたつです。
で、社会的に習い性となっているのがノルアドレナリンルートになっています。
単純に「脅して行動させよう」というやり方です。
で、最近では、安い心理学や自己啓発が蔓延したからかドーパミンルートも用いられています。
「褒めて動かそう」とか「夢を思い描かせよう」というようなものですね。
ただ、人にそれをコントロールされていると、人の都合に合わせるだけになります。
結局、成果は奪われますから、人にコントロールされてはいけません。
人に褒められて動いているようでは、人の褒めに依存します。
怒りと恐怖と不安であるノルアドレナリンルートよりはマシですが、結局「欲が満たされない」というような事が起こります。
なので、一番良いのは自己完結です。
簡単な自己完結ドーパミンルートへのシフト
で、「集中力・やる気のルート選択」の本題となりますが、世間一般では、ノルアドレナリンルートばかりを「教育」されてきました。
「このままではいい学校に行けないぞ」「老後の生活が危ないぞ」というようなものを含めて脅しだらけです。
それで、怒り・恐怖・不安をもたらすノルアドレナリンを出して、行動を促すということをしているわけです。
そういうことしていると、心身に良いはずがありません。
かといって、安いドーパミンルートは提案されても「多分そんなに楽しくないよ」という感じになってしまいます。
いいところ好みの異性に対するギンギンZくらいです。
ノルアドレナリンルートに偏りすぎると…
何かやりたいとか、ひとまずやらざるを得ないという時、たいていはノルアドレナリンルートの方を選んでしまいます。
結果、体も凝り固まります。
頭痛やコリは、集中力・やる気の維持の選択においてノルアドレナリンルートを選択しているからという場合もあるわけです。
「ノルアドレナリンやドーパミンを調整するセロトニンが~」という論調も正しいですが、その前に緊張を出さなければ良いという考え方もできます。
ちなみに血糖値が下がりすぎた時も血糖維持のためにアドレナリンが出ます(血糖維持にはいくつかのホルモンが関係していますが、アドレナリンも出ます。その他オレキシンも関係して結果不眠になることもあります。これはGIの調整で血糖値の乱高下を防げばいいだけです。アンチカロリー制限ダイエットでお願いします)。
自己完結ドーパミンルート
よく褒められるとドーパミンが出る等々が囁かれますが、自己完結したものでないと他人に依存します。
もちろんアルコール摂取でも出ます。あまりに出ない場合、ドーパミン不感症レベルである場合は、感度を高めるためにいろいろなルートを組み合わせてひとまずガンガン出してください(やる気の活性化)。
で、自分で自分の行動を促す際に、通常は「やらなければならない」とか「やらないと面倒なことになる」といったノルアドレナリンルートを選択しています。
怒り、恐怖、不安を作り出して、それを解消することをモチベーションにするというようなやり方です。緊張が生まれ不快です。さらに、解消しても0に戻るだけ。全体を通して幸福度は低くなってしまいます。
しかし「やった先に『気持ちいい』がある」ドーパミンルートにしようと思っても、思考ではなかなか変更できません。
そこで裏技を使います。
体の特定の場所の特定の感覚をドーパミンを紐づけます。
どこでもいいのですが、ひとまず左手の手首を右手で握るという感じにしましょう。
そのまま気持ちよかった体験を思い出します。
「ああ、明らかにドーパミンがガンガン出ていたな」という体験です。
この時可能な限り脱力・リラックスしている方が効果があります。むしろ緊張したままだとうまくいきません。
思い出して膨らませて、体感のみを感じます。
一つの体験のみならず、いろいろな体験を加えていきます。
それらの体験の体感を加えていきます。
「気持ちよかった体験」があまり思い出せないという場合は、妄想を加えていきましょう。
「最初は何をやっているんだ?」という程度ですが、やり続けていると徐々に増幅していきます。
そういう準備をしておきます。
で、いざ、「面倒だがやらざるを得ないか」というような状況の時に、目を閉じて、左手首をひとまず握ります。
今目の前にあるやらざるを得ないような行動とそれが終わった先にその体感を置きます。
目を開けて行動を開始してください。
おそらく最初は
「え?変化なしだけど?」
という程度です。
それは、まだ慣れていないからです。
ノルアドレナリンとドーパミンのルート選択において、仮にいつもは90:10くらいだったとしましょう(どちらかだけということはないのでこの比率にしておきます)。
それが89:11になってもまだ実感はありません。
左手首との体感の紐づけや強度、感覚の訓練が進むにつれ、どんどん比重が変わってきます。
自分のために使う「集中力・やる気」であるのならば、こうしたものもどんどん利用していってください。
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