これで1300記事目になります。ブログ創設から1300回目の投稿ということで「第1300回投稿記念」です。
前回の第1200回投稿記念は、2018年6月30日で、前回からの100記事は、4ヶ月半くらいかけて投稿したという感じです。最近は通常投稿をしていたので、軽いものもちらほらありつつ長文のものが目立つ感じになりました。
さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。
また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。
それではおなじみのアクセス解析から見るアクセス状況から投稿記念の回を進めていきましょう。
アクセス状況
よほど需要があるということなのか、意図せず宗教やそれに関連する哲学的な分野のページへのアクセスが凄まじく伸びたりしました。
前回の2018年6月30日から2018年10月19日までの間のユーザーさんの数は59442名ということでした。
前回は7か月弱で51812名、今回は4ヶ月半くらいで59442名ということなので、ユーザーさんの数は増加傾向にあるという感じになります。
エリア別は国内では東京、大阪、神奈川、愛知、埼玉、千葉、福岡、北海道、兵庫、京都という順でした。
また久しぶりに閲覧環境について調べてみましたが、モバイル 74.20%、デスクトップ 20.29%、タブレット 5.51%、という感じになっていました。モバイルとタブレットを合わせると全体の約8割という感じになっています。
やはり海外からのアクセスもちらほらあって、ぶっちぎりはアメリカとフランスです。
という感じなので、先日Google翻訳でサイトを英語表示してみたところ、経済系のものは比較的正確に翻訳されていたものの、哲学や仏教系のものの中で専門性の高い用語に関しては、翻訳がぐちゃぐちゃでした。
「色受想行識」が「Colored ideas」と変換されていたのを見た時は少し笑ってしまいました(せめて五蘊のパーリ語 pañca-kkhandhaあたりを当てるべきでしょう)。「そんな感じなら意味もわからないだろう」ということも思いましたが、英文で書く気はないので放置しています。
サイト内検索
次に毎度おなじみサイト内検索です。まずは数が多かったものからご紹介しましょう。
- 復縁
- 自信
- 恐怖
- 集中
- Z会
- 未来
- 洗脳
- 営業
- 反省
- 真理
- 面接
- 転職
- うつ
- 開眼
- 錯覚
と言った感じでした。まあそうした事柄についてもまた何か書く機会があるかもしれないという感じでユーザーさんのリクエストだと思っておきます。
次に面白かったものピックアップしておきます。
- ア○ル
- オ○ニー
- オ○禁
- ブス
- 連射
- 子宮系
- コミュ障
- クチャラー
- 牛丼
すごく俗っぽい感じがします。
また新興宗教等宗教団体名やその教祖の名前などもちらほらありました。あまり名指しで語るということはしませんのであしからずご了承ください。
その他、森田療法や認知行動療法など心理療法に関するマニアックなワードもちらほらありました。
さて、投稿記念の回なので毎度のことながらいつもと違った感じで書いていきます。
なるべくたくさんの一流に触れる
普段楽しみを含め特に何かを求めることはないのですが、人に話したりする時に例えやすいようにと「表現の材料」を得ることと、どうせなら一流の時間にしようということで、「なるべくたくさんの一流に触れる」ということにしています。
何をもって一流かということの定義をはっきりと示すことはできませんが、「ああこれはすごいなぁ」と思うものは、この世にまだまだたくさんあります。
そういえば小学五年生の時に観ていたドラマを二十歳過ぎくらいの時に再度観てみたら「…」となったことがありました。もちろん時代の変化という面もあると思いますが、やはりそれだけ自分自身の感性が発達したということになるのでしょう。
ということで、投稿記念の回なので、最近触れた一流のものの中で映画等々馴染みやすいものについて少しだけご紹介しておきます。
まあひとことでちらほら触れたりしていますが、僕が普段どのようなものに触れているのかという感じのことを少しご紹介しておきます。「テレビを見ない分、何を観ているのか?」ということの答えの一部にもなりそうな感じです。
スタンリー・キューブリック作品
たまに微妙なものもありますが、スタンリー・キューブリック作品はだいたいどれもすごく面白い作品です。すべての作品について観たわけではありませんが、最近観た「シャイニング」や「時計じかけのオレンジ」、「フルメタル・ジャケット」、「博士の異常な愛情」はそれぞれジャンル別の自分のお気に入りランキング1位を次々と塗り替えてしまいました。「博士の異常な愛情」は、観た後に制作背景を知ると「やられた感」が満載です。
素晴らしき哉、人生!
そして何より最も好きな映画ナンバーワンを塗り替えてしまったのがフランク・キャプラ作品の「素晴らしき哉、人生!」です。終戦直後1946年のアメリカ映画ですが、「もっと昔にその存在を知りたかった」という感じです。
「何度でも観たい」と言いたいところですが、逆に人生で一度だけ観るくらいでちょうどいいというくらいの素晴らしさです。おそらくこの映画を超えるものに出会うことはなかなか無いのではないでしょうか。まあもう一度観るとすれば、人生最後の映画鑑賞といった感じの時に観るということになりそうです。
あえて何気なしに軽い感じで観るのがいいですが、できれば一人で観たほうがいいかもしれません。
Xファイル
次にドラマになりますが、「久しぶりに観たい」と思って観だした「Xファイル」です。90年代の海外ドラマになりますが(今でも一応続編があるようです)、今観ても十分におもしろく純粋に楽しめます。鑑賞中の緊張具合も、一話あたりの時間もちょうどよいという感じで作りのクオリティの高さを感じてしまいます。ドラマとしては世界的な超一流と言ってもいいでしょう。
同じ時期に放送されていた日本のドラマを観ると「…」となったのに、こちらは今でも面白いと思ってしまいました。
思春期のものにもう一度触れてみたくなる
Xファイルもそうですが、ペルソナ2罪・罰やライブ・ア・ライブなど、自分が十代のときにプレイしたゲームを再びやってみるということもしてみました。
養子のうさぎが亡くなってからというもの、退行するかのように昔のものに触れてみたくなってしまうと言う感じです。
再プレイ時に攻略法を調べているうちに知ったのですが、ペルソナ2もライブ・ア・ライブもPSPやバーチャルコンソールに移植される形で近年再発売されたりしているそうです。その面白さの普遍性が社会的にも評価されているのかなぁと言う感じがしました。世代が離れた人たちとも共通の話題で話せることになるので、少し嬉しくも思います。
世界観やキャラクターの人格設定、そしてRPG内全般のストーリーの構築は、派手なグラフィックを描くよりも大変だと思っています。そういうわけで、なんだかんだでキャラ設定に困ったらすぐに「三国志」とかそうしたものを引っ張ってくるということが起こったりします。そうした様を見ると、昔から「逃げたな」と思ってしまいます。
安心でいっぱいだった小学五年生
というようなことを思い出すと、小学五年生当時は非常に安心でいっぱいで、激ゆるだったことを思い返したりします。
どれくらい激ゆるだったかと言うと、当時起こった阪神淡路大震災の揺れにも全く起きず、不謹慎ながら夢の中で「夢と現実」がごっちゃになり「やった!ついに超サイヤ人になれた!」と思っていたくらいの羨ましさです。もちろん母に大声で起こされて現実に戻るわけですが、自分の中では体からオーラが迸り、髪も上に向かって逆立っているはずだと思いこんでいたという感じです。
また、この頃まで夜尿症も続いていました。自分の中では「自分と外界との境がない」という感じだったので安心しきっていたのでしょう。起きている時に服を着たまま無理におしっこをしたりすると、無意識の緊張が解けて寝しょんべんが止まらなくなるということも聞いたことがあるので、まさに緊張感のない子供だったという感じなのかもしれません。
さらに、稀に起こる程度ですが、当時僕は夢遊病こと睡眠時遊行症の気がありました。寝たままになりますが、何故か上は着たまま、下は脱いでという形で、風呂に浸かっているということがありました。
「トイレに行ったのだろう」と思いつつ、なかなか帰ってこないことに対して心配になった母が家の中を探すとトイレにもおらず、なぜか風呂場の湯船に浸かり爆睡している僕を発見するということがたまにありました。
超絶甘党教育
また、この頃は超絶甘党のおじいちゃんと共に超絶甘党ライフを送っていました。「フルーツポンチがどんなものなのかわからない」とおじいちゃんにいうと、「缶詰を買ってきてくれ」とお金を渡されました。
おつかいにいった僕は、白桃、黄桃、みかん、パイナップルといった缶詰類を購入し、4種の缶詰をシロップごとボウルの中に入れサイダーをまぶしまくって二人で食べたりしていました。
1.5Lのサイダーは使い切らずに大半を弟にあげたりしましたが、「おやつとして二人で缶詰4つ分をシロップごと食べつつ将棋を指す」という感じで過ごしたりしました。
なお、「甘党」とは酒を飲まずに甘いものを好む人という意味がありますが、確かにおじいちゃんは酒を飲まない人だったので、まさに甘党という感じでしょう。
僕はアルコールに強く昔はよく飲んでいましたが、今では気分も変わらず胃腸や肝臓に来るダメージの方が嫌なので酒を飲みません。ということで、完全に甘党という感じになってしまいました。
その後に受け継がれる伝統
小学生の時は何気なしに超絶甘党教育を受けていただけでしたが、中学生にもなるとそれが伝統として受け継がれるようになります。
ファイナルファンタジータクティクスが出た時、「朝までやり込みたい」と思った僕は、そのゲームに将棋的な要素があることに気づき、「そうか!」と思い、おじいちゃんを真似ることになりました。
「コーヒーカップに角砂糖を3つ × 一日10杯」という日課を持っていたおじいちゃんを思い出し、当時コーヒーが好きではなかった僕は、鍋に満タンの水を入れた上で紅茶のティーパックを10個入れ、それを炊き出した後に「料理で使う用の砂糖」をどぼどぼと入れて大量の激甘紅茶を作ることしました。
そして、鍋とお玉を自分の部屋に持ち込み、マグカップに移し替えながらファイナルファンタジータクティクスをやり込んだという感じです。
そうした伝統は今でも続いていて、日常の激甘コーヒーはもちろん、会議や経営者の集まりの際でも、周りの人がお茶ばかりの中、一人「爽快ビタミンとポカリスエットを持ち込む」ということをしています。
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それでは引き続きご愛読くださいませ。
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