憎悪のいろいろ

多くの人々は、疲れて弱気を感じるときはじめて憎悪する。ほかのとき彼らは公正であり、大目に見る。他の人々は、復讐の可能性があると見て取るときはじめて憎悪する。ほかのとき彼らはとりわけ私憤や公憤を一切避け、そんなきっかけがあるときには考えを逸らす。 曙光 362

しばらく下界(という表現にしておきましょう)にいたため、少し感覚が鈍り気味です。ということで軽めに書いていきます。

といっても、最近うちのおばあちゃんが末期がんで余命一週間と言われていたため、見舞いに行った際に、おばあちゃんの体に手をあてると、痛みが取れるほどに気は満ちています。

一応死の淵にいるおばあちゃんに説法をしながら、手をあてていると、みるみる元気になり、余命一週間と言われた日から一ヶ月以上生き続けています。余命宣告などあてになりません。

さて、「憎悪のいろいろ」ということで、憎悪の瞬間についてでも触れていきましょう。ひとまずは、今まで見た中で最も醜い女についてでも触れていきます。

今まで見た中で最も醜い女

人の醜い姿を見ると幾ばくかの憎悪の感情が一瞬沸き起こります。

詐欺師のように人を欺こうとする人、人を軽視する人、「人」しか大切にしない人、まあいろんなタイプの人がいます。

「太ももをちら見させれば、オスが食いついてくる」というタイプのアイドルが嫌いなのですが、それに輪をかけたような醜い女を数ヶ月前発見しました。

おそらく、気質としてもっと醜悪なタイプもいるとは思いますが、リアルに見た感覚として、その場の感情として、歴代最大級に「醜い」という印象があった女性です。

あるとき中華料理屋に行きました。昔からよく行っているところなのですが、満席近かったため座敷の方に通されました。

そして隣の席にその醜い女がいました。隣の席は、大勢の学生の群れのようでした。

その中にいたややデブめで、渡辺直美氏のようなメイクをした女性がいました。

私、女子女子!

それはそれでいいのですが、同席していた男子学生にプリンをねだっていました。

「私、女子女子!」とねだっていました。

そういう体質の人は男女問わず嫌いです。

で、それはそれで放っておいたのですが、何故かその人は立ち上がってスマートフォンを触り出しました。

口呼吸丸出しのまさに「愚か者」といったような口の開き具合です。

口を開いて腰をくねらせながら、スマートフォンをいじっていました。

「女子にプリンをおごってくれる人はかっこいいと思うけどぉ」

みたいなことを言っていました。

その瞬間です。

「ゴェ」

その「愚か者」は見事に中華料理臭がこもりきったゲップをしました。

人生最大級の嗚咽を催すほどの憎悪がやって来ました。

別にゲップがいけないわけではありません。

ただ、いままで見た中で、最も醜く映ったという印象だけは事実です。

憎悪のいろいろ 曙光 362

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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