寛大効果(寛容効果)は、他者を認知・評価する際に生じやすい歪み。他者の望ましい側面はより強調され、望ましくない側面は寛大に評価されやすい。結果として、他者に対する評価は、実際よりも好意的なものになる傾向がある。
寛大効果(寛容効果)の例として、最もわかりやすいのは「自分の家族を他人に紹介する時」だろう。
嫌悪を抱くような点がいくつもある「自分の両親」や「配偶者」を他人に紹介する時、普段の印象とは異なった評価をしたり、寛大に寛容に評価して紹介するということが起こる。
望ましくない側面を寛大・寛容に評価
例えば、家事をロクにしない配偶者であっても「しっかりやってくれていて感謝していますよ」などと言ってみたりする。
また、「この人はすごい人だ」と肩書などで判断すると、その先入観からその人の望ましくない点はあまり見えなくなり、また、見えてもそれをそれほど悪く評価することはない、ということも起こります。体育会系にありがちである。無条件に「上司だからすごい」「先輩だからすごい」という事になっており、普段の印象とは異なった形で「立派な人です」と紹介したりする。
これは寛大な自分は「いい人だ」と思いたいから起こる歪みであり、アイツによるフィルターである。また、「いい人だと思われたい」とか「人をけなすような人間とは思われたくない」というものも含まれているだろう。
ただ、相手の印象を自分が解釈するときに起こる効果なので、「いい人だと思われたい」というよりも「自分はいい人だと思いたい」がその主軸になっていると考えれられる。またもう一方、体育会系的に「目上」思想があるとこの認識の歪みが生じる。
寛大効果による歪んだ認識
この寛大効果による歪んだ認識によって、「自分はブスである」が加速してしまう。実際に攻撃されることへの恐れも含まれているが、本当に他人の方が美しいと評価している。その人は本当にそう感じてしまうのだから説得しようにも困った、という経験をお持ちの方もいるかとは思うが、これは全て評価を相対的に見ているからである。これは他者との比較によってしか、自分を認識できないと思っている歪みから起こる結果の一つである。
それがさらに、自分はブスなので、せめていい人だと思い込みたいという補いの思想が入るとこの寛大効果が実ることになる。簡単なことである。ブス以外にも頭が悪い、稼ぎが悪い、など、自尊心の対象となるものは全て該当する。しかし、自尊心は虚像であり、そんなものは無くてもいいものである。
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