アフォリズム 1021-1030
- 1021.疲れがもたらす濁り
- 1022.評価対象としての知能
- 1023.あえて書くこと
- 1024.花束がもたらす幸せの時間
- 1025.弱気と正当化
- 1026.他人の責任で自己実現を意図すること
- 1027.女の人生設計
- 1028.家族法
- 1029.安易な事件性
- 1030.先に安らぐこと
1021.疲れがもたらす濁り
疲れていると、同じことをしていても幸せの感度が鈍る。
視界が濁るように、穏やかな感覚も鈍る。
1022.評価対象としての知能
知能が評価対象になることがあるが、よくよく考えるとそれは他人がその人を判断する時に都合がいいかどうかという点が中心となっている。そして、周りの人がやたらとそれを評価対象にするので、自分が緊張しないために、― 不安を感じないために知能を高めたいと思ったりしてしまうことがある。
しかしながら完全な心の安らぎというものと知能は関係がない。そして、世にいう一般的な幸福とも知能は関係していない。
ある分野、領域においては知能が求められることがある。何かをやろうという時、知能が追いついていないとそれを行うことができない、うまくやりこなすことができないという場合がある。
ただ、それはそれだけ。そのことと幸福は直接には関係していない。
1023.あえて書くこと
普段頭の中にあることをどんどんと紙に書き出すと、頭で考えているだけの時とは違う感覚か訪れる。
妄想を書き出してみると、下半身が反応するかもしれない。
ただ、執著は薄れていくだろう。
1024.花束がもたらす幸せの時間
何の記念日でもない日に花束を買いに行こうと思った時、その瞬間に幸せになる。そして買いに行くときも、買っている時も、持って帰る時にも幸せになる。
渡すまでの間少し隠しておく時間も、渡した瞬間も、花瓶を用意する間に聞こえる鼻歌も、穏やかな幸福をもたらす。
花が終わる時、ほんの一輪だけ切り取られ、ドライフラワーにされるべく用意されていると、その過程すらわずかばかり効用が持続する。
1025.弱気と正当化
これが正しいなどと意見を合わせつつも、たいていは弱気な部分を致し方ないこととして正当化しているだけじゃないか。
正しさがあったとしても、その弱気の方を何とかしなさいよ。
1026.他人の責任で自己実現を意図すること
自己実現を意図することは構わないが、他人の責任でというのがいただけない。
世間的には「厚かましい」がその理由であり、本質的には、結局選ぶのは自分だということがその理由である。
1027.女の人生設計
そう意図する構造自体は理解できるが、なぜ女の人生設計にこちらが合わせなければならないかね?
そんなことをするから結婚が墓場になるのだ。
といっても、墓場になることを回避すべく相手に合わせないとしても、並の男の力量では、ただのわがままに成り下がるだけである。
さあどうする?男性諸君。
1028.家族法
家族法の意図するところは、「財産をどう扱うか」ということと、「子どもを守るため」ということがほとんどであることを忘れてはならない。
様々な意見があるだろうが、親の一方と名字が異なるということは、何より子が混乱する。結果、愛着の形成に影響を与えるだろう。これを回避するための同姓であると解釈している。
少なくとも、自分自身は己が自己同一性よりこの愛着の安定を選択する。
1029.安易な事件性
何かの賞を取っていようとも、文学作品等において死や性、残虐性などを安易に持ち込んでいるものは、浅く安っぽく見える。
1030.先に安らぐこと
思考や判断よりも先に安らぐこと、現象を捉えて安らぐのではなく先に安らぐことが、最も重要となる。
思考よりも行動よりも先に。
「あらゆる刺激を抑制する」という修行は、そのためのツールにしかすぎない。