ある出会いに際して

「出会いがない」ということをいう人がいますが、生きていればそんなことはありません。僕個人としては、できればあまり人と会いたくもないのに、毎年毎年出会いは増えるばかりです。

家に引きこもっている場合は、人と会いようもありませんが、インターネットがなかった時代ならまだしも、たいていゲーム上ででも誰かと会ったりはしているでしょう。

今では携帯電話の電話帳の中に、仕事関係と家族を除いては、10人も登録されていないほどに、人とのつながりなどそれほど必要がないということを実感しています。

仕事関係ですらも10人程度です。重要な人物とだけ親密になっていれば、それくらいの数で十分になります。

数多い名刺交換の機会

これだけ人を避けていながら、それでも集まる名刺は年間で数百枚、やはり人と会っていないようで会っているようです。

それでも、その中から結局今でも仕事関係でつながっているような人は10人位しかいないということです。

そうなると名刺交換をしても

「なんだったんだ?」

というような感じに思ってしまいます。

しかし何の憂いもありません。

たまに名刺交換した程度で、SNSで友達申請してくるような人がいますが、友達ではありません。そのような方の申請は全て拒否しています。

まだ名刺交換したならいいですが、見ず知らずなのに「関西圏で人脈を広げたく申請させていただきました」というような人もいますから困りモノです。

しかし問答無用で拒否するので、そうした友達申請が来たところで特段困っているわけではありません。

例えばその人と挨拶のようなことをして、それが何になるのでしょうか。

個別具体的な事業の相談に乗ってくれるわけでもなし、相手の事業の宣伝をされて終わりです。

どうせ人であれ物であれ、得れるのは情報とその場の感情くらいで、それが永続するものでもありません。

そうだとしたら無駄な付き合いなどしないほうがマシです。

一度だけ代打で行ったお見合いパーティ

数年前ですが、「数合わせのために」と、知り合いの社長に頼まれて、一度だけお見合いパーティのようなものに行ったことがあります。

何度も断ったのですが、「まあ一度くらいは様子を見てみるか」という興味本位で行きました。

A 時間の無駄

ただの時間の無駄でした。昔からあの手のコンパのようなものはあまり好きではありません。なぜなら会話がぎこちなくなるからです。

しかしなるべく時間をムダにしないようにということで、参加者の方の勤め先などの事業特性を聞き出したりしていました。

お見合いパーティや街コンというものも結構主流になってきているようですが、僕は個人は人に仲介してもらって誰かとお付き合いなどしたいと思ったことがありません。現に今までそういった経験はありません。

特に美意識というわけではないのですが、そういった始まり方は変な感じがしてしまいます。

まあ変な感じがするのですが、世間ではそうでもない人がいるのでしょう。

ある出会いに際して 曙光 465

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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