アフォリズム 1001-1010
- 1001.小刻みに出すこと
- 1002.言葉の利用の真意
- 1003.若き男の愚痴の真意
- 1004.細かな達成への評価
- 1005.親友ができる条件
- 1006.学習の落ち着き
- 1007.家庭的幸福
- 1008.妻の異変
- 1009.証明の必要性
- 1010.固定観念の形成と反映
1001.小刻みに出すこと
いきなり大掛かりなことをしようとすると、足踏みしてしまうことがある。それならばひとまず小刻みに出して、ひたすら出し続けて、後でまとめ上げればいいじゃないか。
1002.言葉の利用の真意
明るい言葉を頻繁に出すことの真意は、見るの向きを明るい方に保つということである。
1003.若き男の愚痴の真意
「完璧を求められているが、それを達成しても『普通』を享受できるだけなので、やる気が出ない」というような若き男の論調の奥には、「もっと楽に簡単に女性を手に入れたい」というものがある。
1004.細かな達成への評価
「一気に気分を変えてくれ」という自我の騒ぎに翻弄されて、細かな達成への評価を低くしすぎると、徐々に変わる気分すらさらにゆっくりなものになってしまう。
1005.親友ができる条件
思い返してみると親友というものは、一緒になって何かに挑んだ友達ばかりである。大人を絡ませずに子供だけで何かに挑戦したり、理不尽な大人に反抗してみたりといった部分で、共に歩んだ友達だけが親友になるような気がする。
1006.学習の落ち着き
自然にうまくいっていたことに対して「もっとうまくいくように」と変に知識的な学習をしてしまうと、うまくいかなくなることがある。しかしその後、数段高い視点から、物事をこなせるようになる。
ただ、その間に「調べていけば答えはどこかに載っている」と考え、自分の頭で考えることを放棄すると、より一層うまくいかなくなるだろう。これは「頭で考えること」と言うよりも、「自分自身で決めること」を放棄するとロクなことにならないという点が中心となる。
1007.家庭的幸福
幼き日に愛妻家を意図した自分としては、いかに業績を残し、どれだけ多くの資産を作っていようとも、妻に逃げられ、他の女に満たしてもらおうとするような「家庭的幸福を成し遂げることを放棄した者」の幸福論は参考にならない。
1008.妻の異変
妻が不機嫌であるのも、肥満体質になったのも、家事を放棄してしまうのも、浪費してしまうのも、病に伏してしまうのも、例えば「たまに花束を買って帰る」というようなことをやらなかったツケだとは思わないのかい?
1009.証明の必要性
正しさを証明する必要はあるのだろうか?
その動機は何だろうか?
1010.固定観念の形成と反映
今保持する固定観念、そしてその観念の形成に関わったような環境や経験すらも、ある固定観念の反映であり、追々固定化を解除することを意図したようなものであるかもしれない、と思ったことはないかね?
ただ、発端を追いかけても仕方ないよ。