ロッサビアンコとタイなす

ロッサビアンコとタイなす

ナス科ナス属のナス(茄子、茄)の品種「ロッサビアンコ」と「タイなす」。

ロッサビアンコ

ロッサビアンコ(なす)

イタリア原産の「ロッサビアンコ」というナスです。

ヘタの所には少し棘があります。

ロッサビアンコはイタリアの伝統的な野菜としてヨーロッパでは有名なようです。形的には賀茂なすっぽいですね。色はご覧の通り紫のグラデーションです。

ロッサビアンコ2

ロッサビアンコ2

遠方の道の駅に行くと、地元では見られない野菜が売っているので結構面白かったりします。

タイなす

タイなす

タイなす

道の駅で購入したタイなすです。緑色の丸なすですね。タイなすというからには原産はタイ(Thai)だと思います。

タイなす2

タイなす2

紫と白の「不確実な」芸術 ロッサビアンコ

ロッサビアンコ(Rossa Bianco / Rosa Bianca)という名は、イタリア語で「赤(紫)と白」を意味します。その名の通り、鮮やかなラベンダー色とクリーミーな白が入り混じった表皮は、まるで印象派の絵画のように美しいものです。

しかし、この模様は決して均一ではありません。太陽の当たり具合、気温、そして個体差によって、一つとして同じ柄は生まれません。全体が紫に染まるものもあれば、白が勝るものもある。その不確実性こそが、工業製品にはない「生命のアート」としての価値を高めています。売り場に並ぶ不揃いな模様の中に、自然の気まぐれな筆致を見出すことができるでしょう。

「畑のフォアグラ」と呼ばれる理由

プロの料理人がこのナスを絶賛するのは、加熱した瞬間に起きる劇的な変化を知っているからです。生の時はスポンジのように固く締まっていますが、油を含ませて熱を加えると、果肉はねっとりとろけるようなクリーミーな食感へと変貌します。

その濃厚な口当たりから、欧米では「マッシュルームのような風味」、あるいは「畑のフォアグラ」と称されることもあります。日本のナスが「水分」を楽しむものだとすれば、ロッサビアンコは「油と果肉の乳化」を楽しむ食材です。オリーブオイルをたっぷりと吸わせてグリルし、塩だけで食べる。それだけで、ナスという野菜の概念が覆るほどの官能的な体験が待っています。

皮の厚さが守る「内なる純白」

日本の千両ナスなどに比べると、ロッサビアンコの皮は硬く、しっかりとしています。これを欠点と捉えるか、特徴と捉えるかで料理の質が変わります。

この厚い皮は、調理中に果肉が崩れるのを防ぐ「器(うつわ)」の役割を果たしています。中身がトロトロになっても、外側の皮が形を保ってくれるため、ナスのステーキや詰め物料理(リピエノ)には最適です。逆に、繊細な食感を求める場合は、縞目に皮を剥くなどの工夫が必要ですが、あえてその歯ごたえを残すことで、とろける中身とのコントラストを楽しむのがトスカーナ流の粋(いき)といえるでしょう。

美しき薔薇には「棘」がある

その優美な外見からは想像もつきませんが、栽培者にとってロッサビアンコは「痛みを伴う」野菜です。ヘタの部分には非常に鋭く硬い棘(とげ)が隠されています。

収穫の際、油断をして掴むと、手袋を貫通して指に刺さるほどの鋭さです。「美しい花には棘がある」と言いますが、この美味しい果実もまた、自らを安易に触らせまいとする拒絶の意思を持っています。その痛みを乗り越えた者だけが、この極上の味を厨房へと届けることができるのです。

アク抜き不要の純真さ
多くのナス料理において「アク抜き」は必須の工程とされていますが、ロッサビアンコに関しては、その常識を疑う必要があります。

この品種はアクが極めて少なく、果肉は驚くほど純白で、切ってもすぐには変色しません。水に晒すという行為は、ロッサビアンコの持つ繊細な風味や旨味を流出させてしまう野暮なことかもしれません。切ってすぐに調理する。そのスピード感こそが、この素材のポテンシャルを最大限に引き出す鍵となります。

フィレンツェの風を運ぶ

ロッサビアンコは、フィレンツェナス(トスカーナ地方の丸ナス)の一種とされています。ルネサンス発祥の地で愛されてきたこの野菜には、食を単なる栄養摂取ではなく、喜びとして享受するイタリア人の精神が宿っています。

日本の高温多湿な夏は、地中海生まれの彼らにとって過酷な環境ですが、それでも日本の土に根を張り、立派な実をつける姿には感動を覚えます。パスタの具材として、あるいはパルミジャーナ(重ね焼き)として。食卓に上がったその丸いフォルムには、遠いイタリアの風と、栽培者の情熱が詰まっています。

緑のゴルフボールが隠す野生「タイなす」

初めてタイなす(マクアプロ)を見た人は、それがナスであることに気づかないかもしれません。ゴルフボールほどの大きさ、硬質な光沢、そして鮮やかな緑と白のストライプ。それは野菜というより、熱帯雨林に転がる未知の果実のようです。

日本のナスが紫色の皮で紫外線から身を守るのに対し、タイなすは葉の緑色と同化することで身を守っているかのようです。手に持った時のずしりとした重みと硬さは、この植物が過酷な環境で生き抜くために獲得した、頑丈な鎧(よろい)であることを物語っています。

「生」で齧(かじ)るという衝撃

日本人にとって、ナスを生で食べるというのは少し勇気がいる行為です。しかし、本場タイの市場では、このマクアプロが生のまま、あるいは軽く塩をつけてスナックのように売られています。

一口かじると、カリッとした歯ごたえと共に、青リンゴのような爽やかな香りと、少しの渋みが口いっぱいに広がります。水分を含んだスポンジのような日本のナスとは全く異なる、野性的な食感です。この「カリカリ感」こそがタイなすの真骨頂であり、加熱至上主義の私たちの常識を軽やかに飛び越えていきます。サラダやディップ(ナムプリック)の付け合わせとして、そのフレッシュな苦味を楽しむのも、通な味わい方といえるでしょう。

カレーの中で崩れない「頑固さ」

グリーンカレーに欠かせない具材である理由、それは「煮崩れない」という一点に尽きます。ロッサビアンコが熱でとろける「融和」の野菜なら、タイなすは熱の中でも個を保つ「自立」の野菜です。

激しく煮立つココナッツミルクの海の中でも、その皮は破れることなく、果肉もグズグズになりません。噛んだ瞬間にプチッと弾ける皮の食感と、中から染み出すスパイシーなスープの対比。もし日本のナスで代用すれば、溶けてカレーの一部になってしまいますが、タイなすは最後まで具材としての主張を曲げません。この頑固さが、濃厚なカレーにリズムを与えているのです。

「種」を食べる野菜

日本のナス料理において、種が黒く成熟していることは「老化」と見なされ、敬遠されがちです。しかし、タイなすにおいては、その種こそが味わいの主役になります。

切断面に見えるびっしりと詰まった種。これを加熱すると、プチプチとした独特の食感が生まれます。まるでキャビアや無花果(イチジク)の種を食べているような、心地よいアクセントです。果肉の滑らかさではなく、種の粒状感をあえて楽しむ。野菜のどこに価値を見出すかという基準そのものが、国境を越えることで劇的に変化するのは面白い現象です。

苦味は熱帯のデトックス

タイなすには独特の苦味があります。この苦味成分には、体の熱を冷まし、消化を助ける働きがあると言われています。

一年中蒸し暑いタイにおいて、この苦味は単なる味覚の一部ではなく、体調を整えるための「薬」としての役割を担ってきました。甘く濃厚なココナッツミルクと、強烈な辛さの唐辛子、そしてタイなすの苦味。これらが三位一体となった時、味覚のバランスだけでなく、体内の陰陽バランスまでもが整うような気がします。良薬は口に苦しと言いますが、美味しいカレーの中に隠された苦味は、生きるための知恵そのものです。

日本の土に根付く逞しさ

栽培者としての視点で見ると、タイなすは非常に強健です。日本の真夏の酷暑さえも、彼らにとっては「故郷のような心地よさ」に過ぎません。

病気にも強く、次々と実をつけるその生命力は、繊細な手入れを必要とする日本のナスとは対照的です。ただし、収穫のタイミングを逃すと、皮が硬くなりすぎて食べられなくなってしまいます。種が硬化しすぎる一歩手前、緑色が最も鮮やかな瞬間にハサミを入れる。その見極めさえ誤らなければ、日本の庭先でも熱帯のエネルギーを存分に享受することができるでしょう。

ナス科

Category:植物

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ