カテゴリー別アーカイブ: 曙光(ニーチェ)

曙光(ニーチェ)

「この印において汝は勝つであろう。」

その他の点でヨーロッパがどれほど進んでいようとも、宗教的な事物については、ヨーロッパは古代のバラモンの素朴な囚われない心にまだ到達していない。 ― さしあたりわれわれは、インドで、思索者の民族の間で、すでに数千年以上前に思索の命令として実行されたものを、ヨーロッパが取り戻すように気をつけよう! 曙光 96 一部抜粋 ニーチェによる「曙光」一書の締めくくりは、インドにおけるバラモン、そしてブッダの記述が見られ、ヨーロッパにおける心に関する考え方自体への警鈴が示されています。 さて、「この印において汝は勝つであろう。」

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忘れるな!

われわれが高く上昇すればするだけ、飛ぶことの出来ない人々にとっては、一層われわれが小さく見える。 曙光 574 世間の人は客観的データによって人や物を相対的に判断しています。だからこそ広告物などにおいて、データや権威が役立つのです。 何の肩書も持たない人が、何かを話し出すよりも、大学教授という肩書を持った人が話すほうが耳を傾けられ、信憑性が高いという風に判断されるという感じです。 それはひとつの偏見であり、人を盲目にしてしまうものですが、膨大な量の情報が浴びせられる中、日常そうした枠組みを元に情報を取捨選択している

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遠くへの展望

よく定義されているように、他人のために、しかも他人のためにのみなされる行為だけが道徳的であるとすれば、道徳的な行為というものは存在しない! 曙光 148 序 人生設計やキャリアビジョンというような概念がありますが、そうしたものが語られていると知った時、なぜそうした狭い枠組みの中で夢を見させるのだろうというようなことを思いました。 以前、子供に将来の夢を聞くことは、ほとんどの場合その人の潜在可能性を潰すというようなことを書いたことがあります。 日々使い古される人々 現状知っている中の具体的にカテゴライズされたような対

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他人を通して

他人を通してちらちら光る以外には、見られることを全く望まない人間がいる。そしてこれには深い思慮がある。 曙光 421 他人を通して自らを高めようとすること、それほど醜いものはありません。 例えば、学校か何かで、一番の成績を取った人が「僕が、僕が、僕が、一番なんだ!僕が一番なんだ!僕ってすごいよね?みんな僕をもっと褒めてよ!」と連呼している人がいたとすれば、その姿は美しく見えるでしょうか? 「ひとりでやっておけ」 そんなことを思うのではないでしょうか? しかしそれと同じようなことをしている人は多くいます。 先の例ほど

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最終的な反駁としての歴史的反駁

昔、人々は、神が存在しないことを証明することを求めた。 曙光 95 序 西洋的な方法論は、論理的な証明をやたらとしたがりますが、最終的に行き着いたポイントをよくよく見渡してみると、世界各国の土着の伝承、民話に隠されたメタファーと同じだった、というようなことがよくあります。 アメリカなどの最新研究の成果としてよく騒がれているような、哲学的な分野や認知科学の分野の方法を見ても、「そんなことは数千年前から既に説かれている」というようなものが多くあります。ただ、その頃の説明は、隠喩的でわかりにくかったというだけで、「何をい

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不可能な階級

貧しく、楽しく、そして独立的!― これは一緒に可能である。貧しく、楽しく、そして奴隷!― これも可能である。― そして私は、工場奴隷制度の労働者たちにとってこれ以上よいことは言えない。 曙光 206 序 階級として有名なものはカーストです。そのカーストを紐解いてみれば、単にインド・ネパール地域に侵略してきたアーリア人が自分たちをバラモンとし、現地民をスードラとし、その混血をクシャトリヤやバイシャとしたのが始まりだとされています。 人とすらみなされないバリアという階級に関しては、おそらくそのエリアの国を構成する庶民と

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不機嫌な人々の治療法

すでにパウロは、罪に対する神の深い不機嫌が取り消されるためには犠牲が必要である、という考えであった。それ以来キリスト教徒たちは、自分自身に対するその不快を、ある犠牲にむけて洩らすことをやめなかった。― それが「世界」であろうと「歴史」であろうと、「理性」であろうと、喜びであろうと、他の人々の安穏な平和であろうと― 何らかのよいものが彼らの罪のために死ななければならない(姿においてだけであっても)! 曙光 94 不機嫌な人々を見ると、その不機嫌をなんとかしてあげようと思ったりして、その不機嫌さに同調してしまうというこ

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脱皮する

脱皮することの出来ない蛇は破滅する。その意見を変えることが妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることを止める。 曙光 573 「脱皮する」ということで、人の成長について書いていきます。 十代の頃は、小学生から中学生、その先は人によりますが、高校生や大学生などになったり、働きだしたりと、その度に何となく違った世界が広がっていって成長しているような感じになります。 人間で言う脱皮という表現に当てはまるのが、世界の見え方です。 大きく成長というか脱皮する感覚になる時は、概ね自分の周りの環境が大幅に変化し

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生贄の狡猾

身を捧げたある人から欺かれようと思い、そうであってほしいとわれわれが望む通りの姿をわれわれに見せざるを得ないような機会を彼に与えるのは、悲しい狡猾というものである。 曙光 420 犯罪者や自殺者などは、現代における生贄のようなフシがあります。 ある人が見栄のため欲のためにしたことが誰かを傷つけ、その傷ついた誰かは怒りのためにまた誰かを傷つけ、そうしているうちにある人は理性の限界を超え、犯罪や自殺というようなことにたどり着くのだと思っています。 Mr.脳筋こと孔子は、倒れている人を見た時に「これは政治が悪いなぁ」とい

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「利他主義」の原因

人間は一般に、愛を少ししか手に入れたことがなく、この食物を飽きるほど食べることができなかったので、愛を極めて強調し、偶像化して語ってきた。 曙光 147 序 「愛を極めて強調し、偶像化して語ってきた」というのは、なかなか面白い表現です。 「愛」という表現に持っている人の印象は様々ですが、イエスが言ったような「神の愛」は、いつでも無限に降り注いでいるという感覚です。 愛が限定的でたまにしか現れないと思っているからこそ、たまに現れた愛のようなものに執着し、それが感じられない時は不足を感じて渇望する、ということになってい

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イスラエルの民族について

ヨーロッパのユダヤ人の運命の決定は、次の世紀がわれわれを招待してくれる演劇のひとつである。 曙光 205 序 一応イスラエルはユダヤ人の国です。で、エルサレムはユダヤ教徒区画とキリスト教徒とイスラム教徒区画があったりします。 日本国内ではキリスト教以外のアブラハム系の宗派について、ほとんど認識がありません。だからその共通点も相違点もあまりわからないまま、ニュースなどで雰囲気だけ伝えられ、感情的に嫌だと思っているというのが本当のところでしょう。 しかしながら、国際的な敵対などを考えたときでも、常に国家という単位ではな

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真理とは何か?

神がまさしく真理でないとしたら、そしてまさしくこのことが証明されたとしたら、どうだろう?神が人間の虚栄心であり、権力欲であり、短気であり、恐怖であり、喜びと驚きの妄想であるとしたら、どうだろう? 曙光 93 後半 「真理とは何か?」 といきなり胡散臭いカルトのようなタイトルですが、特別企画なので仕方ありません。 カルトもよく真理という言葉を使いますが、「教祖に財産をお布施しないと地獄に落ちる」等々、それは真理ではありません。 しかしながら、そんな変な宗教や宗教まがいの自己啓発セミナーなどにハマってしまう人たちがいま

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ダナエーと黄金の神

それとは反対の傾向の方を一層よく説明しそうな状況にありながら、現在人々を犯罪者たらしめるこの極端な焦燥感は、どこから来るのか?なにしろ、この人は不正な秤を使用する。あの人は、高額な保険をつけたあとで、自分の家に放火する。 曙光 204 序盤 曙光の注釈によるとダナエーは、ギリシア神話の中のアルゴスの王アクリシオスの娘ということのようです。 ということで、そのあたりについては知らないので、黄金の神的なところから始めていきましょう。 資本主義について「洗脳だ」というようなことをたまに言っていますが、おそらくほとんどの人

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われわれは人生に安心を望む

思索家のように、通常は思想と感情との大きな流れの中で生き、夜の夢すらもこの流れを下って行くのなら、われわれは人生に安心と静けさとを望んでいるのである。― 他の人々は、彼らが省察に身を任せるとき、まさに人生から離れて休息したいと思っているのに。 曙光 572 安心と安全こそが、人生の最大のテーマであったりします。 普通はそれを思考上で解決しようとしますが、思考上で考える安心や安全は、本当の意味での安心や安全を叶えてはくれません。 なぜでしょうか? 頭の中でいかに考えようが、体は別の反応をしているからです。 「○○だか

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隣人をもこえて

何だって?真に道徳的なものの本質は、われわれの行為が他人に及ぼす身近で最も直接的な結果を注目し、それに従って決心することにあるというのか?これは狭い小市民的な道徳であるにすぎない。 曙光 146 序 いちばん身近な「隣人」は、家族ということになりそうですが、世の中では家族がいない人もいるので、隣人とは常に接するような身近な人という感じになりましょうか。 僕は昔から実際の家族が一番大事だということを思ったことがありません。 それが何故だったのかはわかりませんが、あまり家族というものに執着自体が無かったのでしょう。 と

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党派の中の勇気

あわれな羊たちはその隊長に言う。「とにかく先に立って行ってくれ。そうすればわれわれは君について行く勇気を決して無くさないであろう。」あわれな隊長はしかし心の中で考える。「とにかく私の後をついて来てくれ。そうすれば私は諸君を導く勇気を決して無くさないであろう。」 曙光 419 「会社組織の中で」などなど、ある組織の内側にいる間は、その組織の内側で勇気を振り絞り、何とかその組織を変えようとしたりすることがあります。 概ね創立から時間の経った組織はどこでも内側は腐っていたりします。仮止めの仮止めが常識となり、傍から見れば

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魂の野戦薬局

一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。 曙光 571 一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。と、すごくシンプルでわかりやすいですね。 あれこれうじうじ言っていた人も、勝利のようなことが起こるとそれまでの陰鬱が全て吹き飛んで、周りを辟易させていたことなどすぐに忘れたりします。 借金体質の人の勝利、それはお金を借りれた瞬間です。 フラれた人の勝利、それは新しい出会いです。 就活難民の勝利、それは内定です。 そのような瞬間にそれまでの陰鬱が全て吹き飛びます。 しかしながらその程度と言っては何ですが、そのようなこと程度で陰鬱が吹き

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「利己的でない!」

あの人は空虚であって充実することを望んでいる。この人は満ちあふれていて空になることを望んでいる。― 双方とも、そのため彼らの役に立つ個人を求めるように駆り立てられている。そしてこの過程は最高の意味で理解されたとき、どちらの場合も、愛、という一語で呼ばれる。― 何だって?愛は利己的でないものであろうか? 曙光 145 利他精神を賞賛しようが、どこまでいっても利己的でありつつ、利己的であることを突き詰めると利他的にもたどり着く、というのが本当のところです。 世間で語られているような利己的や利他的はいわゆる二元論になって

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誠実な遊戯

多くの者は誠実である。― 感覚を佯ることが嫌いだからではなく、その佯りに信用を得させることがうまくゆかないであろうからである。要するに、彼は俳優としての自分の才能を信用しないで、誠実を、「誠実な遊戯」を好むのである。 曙光 418 「佯る」は「いつわる」と読みます。字義的には「偽る」と変わりありませんが、もしかすると何かのニュアンスの違いがあるのかもしれません。訳者の意図するところは知りませんが、一応「出会い」を無駄に「出逢い」と書きたがるような感じで使用されているのではないと思っておきます。 さて、誠実な遊戯です

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キリスト教の臨終の床で

真に活動的な人間は、現在内面的にキリスト教を持っていない。そして一層穏健で、一層観想的な、精神的には中流階級の人間は、整頓されたキリスト教、つまり驚くほど単純化されたキリスト教をかろうじて持つにすぎない。 曙光 92 序 確かニーチェは、本来のキリスト教徒らしいキリスト教徒はイエス・キリストだけであるというようなことをどこかで書いていました。 イエス・キリストを離れたキリスト教は、歪んで歪みつつ資本主義という形で現代にも残っています。ウェーバーのプロ倫なんかでプロテスタンティズムと資本主義の関連性が書かれています(

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悪い食事に反対

悪い食事に反対ということで、腹の健康などについて書いていこうと思います。 個人的には白米が大好きなのですが、どうしても白米の代替物として小麦製品を食べる機会が続くと腹の中にグリップがかかり、腹の具合がおかしくなります。 といいながら、素晴らしいことにこの数年間はほとんど腹痛にみまわれたことがありません。 人生で一番辛い瞬間は、腹痛の時だと今でも思っています。 ゆかたビフォーアフター(下痢促進着である浴衣と懺悔タイム) 第七日に(七日間続いた下痢) そのおかげとあってか、若いときから辛いような瞬間が訪れても腹痛との相

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損失

悲嘆を抑制し、ちょうど高く暗い糸杉の下のように沈黙して歩む崇高さを、魂に分かち与える損失が多々ある。 曙光 570 損失ということで、人生の無駄についてでも書いていきましょう。 世の中にはたくさんの無駄があります。結果的にそんな無駄な経験があとになって良い経験として解釈されることもありますが、特に大人になってからの無駄な経験は身を滅ぼすようなものがたくさんあります。 そしてそれが無駄だということを頭ではわかっていてもやめられないということもよく起こります。 その原因は無意識の中にあるプログラムのような法則性です。そ

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悲惨に耳をふさぐ

他の人たちの悲惨と苦しみのためにわれわれが陰鬱な気持ちになり、われわれ自身の空を雲で覆うのなら、だれが一体この陰鬱の結果を引き受けなければならないのか?まさしくやはり他の人たちである。 曙光 144 序 ある感情が起こった時、その感情を自らが受け入れぬまま人と会うことによって「感情から目をそらす」ということをよくやっている人がいます。 人の暗い話を聞くと、聞いた側までも暗くなってしまいます。ということは、いつも周りにグチグチ言っているような人は、一種の害ということになります。 人から暗い話をされたときに取る対応は、

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健康保護のために

犯罪者の生理学を考察し始めるや否や、犯罪者と精神病者の間には本質的な区別がない、という避けがたい洞察の前にすでに立つことになる。 曙光 202 序 思考によって生じた嫌な感情、抑圧されたエネルギーが吐出口を求める時、その人の気質が外向的であれば暴力的に、犯罪の方に走り、内向的であれば自傷行為に走る傾向にあります。 そう考えると、犯罪者も精神病患者も元のエネルギーの質としては同じようなものを抱えているという感じになります。 うつ病などにしても、それが一瞬で治ることがあるケースにおいては、一般にイメージされているような

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神の誠実

全知全能であり、しかも自分の意図がそれから想像されたものによって理解されることを配慮さえしない神、― それは慈悲の神であろうか?数かぎりのない懐疑と疑念を、人類の救済にとって危険なものでないものであるかのように、数千年も長いこと存続させる神、しかも真理をつかみそこねた場合には、再び最もおそろしい結果を約束する神が?真理を持っていて、人類が真理を求めて悲惨に苦しむ状態を観察しうるのは、残酷な神ではないのか?― しかしおそらくそれはやはり慈悲の神であるであろう。― 彼はただ自分をそれ以上にはっきりとは表現することができ

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