カテゴリー別アーカイブ: 曙光(ニーチェ)

曙光(ニーチェ)

健康保護のために

犯罪者の生理学を考察し始めるや否や、犯罪者と精神病者の間には本質的な区別がない、という避けがたい洞察の前にすでに立つことになる。 曙光 202 序 思考によって生じた嫌な感情、抑圧されたエネルギーが吐出口を求める時、その人の気質が外向的であれば暴力的に、犯罪の方に走り、内向的であれば自傷行為に走る傾向にあります。 そう考えると、犯罪者も精神病患者も元のエネルギーの質としては同じようなものを抱えているという感じになります。 うつ病などにしても、それが一瞬で治ることがあるケースにおいては、一般にイメージされているような

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神の誠実

全知全能であり、しかも自分の意図がそれから想像されたものによって理解されることを配慮さえしない神、― それは慈悲の神であろうか?数かぎりのない懐疑と疑念を、人類の救済にとって危険なものでないものであるかのように、数千年も長いこと存続させる神、しかも真理をつかみそこねた場合には、再び最もおそろしい結果を約束する神が?真理を持っていて、人類が真理を求めて悲惨に苦しむ状態を観察しうるのは、残酷な神ではないのか?― しかしおそらくそれはやはり慈悲の神であるであろう。― 彼はただ自分をそれ以上にはっきりとは表現することができ

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あらゆる謙遜の限界

不合理なるがゆえに私は信じると語り、その理性を犠牲に供するような謙遜は、おそらくすでに多くの者がなしとげたであろう。しかし私が知るかぎり、それからともかく一歩だけ離れていて、私が不合理なるがゆえに私は信じると語る、あの謙遜をなしとげた者はいない。 曙光 417 あらゆる謙遜の限界ということで、謙ることについてでも触れていきましょう。 慇懃無礼という言葉があるように必要以上の謙りは一種の皮肉となり、時に相手に対して失礼になったりします。 謙遜はマナーのひとつとして考えられていますが、己の深いところでの信念まで曲げてし

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最悪の敵はどこにいるか?

自分の仕事を立派に果たすことができ、そのことを意識している者は、その敵に対して大ていは和解的な気分を抱いている。しかし、別個の立派な仕事をもっていることを信じていながら、それを守ることに巧みでないということが分かると、― 自分の仕事の敵対者に対する怨恨の念にみちた和解できない憎しみが生まれる。― 各人はそれに応じて、自らの最悪の敵がどこで求められるかを見積もるがよい! 曙光 416 人類史上、最も優れた発明は「ゼロ」の発見であるということを言う人がいます。しかしながら一方で、その「ゼロ」は、数学的には偉大な発明であ

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貴族の将来

高貴な人々の挙動は、彼らの身体の中で、絶えず力の意識が魅力的な演劇を演じていることの表現である。そこで、貴族的な風習の人間は、男性であれ女性であれ、さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌いである。 曙光 201 序 先日の投稿「貧困に耐える」で触れた貧乏マインドの反対にあるのがこうした貴族的な風習です。 まあまた新約聖書マタイ6章的ですね。引用しておきましょう。 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っ

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孤独な人々に

われわれが他の人間の名誉を世間の目の前で大切にするのと同じように、独言を言うときにも大切にするのでないならば、われわれは行儀の悪い人間である。 曙光 569 孤独な人々と独り言、ということで、稀に誰に話すわけでもなく一人でブツブツ言っている人について書いていきましょう。 僕は昔から変な人が好きです。およそ誰からも相手にされていないような、世間で言う変人の人には積極的に声をかけていました。ということでおそらく僕も変人なのです。 仲間内で前日のスポーツ報道や今朝のニュースの話をしているような、いわゆる「普通の人っぽい人

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愛の治療法

相変わらず大ていの場合愛にはあの古い荒療治が効く。愛し返すことである。 曙光 415 愛の治療法ということで、冷めた男女の治療法についてでも書いていきましょう。 よく復縁がしたいとか、冷めた男女仲をなんとかしたいという人がいますが、もしそう思うなら、たったひとつのことだけに思いを馳せておくことです。 それは「今からどうありたいか」です。 そこに過去を持ち込んではいけません。 あの時はこうだったとか、この時はこうだったとか、そうした相手に対する認定があるはずです。 そしてその認定や記憶と現状とのギャップに苦しんでいる

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貧困に耐える

貴族の素姓の大きな美点は、その素姓が貧困をよりよく耐えさせることである。 曙光 200 貧困と貧乏マインドは相関関係どころか因果関係ですらあります。 寄付をすると金持ちになる、というようなことが囁かれる場合がありますが、問題はその行動ではなく、その行動時のマインドにあります。 その理屈は非常に簡単で、貧乏マインドなら「惜しい」と思い、「数限りあるお金が減っていく」ということや「その分を稼ぐにはまたあれほどの辛い思いをしなければならない」というようなことを思い浮かべるからです。 実際に寄付をするのかしないのかという行

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利己主義対利己主義

利己主義対利己主義と、これはまあ面白みのあるタイトルです。 社会の中で議論されているような題材のことは、概して利己主義対利己主義で、社会目線の議論の中で、より優れた理論を武器に結局他人を説得しようとしているものにしかすぎません。 もし、「何が正しいか?」ということに対して思索が動き出したなら、次のように考えることをおすすめしておきます。 「これは私にとって正しいのか?」 ということです。 何かの基準を元に行動を選択するということを常々しているはずですが、そうした基準を持つ際に「社会性」を徹底的に排除すべきなのです。

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詩人と鳥

不死鳥が詩人に、灼熱して炭になろうとする一巻を示した。「驚くな!」とそれは言った。「これは君の作品だ!それは時代精神を持たないし、いわんや時代に逆らう人々の精神などは持っていない。従ってそれは焼かなければならない。しかしこれはよい徴候である。多くの種類の曙光がある。」 曙光 568 ここで曙光という言葉が出てきましたね。 さて、詩人と鳥です。その両方に関連したことが思い浮かべばいいのですが、「Mrベーター」の「鳥よ鳥よ鳥たちよ。丹頂鶴はさ…」しか思い浮かばないので、ひとまず詩人について触れていきます。 国語の臨時教

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この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!

他人たちに対する愛着と配慮の衝動(「同情的好意」)が現在の二倍の強さになるとすれば、地上では全く耐えきれないであろう。日々刻々、各人が自分自身に対する愛着と配慮からどんなに数々の愚行を犯すか、またそのとき彼がいかに耐えがたいものとみられるかを、まあちょっと考慮するがよい。 曙光 143 前半 人に止められてでもやってしまうこと、それが良い方向に動けば偉業が成し遂げられ、悪い方向に向かえば我が身を滅ぼすことになりかねません。 やる気が続くか続かないかは、よほどの達人が脇につくかマインドコントロールを行うかというレベル

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共感

他人を理解するために、すなわち、彼の感情をわれわれの内面で模像するために、われわれは実際しばしば、彼のしかじかの一定の感情の起因を尋ねて、たとえば、なぜ彼は悲しんでいるのか?と問う。― そうすると同じ起因にもとづいて自分でも悲しくなる。しかしそれよりもはるかに普通であるのは、そうしないで、感情が他人において及ぼしたり示したりする結果に従って、その感情をわれわれの内に引き起こすことである。 曙光 142 「他人に共感する」ということがよく推奨されていますが、相手を理解することと同調することは別物です。 普通はある人と

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罪としての懐疑

キリスト教は円を完結するために全力を尽くした。そして懐疑はすでに罪であると告白した。人は理性なしで、奇蹟によって、信仰の中に投げこまれるべきであり、さてそれから信仰の中を、最も澄み切って明白な活動舞台にはいったように、泳ぐべきである。 曙光 89 前半 「懐疑はすでに罪である」という構造は、カルトを含め世界中の宗教によくありふれている構造です。 「疑うということは信仰心がない」 そういって、考えることをやめろ、という感じにもっていきます。 これは一方で正しく、一方で誤りです。 なぜなら、「疑い、考える」ということは

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自発的な盲人

ある人物または党派に対する、一種の熱狂的で極端な献身がある。これはわれわれがひそかにそれらに優越感をもつこと、われわれはそれらのために自分に不平を鳴らすことを示す。われわれの眼があまり見えすぎた罰として、われわれはいわば自発的な意志で自分を盲目にするのである。 今年の6月に僕は目が日に焼けて、いわゆる雪目になりました。そうこうしているうちに、なぜかその数ヶ月後、家族も雪目になりました。僕の雪目とは比較にならないほど重症でした。 眼科に運んでいったのですが、なんせ眩しいのが辛いということで、移動中ですら目隠しです。病

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われわれの方が高貴である

忠実と、寛容と、名声への羞恥心。この三つがひとつの心情に合一すると― われわれはそれを、貴族的、高貴、高潔と呼び、これによってギリシア人を凌ぐ。 曙光 199 序 「高貴」という字を見ると、どうしても10代の頃にオールディーズライブハウスで見かけた「軽快にステップを踏む髭のおっさん」を思い出してしまいます。 「こうしたものの嗜みもあるぞ」という感じで得意げです。高そうなスーツに口髭、「ステキですね」の一言を欲して仕方ないという感じでしょう。 そう言えばその頃くらいに、メディアが「セレブ」という言葉を浸透させようと躍

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戦場で

「われわれは物を、それが値する以上におもしろく考えなければならない。ことにわれわれは長いことそれを、それが値する以上にまじめに考えてきたのだから。」― 認識の勇敢な兵士たちはこう語る。 曙光 567 真面目なことはいいのですが、歴代の偉人とされるような人々をよくよく観察すると、本質に対して真面目であるだけで、社会的には不良だった人が数多くいます。 イエスに関しても、真面目という意味では当時主流だったファリサイ派に対しては異端ですし、先ほどのマルティン・ルターに関してもローマ・カトリック教会からすれば不良です。 シッ

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偉大な慈善家ルター

ルターが及ぼした影響の中で、最も意義があるものは、聖者たちに対し、キリスト教の観想的な生活全体に対して、彼が喚起した不信にある。それ以来はじめてヨーロッパで、非キリスト教的な観想的な生活への道がひらけ、世俗的な活動と世俗人に対する軽蔑が制限された。 曙光 88 序 ここで言うルターは、もちろんマルティン・ルター、1500年代に活躍したドイツの神学者です。世界史なんかでも習いますね。ローマ・カトリックからプロテスタントという宗教改革で有名な人物です。 クリスチャンはその宗派を問わず、時に思い切ったことをよくやります。

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公私の告発者

告発し審問するすべての人をよく観察せよ。― 彼はその際自分の性格を露呈する。しかも、その犯罪を彼が追跡している犠牲者の性格よりも劣った性格を露呈することが珍しくない。告発者は、ある犯罪あるいは犯人の相手方は必ず元来よい性格でなければならぬ、またはよいとみとめられなければならぬ、と少しも悪気なしに考えている。― そこで彼は勝手気ままである。すなわち、彼は意中を明らさまにするのである。 曙光 413 告発者という字を見て、確かひょっこりひょうたん島か何かのゲームで出てきた「告発者の日記」が頭から離れません。 ちなみに告

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倫理的な奇蹟

倫理学という科目がありますが、何だか哲学とごっちゃにされていたりしつつ、「誰々の〇〇という思想はどういうものか?」というお勉強の類に終わっているのが非常に残念だと思っています。大学の学部に関しても、海外では哲学部というものが結構あるそうですが、日本では文学部哲学科という省庁で言うところの庁くらいの位置付けになっているようです。 義務教育ではそうした哲学や倫理思想、そして道徳がごっちゃになっていて、ありえないほどの短絡的な道徳が教え込まれていたりします。 かなり前に「覚えやすい誕生日」で「母の日の一件」と言うものをお

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安価に生きる

最も安価で最も無邪気な生き方は、思索家の生き方である。なぜなら、単刀直入に言えば、彼は他の人々が軽視したり残したりする事物をこそ、最も多く必要とするからである―。 曙光 566 序 「安価に生きる」という感じを見ると、節制して生きるというような感じにも見えそうですが、思索のタネは日常の中にあり、人が消費して浮かれているところを冷静に見るというところなどからいくらでも楽しめるという特徴があります。 お金を貸す人借りる人で触れているとおり、浪費家は100円のものだからということで、安価なものを粗末に扱いますが、その裏で

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序列をその国民に与える

多くの偉大な内面的な経験を持ち、精神的な眼でそれを見つめ、見渡すこと― これが文化人たちを作り出す。彼らがその国民に序列を与えるのである。フランスとイタリアでは、貴族がこれを行なった。貴族がこれまで一般に精神の貧困者に属していた(おそらくもはや長いことではあるまいが)ドイツでは、司祭や、教師や、彼らの子孫がこれを行なった。 曙光 198 少し昔までの日本では、「わかりやすい普通」が作られていました。エコノミックアニマルと呼ばれたりして、愛社精神を持ち、ひとまずがむしゃらに働く人が賞賛されていました。 それはまさに資

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威厳と無知の同盟

そうだ、われわれの無知と、知識に対するわれわれの渇望の乏しさとは、威厳として、性格として、肩で風を切って歩くことを見事に心得ている。 曙光 565 文末 威厳を欲することはありませんが、社会の中で過ごす場合は、威厳がモノをいう時があります。それは蔓延する体育会系思想、儒教思想的なものの影響が大きいでしょう。 「威厳がある方が何かとやりやすい」 ということで、「オレがオレが」、「私が私が」、ということになっています。 権威性を基準としている人たちの間にあっては、権威性がモノをいいます。そして権威性がないと相手はなめて

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啓蒙主義に対するドイツ人の敵意

過去のものの完全な、また最も究極的な認識という外見のもとに、認識を一般に感情の下に押さえつけること、そして― 自分自身の課題をそのように規定したカントの言葉を借りていうと― 「知識にその限界を示すことによって、信仰に再び道をひらいた」ことは、決して少なからぬ一般的な危険であった、ということである。われわれは再び戸外の大気を呼吸しよう。この危険の時は過ぎ去った! 曙光 197 中腹 信仰やその道の代理人的な人の権威よりも理性を大事にして、ひとまず伝統を脇に置きながら徹底して頭を使って考えてみようとしつつも、結局行き詰

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経験のすぐそばで!

大人物たちもまた彼らの五本の指幅の経験を有するにすぎない。― そのすぐそばで彼らの熟慮は止む。そして彼らの無限の真空と彼らの愚鈍とが始まる。 曙光 564 「もう一度ゼロからやり始めたい」 稀にそんなことを思うことがあります。それは過去に遡って「やり直す」という意味ではなく、違う分野でもう一度初心者から這い上がるというような感覚を味わいたく思うという感じです。 そういうわけで先日から、全く畑違いのカテゴリを追加して書いてみようかなぁというような感じのことを思っています。が、殆どの分野の書籍は一通り読んだりしています

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肉体のキリスト教的な解釈者

とにかく胃や、内臓や、心臓の鼓動や、神経や、胆汁や、精液に原因を持つものが何であろうと― あのすべての不機嫌や、衰弱や、過度の刺戟や、われわれにとってはなはだ知られていない機械の偶然性の全体!― これらすべてを、パスカルのようなキリスト教徒は、そこにひそむのは、神か悪魔か、善か悪か、救済か地獄行きか、とたずねることによって、ひとつの道徳的、宗教的な現象と考えざるをえない! 曙光 86 前半 猫も杓子も健康食品の時代になってきました。そこで考えてみたいのが、幾分科学的でいかにも必要そうな栄養分とその吸収、そしてそれは

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