本来は、手書きで書くくらいのスピードで一文字ずつ言語化していったりすると、臓器としての脳にとってもちょうどよいとは思うのですが、どうもAIや世の中の情報の拡大によって、そうしたゆっくり感が無くなっています。
また、一方で、人によっては即レス文化に飲み込まれているという場合もあるでしょう。
「次の日に会った時に話す」というタイムラグ感が、コミュニケーションの適正なバランスを保っていたかもしれない中、そのスピード感や「寝かせる期間」がおかしくなって、余計ないざこざも生まれているのではないかと思いますし、それが臓器としての脳に過負荷を与えているような気もします。
今普通に手打ちでタイピングしていますが、もしこの内容を専門的かつ多角的に論文のように記述しようと思うとすぐに実施することはできます。
(ということで、作ってみました。頭に負荷がかかるので基本的には読まないでください。3分位で作りました。こういう分野はラボデータがたくさんあるので作りやすいです。
情報加速社会における言語化の高速化と常時接続が「臓器としての脳」に与える神経生理学的過負荷:書字運動の認知科学と対人コミュニケーションの時間的緩衝に関する精神医学的考察
なお、検索結果には出しません。まあ、「それってあなたの感想ですよね」という程度の反論をねじ伏せる程度の論証にはなっているとは思います)
しかしそれでは、個人的な「アウトプットの恩恵」を満たすことはできず、「アウトプットの不足による変な疲れ」が生じることになります。
「ひとつずつ丁寧に」
そういうことをメッセージとして出すような事業者さんも多いのですが、「ひとつずつ丁寧にやっていると埋もれる」という強迫観念要素がたくさん用意されているのが現代の環境です。
それでも、本当はひとつずつ丁寧にやるべきだとは思います。
しかしそれでは採算が合わない、埋もれてしまう、乗り遅れてしまう、ということが現実に起こっています。
そんな中、それでもひとつずつ丁寧にアウトプットしていくということは、まず自分自身への大きな恩恵があります。
本当は、茜色の夕日のような、それに対するものかわかりませんが、山内総一郎氏の「白」のような、それくらいのものを出したいのですが、そうしたものを出すには時間がかかります。
不器用さも、それが味になるような、そんなものを出したいですし、世の中にもたくさん出てきて欲しいのですが、それをノイズと遮断するような環境が増えています。
行き場を失った動物性が、そして人間性が、どのような歪みを生じさせるのかというところを少し危惧していますが、とりあえずは我が事として、アウトプットの不足を埋めていこうと思います。
