家族とは何だろう

家族とは何だろう?

それは、どの視点から定義するかによって千差万別です。

個人的な基本部分としては、

「家族?だから何だ?」

であり、育った環境で考えれば、家族を理由に面倒を押し付けられる、家族の誰かの能力不足を補わざるを得ない状況に追い込まれる、というのが大半であり、損得で考えれば「大損」というのが基本となっています。

そう言うふうには思いたくもないもない、という面もあります。

しかしながら、実際の姿は、そのような構造ばかりだったと思います。

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「一人ならば1000円でも、全員分なら4000円になる。一人なら3000円でも4人なら12000円になる。お父さんはすごい」

そんな計算が始まったのが、小学校中学年くらいの時でした。

外食時にそんなことを思いました。

そこを起点として、実父に限らず、世のお父さんに対して敬意を持ったりもしました(もちろん、そうではないようなロクでもない人もいるということも気づいていました)。

「そんなに負担して、割に合うのだろうか?」

そんなことも考えましたが、もし割に合わないにしても、実際にそれを実行しているということは、何という太っ腹なのだろう、ということを考えたりもしました。

当時、ニュースで最低賃金という概念を知り、「仮に最低賃金の仕事なら何時間働いた分になるのだろう?」というようなことから「すごい」と思ったわけです。

(その頃は、おじいちゃん(金融機関上がり)と毎日過ごしていたので、銭金の計算をすぐにする癖がついてしまった、という面もあります)

「世の経済の仕組みをあまり考えない家庭的視点」に焦点が合っている人は、そうした構造をなんとも思わない厚かましさがあります。

「世の経済の仕組みをあまり考えない」という面でいえば、公務員というのは視点がズレて当然です。商いの対極にありますから。なので、たいてい話が合いません。

足りなくなったら「もっと出せ」と言うだけの「厚かましい家庭的視点しか持たない人」と構造上類似します。

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まあそういう一般論がいいたかったわけではありません。

どちらかと言うとそれらは前置きです。

「家族とは何だろう?」

そういうことを感じざるを得ない状況に、ここ数年たくさん出くわしました。

今回は、妻側にフォーカスし、姻族との関係から見ていきます。

家に帰ってきて、ご飯が用意してあること

これは、妻と一緒に暮らし始めて2日目くらいのことですが、夕食を僕が用意して、妻が仕事から帰ってきた時のことです。

食卓で妻が固まっています。

「家に帰ってきて、ご飯が用意してある、というのは何年ぶりかしら」

うーん…

大したことはしていないのですが…

実を言うと、妻の母は妻が十代半ばの時に家出をしています。

それから、実質父子家庭で育っています。

ということで、「手作り料理が並んでいる」=十数年ぶりということで、妻は固まってしまった、ということになります。

当たり前といえば当たり前ですが、当たり前ではないというのが当たり前だった妻にとって、とても変な感覚だったのでしょう。

本能の赴くままということなのか?

さらに、妻の父、僕にとっての義父は、少し特殊です。

幼児期に母が出ていき、親戚中をたらい回しにされ、父(義父の父)の再婚後にしばらく経ってから、継母に育てられたという経緯があります。

実母とは30年ほど前に一度だけ会い、その後は会わず、ということのようでしたが、その「義父の実母」が、本能の赴くままにということなのか、ほぼ全く育ててもいない中に、最後に義父に縋ってきました。

義父としては、まったく母性的に拠り所のなかったところに登場した実母。

実は再婚しており、相手の連れ子などもいたようですが、なぜかみんなノータッチ。

遠方からわざわざ京都の施設に入り、義父(と、なぜか義母)がちらほら面倒を見るようになりました。

なお、軽い認知症であるため、「ステーキを食わせろ!」と叫んだりするようで、はっきりいえば、ただの厚かましい狂人です。

家出、育児放棄仲間ということなのか、ヒロイズム大好きの義母としては、弱っている人助けることが快感で、そちらによく行っていたようですが、孫へのお年玉は無しです。

症状が強くなってきたようで、別の施設探しが必要になりました。施設探しを押し付けられそうになりつつ、それをかわしたりしながら、僕は全くのノータッチを貫いていました。

義母は、「長年会えなかった人にでも献身的な良き奥さん」を演じるのが快感で、施設の人からの視線で自慰行為をしていたようなものです。

一応妻にとっては実の祖母。僕や妻や娘は何度か、この人に会うかどうかを打診されていましたが、結局会わずと言う感じです。

つい最近、このステーキBBAが亡くなりました。

「僕は行かなくて良い」という前提でしたが、妻はさすがに実の孫なので葬式に行くかもしれない、その場合、娘はどうするか、自分だけが行くくらいでもよいのでは?などいう相談を妻から受けていたのですが、

「焼き場直行やって」

ということで、葬式もありませんでした。

ステーキBBAさんは、一体何だったのでしょうか?

「人の尊厳」というものを判断などをする気もありませんが、少なくとも「僕」にとって、この人は何だったのでしょうか?

妻にとって何だったのでしょうか?

僕の娘にとって、何だったのでしょうか?

人とのつながり

そう考えると、家族というものは何なのでしょうか?

娘にとっては、ステーキBBAさんと血はつながっていますが、会ったこともありません。

妻ですら30数年前に一度だけしか会ったことがありません。

むしろ僕の娘にとって、義母などよりも、毎年数回は家にやってきて誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントをくれたりする「僕の親友」や「妻の親友」の方が、圧倒的に親戚感があります。

何だったら、娘が乳児期から、幼稚園に入るまでの間ちらほらご自宅にお世話になったりしていた「妻の昔の職場の上司さん」などの方が、親戚感があります。

妻の母が家出をした後、バイト先にいた人があまりに不憫だと、当時十代の妻に対して夕食を何度もごちそうしてくれたりしていました。

そうした方々のほうが、圧倒的に親戚感があります。

仮にあったとしても、ステーキBBAさんの葬式には行きませんが、「十代の妻に夕食を提供してくれていた、バイト先の方」なら行くと思います。

僕の基準はそんな感じです。

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「仮に損得で考えれば大損」

それを示すためにステーキBBAさんは、現れたのかもしれません。

まだそれまでの文脈の中で、良い時もあれば、悪い時もあった、というような歴史があればまだしも、何の関係もありません。

せめて、例えば義父が成人するまでの間、たまに仕送りをしていたとか、そういう背景があったのであれば、今は「ステーキを食わせろ!」と叫んでいたとしても…というような気になれます。

しかし、何もしていません。

どの面を下げて、今さら接近してきたのか、ということです。

「厚かましい」

というのが正直な感想ですが、妻の祖母に対してそんなことを思ってはいけない、というようなことを思う人もいるのかもしれません。

しかし僕は断言しておきます。

「厚かましい」

Category:miscellaneous notes 雑記

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