bossu のすべての投稿

生一本ゆえ間一髪

「人に話をする時はきちんと相手の目を見て話しなさい」 そんなことを幼少期から繰り返し言われていたので、僕はなんだかんだで人の目を見て話す癖がついています。ある時からなるべく眉間などを見るように心がけたりしましたが、今でもだいたいは目のあたりを見るようにしています。 そのような感じで人と接すると、大学生の人などは緊張してしまうのか体が震えたりするそうなので、それも考えものだということを思ったりしましたが、「目を見て話す」という事自体は癖なので仕方ありません。 しかしながら、なるべく相手の目を見るということをやり続けつ

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紙一重の皮算用

何事も詰めが甘い場合は、結果が芳しくないものになったりします。あと一歩のところで、詰めが甘いと時に台無しになることもありますし、そこまではいかなくても達成できたであろう結果よりも随分と低い結果になってしまう事があります。 かつての僕は結構その口でした。最初はうまくいき、結構なリードを保っているのですが、途中で詰まって結果的に平均的なものになってしまうという感じです。 おそらく無意識的にそうしてしまう傾向があったのでしょう。ある程度うまくいくと、うまく行きすぎないように調整が入るという感じなってしまう癖がありました。

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風見鶏の表看板

世の中では「いかに人の注目を集めるか?」ということ競い、その結果を渇望して「広告合戦」のようなことが繰り広げられています。 人々の日常の意識の向き先がマスメディア一極集中から、ウェブそしてアプリケーションへとどんどんと分散していきましたが、大体は人の注目を集めようとしすぎた故に疎がられ、その場所は過疎化し、また新たな場所に人々の意識は移るという流れが続いています。 古くはメルマガ登録、その後はSNSと矛先は異なりますが、結局「広告がしつこく、鬱陶しい」ということになって、人の意識を長期的に釘付けにすることはできなく

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銀の匙 中勘助

銀の匙の植物たち

中 勘助氏による「銀の匙」にはたくさんの植物が出てきます。昔は読み飛ばしていたようなそうした植物名が「今となっては引っ掛かる」ということで、ノート代わりに銀の匙に登場する植物たちを書き記して置こうと思います。 銀の匙を読む時、一応毎度毎度注釈を参照しながらという感じで読み進めていますが、そこには解説されていない植物もいくつかあります。植物そのものも登場したりしますが、「柄」や「色」加工物として名称が出てくるものもあります。 それらも含めて残しておいた後、また道端で発見したり植物園などで展示されていたりしたらそれらを

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大立者の十八番

「君子豹変す」なんてな言葉もありますが、社会においてもその人自身においても、時に大掛かりな舵切りをする時があります。 「じわじわ様子を見ながら」というやり方は一見リスクが無いように見えますが、「交差点で停止線からチョロチョロ進む車」のような危なさがあります。 そういえば交差点で思い出しましたが、以前信号待ちをしていたところ、後ろから「ガーシャカガーシャカガーシャカ」と聞こえてきました。 テンポ的にはテクノ的なやつです。 「ふう。爆音を垂れ流しながら走る車が来たか」と思っていたのですが、そんなことを思っていると隣に「

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絵空事で有頂天

すごく良い思い出でも最後の最後の状態がどうあるかによって、その思い出の解釈が変わってきたりします。また最後の状態はそれほど問題ではなくとも、時を経て異なる視点ができた時、寒気がしたりすることもあります。 その時の感情は一応本物ですが、その後それをどう捉えるかによって、その思い出の印象は変わってきます。 マルチネットワーク(MLM)はまさに絵に描いた餅で人をぬか喜びさせる天才と言えるでしょう。そして現実が進むに連れて、夢を見せられていただけだと気付くのです。その時、かつて一時的にでも感じた高揚感や充実感がすべて嫌な思

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嘘八百の内弁慶

唯物論的には、また、功利主義的には正しい理屈であっても、人の「心」を考慮しなかった理論は失敗に終わっていきます。合理性や数値の上での平等を叶えたとしても、それに携わるのが機械ではなく人である限り、人の心の動きや変化を無視することはできません。 むしろそうした人の心の本質を捉えることこそ、環境によって変化してしまう思考や意志の動きを捉えることこそが最も重要なことだったりします。 コスト的な合理性、組織としての統制のとりやすさを優先し、ヒエラルキーを形成して組織を作り上げていくと、その上位の階層には強力な権限がもたらさ

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一本槍に一辺倒

対象が学問であれ、政治主義であれという感じになりますが、ある一人の人物やひとつの主義にいつまでもしがみついているような人たちは「途中からはルーティンで、何も考えていないのではないか?」ということを思っています。 人にもよりますが、十代、二十代の時はだいたい何かに感染します。感染と表現すればよいのか憑依と表現すればいいのかはわかりませんが、何かに没頭し移入してしまうという感じです。 それは音楽だったり、何かの思想だったり、それらを含めて誰か特定の人物だったりしますが、そうしたモノが持つ情報の空間に感染し、その人物が憑

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一匹狼の一家言

ある時から何事も一人で考えたほうがより良い推論ができるということに気づきました。「それは独り善がりだ」とか「独善だ」などというような人もいますが、「そういう事を言うのならばせめて同レベルで『納得できるような理屈』を話してみればいいじゃないか」というようなことも思いました。なぜなら、独り善がりだ独善だ、などという言葉は苦し紛れの捨て台詞でしかないからです。 それほど厳密なものでなくとも、論証のような感じで、推論の、 ―思考の軌跡をたどりながら結論的に「ということで独善になるので、もう少し考え直す余地があるよ」などと言

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韋駄天が一目散

以前どこかで触れていましたが、僕は文化系ながら太ももが異常に太く63センチほどあります。高校生の時には体育会系の人たちを差し置いて立ち幅跳びなどで学年一位でした(でも走るのは速くありません)。ということで陸上部やラグビー部などからよくスカウトを受けましたが、文化系なので全てお断りしました。 「フォームをキレイにしたらもっと速く走れるぞ」 などと体育教師に言われたりもしましたが、別にその分野に関心もありませんでした。 体育は差別の塊 それは、速く走れることにそんなに魅力を感じていないという部分もありますが、それよりも

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依怙地になって居丈高に

大きな企業でありがちですが、あまりにくだらないような商品を無理に売ろうとすることが多々あります。 もう商品開発の時点からやり直したほうがいいと、誰しもが思っているような状態なのに「自分の案が間違いだったということを認めたくない」という人のエゴにつきあわされる形で売りに行かされるということもよくあります。 それは取り扱う商品という部分だけでなく、売り方というようなものを含め、何かしら仕事のやり方などについても同様です。 「自分が考え、企画した案が間違いだということを認めたくない」 というような意地のようなものに付き合

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天邪鬼が暗暗裏に

目の前の現象への解釈は無数にあります。しかし人が各々に持つ視点、重要度のバランスはバラバラなので、解釈の仕方も 千差万別の百人百様です。そして、実際に何かの行動を取ったり選択したりというときには基本的に一つしか選べないので他の人と食い違いが出てくる場合もよくあります。 変な人にもその人なりの考え方や視点があり、それはそれでいいのですが、まれに自分の意見に同意したり同調しないことに腹を立ててくる人もいます。 そして同調しないことに対して「捻くれている」などとレッテルを貼ってくるのです。 「捻くれている」とレッテルを貼

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青二才の値千金

何事も経験の少ない人は少ない人で凝り固まった考え方、物の捉え方がまだ無いので、純粋な眼で物事を捉えることができるという面があります。その一方でもちろん、経験が少ないゆえに「自分が何をやっているのか」ということや「何を理解し、何を理解していないのか」がはっきりしていない分だけリスクを持っています。 「リスクがある」ということはその先にリターンがある可能性がある場合になります。失敗した時の損失といった危険性を内在しながらも成功した時にはリターンがある、そのような場合がリスクであって、損失もなければ利益もないのであればそ

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特別企画 その7

久しぶりに特別企画を実施します。前回の特別企画はロングランでしたが、「特別企画 その7」はひねくれつつもサクッと終わりそうな感じのことを進めてみます。 三字熟語を2つ合わせてタイトルに いつ頃買ったものかは忘れましたが、高橋書店の「四字熟語辞典」に載っている「三字熟語」を無理やり2つ合わせてタイトルとして設定していくというものです。 本当は先にやりたいような特別企画もあったのですが、少しひねりが必要だなぁということで先にこちらを進めてみます。 梅雨時の晴れ間にふと思いついたわけですが、きっかけはおそらくロック魂的な

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凡人が天才のフリをする時に用いる統計・データに騙されてはいけない

僕はなんだかんだで統計・データの分析が得意な方です。でないと会社経営もあまりうまくいきませんし、トレードなんかで勝てるわけがありません。でもそうしたものは参考程度にしています。 データには精度というものもありますし、何某かの意図が組み込まれている場合もよくありますからね。そして何より市場も人の心理も環境も常に動いており、あくまで統計・データはある時点、ある状態の切り取りにしか過ぎず、結論も単なる「要請」くらいにしかすぎないからです。 データに騙されてしまう人はよくいます。しかしそれは、そんな人達をバカにした人たちが

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記号としての役割しか持たない人たちと社会的監視機能

洗脳やマインドコントロールについて触れたり、消費社会について思索を巡らしてみたり、面白い映画とあまり面白くない映画の違いを考えてみたり、「手塚治虫のブッダ」の原作と劇場版の違いに遺憾の念を持ったりという感じで過ごしていると、記号としての役割しか持たない人たち、「入れ替え可能なキャラクターとしての立ち位置」について思いが巡ってきました。 そのような感じで「記号としての役割しか持たない人たち」と「社会的監視機能」についてふと考えました。 たまにコンビニに行くのですが、そこでのレジ担当の人は本質的には違ったとしても組織か

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生命保険を担保にお金を借りる

生命保険会社からお金を借りる方法として、すでに契約している生命保険を担保にお金を借りるという方法があります。 これは契約者貸付制度というもので、既払い保険料で貯まった分(養老保険の満期における生存保険金の部分や終身保険なんかで貯まっている分)を担保として解約返戻金額(保険契約を解約した時に戻ってくるお金)を元にそれより少し少ない額を借りられるというものです。この契約者貸付制度は、もちろん保険契約をしている「契約者」が利用できる制度です。なお、保険会社、契約保険種類、契約からの期間に応じて変動しますが、貸付制度で借り

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広告による威厳の喪失

家にテレビもなければ、もちろん新聞もとっていないので、世間のニュースに関しては全く無頓着で無関心という感じで、普段あまり広告に触れることがありません。しかし、なんだかんだでネット上の様々なページに表示される広告なんかを見る機会があります。 その手の広告は、広告対象となる商品やサービスに比例するように品質が低いものも多くあり、そうした広告に顔写真などが利用されるということは、その人の威厳を喪失させてしまうのではないか、と思ったりします。 そうした広告自体が鬱陶しいですし、広告に込められているメッセージ自体が刷り込まれ

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鹿の王との約束

最近、見る夢の中でも白昼のふとした隙間においても、何故か宝ヶ池の鹿の王が出てきます。 僕が勝手に鹿の王と呼んでいるだけですが、もちろん宝ヶ池に実在する鹿です。その旨は一応「宝ヶ池の鹿」で少し触れていました。 サラブレッド並みとまではいきませんが、かなり大きな体に加え、すごく立派な角を持っています。普段宝ヶ池で見る鹿とは圧倒的に体格が違うという感じです。その風格からおそらく宝ヶ池公園付近一帯の鹿の王だと思っています。 彼との出会いもまた不思議なのですが、「宝ヶ池」で触れていた通報を行った時でした。 僕が宝ヶ池公園から

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味やロマンと駄菓子の機械

味やロマンと駄菓子の機械ということで、駄菓子メーカーの事業譲渡について触れつつ、味やロマンと汎用性についてでも書いていきます。 全国的に展開している企業もありながら、駄菓子メーカーは家族経営の零細企業が多く、事業主の高齢化の問題により消えていく可能性がある駄菓子がたくさんあるようです。 駄菓子を残そうと思っても、駄菓子は結構手作りで製造されていたり、オンリーワンの特殊な機械を使って製造されていたりと事業譲渡、承継のハードルが高いという面は否めません。 意外と包装は手作業ということもよくあるようで、労力に対する利益率

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尊厳・自尊心と承認欲求

尊厳・自尊心と承認欲求ということで、人の尊厳や自尊心と他者からの承認、そしてそうした承認を欲する承認欲求について紐解きながら、それらを根本から覆していきます。 「人は他人から自分の存在を確かめる」とでも言いたげに、社会においては尊厳や自尊心を当然のものとして扱い、他者からの承認をもって尊厳を保っているとでも言いたげです。 それこそが人の幸せを決めるものであり、承認欲求は当然に起こる欲求だとでも思っています。 しかしそんなものは必要ありません。 「承認欲求を満たす」とか「自尊心を満たす」という方向性でばかり様々なこと

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家族のバランスと退行現象

家族のバランスと退行現象ということで、家庭内での人間関係のバランスとバランスが崩れた時に起こる退行現象についてでも書いていきましょう。 少し前にはなりますが、自分が作成した心理学の「退行」について改めて確認していた時に、ふと幼少期から大人になるまでの間の我が家を振り返ることとなりました。 よく人格の歪みやそれを発端とする精神疾患は家庭に原因があるというか、家庭要因が大きいということで、それが文学作品や映画のテーマとなったりします。家族療法というものもあるくらいで、それくらいに家庭内の人間同士が相互に与える影響は大き

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生きることに不器用な人たち

生きることに不器用な人たちということで、不器用な生き方についてでも書いていこうと思います。 先に結論から言うと、最も不器用な人は「不器用であることに気付いていない人」です。だからこそ「自分は不器用だ」と気付いている人の方がチャンスが多いということになります。 そして自分が不器用だと気づいている人は、その不器用さを乗り越えた時に自分がたどったような道で迷っている人たちにアドバイスがしやすいという強みがあります。 そんな感じで生きることに不器用な人たちについて触れていきます。 不器用な人が後で開花する 勤め人の頃、前職

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自由意志を哲学と社会学的帰責から紐解く

自由意志はあるのか、もしくは自由意志はないのか、そんなことをいつまでも議論している人たちがたくさんいます。 何かと相容れなさそうな哲学と社会学の両側面から自由意志を考えていくとそうした自由意志論にそれほど意味がないことが朧気ながら分かってくるはずです。 どんなことでも、前提が間違っているとその先の論理の展開もおかしな方向に行きます。まあ自由意志についての混乱は、つまるところ無明から起こっているという感じになるでしょう。 これは、何も考えないまま雰囲気で「哲学に意味がない」とか、「自由意志があるのかないのかなどどうで

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植物と仲良くなった日

植物と仲良くなった日ということで、植物を育てることが絶望的に下手だった僕が植物と和解しうまく育てることができるようになった時の思い出について書いていきます。 内容が具体的だからか、そういえば何だかんだで植物カテゴリへのアクセスも結構あるのですが、それで何となく思い返すと僕は20歳位まで植物を育てることが抜群に下手でした。 小学生の頃は、家にインコのピーコちゃんを筆頭にたくさんのインコと接していたため鳥とは仲良しでした。傷ついた雀を保護したことがありますが、その雀ともすぐに友だちになれたため、結構長生きしました。普通

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