タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

理想主義的な理論は何を推測させるか

理想主義的な理論に最も確実に出会うのは、ためらわない実行者たちにおいてである。なぜなら、彼らはその理論の光彩を自分の評判のために必要とするからである。彼らは、その本能によってそれを摑み、その際全く偽善感を持たない。 曙光 328 前半 自己啓発洗脳組も、ブラック企業営業マンも、胡散臭いコンサルタントも、新興宗教と同じくわざわざ人を騙している自覚がない場合があります。 自分自身ですら自分自身の意識が作り上げた虚像に騙されています。 それが「なんでもできる自分」なのか、「成功者(笑)」なのか崇高そうに見える企業理念なの

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多分医者なしで生きる

病人は、医者にかかっているときには、自分で自分の健康に気をつけているときよりも軽率であるように私には思われる。前者の場合、一切の指令されたことに厳密に関係していれば十分である。後者の場合われわれは、あの指令が目指すものすなわちわれわれの健康を、医者から勧められてするよりも一層良心的に注目し、はるかに多くのものを注意し、はるかに多くのものを自分に命令し、禁止する。あらゆる規則は次のような効果を持つ。すなわち規則の背後の目的から注意を逸らさせ、一層軽率にさせることである。 曙光 322 前半 大きな会社にありがちですが

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天気について

天気が非常に異常であって、当てにならないと、人々もお互いに信用し合わなくなる。彼らはその上改革好きになる。なぜなら自分たちの習慣を脱しないわけにはゆかないからである。そのために専制君主は、天気が道徳的であるすべての地方を好む。 曙光 320 雨の日は営業に出ずに資料の整理などをした方がいい、と言われることがあります。それ程に天候によって人の気分などコロコロ変わってしまいます。晴れ晴れとした日には気分も爽やかになり、雨が降るときには少し感傷的になったり、少なからず実感があるようなことです。 コロコロ変わる天気 「コロ

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忘れっぽい人々

情熱が爆発するとき、夢や狂気で空想するとき、人間は自らと人類との前史を、すなわち、野蛮な歪んだ顔をもった動物性を再発見する。 曙光 312 序文 先日、自分より少し若い方とお話した時に、「メモをとることを忘れて商談がご破綻になった」というようなことを聞きました。それは体育会系同士のやりとりなので些か厳しすぎるだろう、ということも思いますが、「忘れるわりに対処もしない」という点をつかれたのかもしれません。 忘れること自体は良いことでも悪いことでもありませんが、意識の中で優先度が下がってくる、ということは実際にあること

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善良な人々

人付き合いはしてもいいですが、せめて善良な人とだけ付き合ったほうがいいでしょう。 世の中には、悪人だけでなく、首を傾げたくなるような「勘違い野郎」がたくさんいますから、人と付き合うとしてもそのような人と絡んではいけません。絡むとしてもその人で遊ぶ程度で十分です。 胡散臭いコンサルが偉いに人になりたくて、やたらとうんちくをたれてきても、その人で遊ぶくらいの感じにならなくてはなりません。 胡散臭いコンサルによるウンチク →「はい、コンサル料」 聞いた話ですが、新しく起業したての若手の方に、胡散臭いコンサルがウンチクをた

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道徳の空位時代

いつか道徳的な感情や判断と交代するであろうものを、だれが現在早くも記述することができようか!― それらは土台のすべての点で設計に誤りがあり、その建築物は改修不可能なことをわれわれは確実に洞察しているとはいえ、ともかく理性の拘束力が減少しない限り、それらの拘束力は日増しに減少するに違いない! 曙光 453 前半 理性で判断すると、たいてい行き詰まりになります。思考が行き詰まった時に、その理屈に「根拠なし」ということが、わかった時点で、自由や解放の方向に向かうきっかけになればいいのですが、どうもまた堂々巡りが始まるくら

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商売に精通していないのが高貴である

教師として、公務員として、芸術家として、その美点を最高の価格でだけ売りつけたり、その上にそれで高利貸しをしたりすることは、― 天賦の才や素質を小売商人の仕事にすることである。人はその知恵を何といっても小利巧に利用しようとしてはならない! 曙光 308 最近福祉関係の仕事をされている方とお話する機会がありました。福祉関係と言っても、運営は株式会社であり、どちらかというと福祉っぽくない方でした。 どういうことかというと、その方のお客さんは福祉関係者であり、その方は株式会社としてサービスを提供する側なのですが、意見の食い

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本田宗一郎と井深大展

本田宗一郎と井深大展

本田宗一郎氏と井深大氏、それぞれホンダ、ソニーの創立者であるこの両名は「尊敬する人」として、よく挙げられるお二方です。 「僕も尊敬しています」 ということが書きたくて、というわけではありませんが、僕が躍進するきっかけになったお二方です。 「なんだか楽しそう」 仕事に対する見方がほとんど180度変わってしまったきっかけであり、それは2004年の11月、いまから10年半くらい前の話です。 本田宗一郎と井深大展 夢と創造 「もの」づくり・町工場から世界へ 実は今でもデスクの横の書類棚にいつも潜ませています。 この頃まだ2

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感情の別な見通し

ギリシア人についてわれわれは何とたわいのない話をしていることだろう!彼らの芸術について、一体われわれは何が分かっているのだろう。その芸術の魂は― 男性の裸体美に対する情熱である!そこからはじめて彼らは女性の美を感じた。したがって彼らは女性美に対して、われわれとは全く別の見通しを持っていた。そして彼らの女性に対する愛も類似した関係にある。彼らは別様の尊敬をもち、別様の軽蔑を抱いていた。 曙光 170 女性に対しての感情はいくつかありますが、一種の軽蔑と怒りがありました。ひとつの軽蔑は醜さです。特に美魔女でしょう。なぜ

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人間通の気晴らし

彼は私を知っていると信じこみ、私とこれこれの交際をするから上品でえらいのだと自負している。私は彼を失望させないように気をつける。なぜなら、私は彼に意識的な優越感をあてがったのであるから。彼は私に好意を持っているのに、私はその償いをしなければならないことになるであろうから。 曙光 303 前半 人間通の気晴らしならぬ「ラーメン通の気晴らし」は、誰かをラーメン屋に連れて行って「バリカタ」などと注文し、「ここのはバリカタが一番うまいんだ」と言った具合に「通」であることを誰かに伝えることです。 消費者なのに専門家、専門家な

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英雄崇拝とその狂信者

彼は、自分とその同類が虐待されるのを我慢し、悲惨の全体を、新しい種類の自己欺瞞とお上品な嘘によって、神のさらに大きな栄光のためにさえなるように解釈するのである。彼は自己に敵対し、虐待される者として、その際殉教のようなものを感じる。― こうして彼はその自惚れの絶頂に至る。― この種の人間は、たとえばナポレオンの回りにいた。否、おそらくナポレオンこそ、「天才」と「英雄」に対する浪漫主義的な―啓蒙主義の精神から疎遠な―屈従を、われわれの世紀の魂に与えた人であったろう。 曙光 298 後半一部抜粋 「英雄崇拝とその狂信者」

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奉仕の如才なさ

奉仕という偉大な技術の中で、御(ぎょ)しがたい野心家に奉仕することは、もっとも如才ない任務のひとつである。なるほど彼は全体で一番ひどい利己主義者ではあるが、断じてそうは思われたくない(これこそ彼の野心の一部である)。 曙光 295 前半 野心家は、その野心のためならどんな時でもどんなことでも利用しようとします。そんな野心家を支持して同調し、一体化しているような感覚を持って、自分を大きく見せようとする野心家よりひどい野心家がいます。 それは昔ならば隠れていました。ところが今ではSNSにたくさん現れています。消費者が供

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不遜

不遜とは見せかけで偽りの誇りである。しかし誇りにまさしく特有な点は、それが遊び事も、偽装も、偽善もできないし、願いもないということである。― その限り不遜とは、偽善の才能のない偽善であり、非常に困難なものであり、大ていは失敗するものである。 曙光 291 前半 不遜(ふそん)、つまり思いあがりであり、へりくだる気持ちのないこと、これを意図的にそのように演出している様子は、滑稽なものですが、こちらは自然体でいるのに、「おい君、遜り給え」と主張してくるタイプの人がいますね。 昔はよく「お酌してまわれよ」と言われたもので

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浪費

興奮しやすく突飛な性格の人々にあっては、最初の言葉や行為はほとんどいつも彼ら本来の性格を特徴つけるものではない(それらは環境によって示唆されたのであり、いわば環境の精神の模倣である)。しかしそれらはたしかに語られ、なされたのであるから、その後に続く性格に基づいた本来の言葉や行為は、しばしば調停や、回復や、再忘却などに費やされざるを得ないのである。 曙光 290 浪費と消費、似て非なるこの言葉たちは、無駄遣いと生き金、というわかりやすい尺度がありますが、一般的に言われる消費ですら、厳密に言うとほとんど浪費です。 浪費

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上品な人々の悲劇

心からの親密さをうまく示すことの出来ない上品な人々は、その上品な性格を、慎しみ深さや、厳格さや、ある種の親密さの軽蔑などによって推測させようと努める。彼らの強い信頼感は姿を見せることに恥じらいを抱いているかのようである。 曙光 288 よくビジネスマナーなどの研修で言葉遣いについて研修をすることがありますが、相手尊重した版、こちらが遜った版、丁寧に言った版、そして「おビール」。 おビールって何よ? 美化語です。 何じゃそりゃ。 というようなことを経験したことがあります。 キャシー塚本先生のおマヨネーズのようなもので

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お客さんのお客さん

昔、頭文字Dを観ている時に、ふと思ったことがあります。 乾信司との最終戦でも出てきたブラインドアタックですが、かつてのバトルでは、相手の車体を見るのではなく、相手のヘッドライトの照らしている先を見る、という旨のことを言っていました。 同じようなことを、似非コンサルタント達に言いたい、いや、言いたいと思った瞬間に本人や、そんなコンサルにお世話になっている、もしくはその予備軍には言いますから、既に言って回っています。 いつでも「客単価をあげるために」とか「回転率をあげるために」とか、「集客アップのために」とか、そういっ

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家庭の平和と魂の平和

われわれの普通の気分は、われわれが自分の環境を維持することのできる気分に依存している。 曙光 283 自分の環境を変化させる事こそ、「ひとまず今のままでも大丈夫なのに新しく危険なことをする必要はない」という抵抗感を一番感じる時です。家庭の平和と魂の平和という言葉のごとく、気分としての平和な状態を強く望んでいます。 確かに新しく危険なことをわざわざする必要はどこにもありません。 したいとも思わず、というのならばいいですが、心の何処かでは、「本当はやりたい」と思っているにもかかわらず、それを現実的に考えた時に出てくる煩

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美しさのもつ危険

この女性は美しくて賢明である。ああ、彼女が美しくなかったら、どんなにはるかに賢明になったことだろう。 曙光 282 本であっても人の話であっても、その情報がどんな情報であれ、情報というものならば、内容とそれ以外の属性は切り離さなければなりません。 その人の経歴や肩書などの属性は、その情報を解釈するにあたっての単語のもつ意味、つまり定義付けの「ぶれ」をなるべくなくすために、参考程度には使えますが、それ以上の意味を持たせてはいけません。 たまに、「権威による事無く、肩書を気にしないように」という旨のことを言ってくれる人

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ひとつの模範

私はトゥキュディデスのどこを愛するのか?私が彼をプラトンよりも深く尊敬する原因は何か?― 彼は人間と出来事のあらゆる典型的なものに、最も広範囲で最も偏見のない喜びを感じ、そしてどの典型にも、ある量のよい理性が属していることを見出す。これを、彼は発見しようと努める。彼はプラトンよりも大きな実際的な公正さを持っている。 曙光 168 前半 トゥキュディデスは「戦史(ペロポネソス戦争史)」の人ですね。「アテナイ」オタク以外は知らなくてもいい人です。 どうせ模範にするならと、優れたような人がいないか探したものですが、やはり

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意識の分野の解消法その2 なるべく関係を謝絶する

拒絶と謝絶というと少しのニュアンスの違いから大差があります。どちらも相手からの要求を拒むことですが、抵抗感のニュアンスが少し異なります。対象が物であれば、相手、つまり物から何か要求されているわけではありません。では誰に要求されているのか。 それはアイツこと自我です。相手は相手として独立して存在していようがいまいが、認識結果から意識の中で「相手」を作り上げて、要求をしてくるはたらきです。 様々な申し入れをしてきますが、ひとまずはそれを嫌がりながら拒否していくというよりも、丁寧に「お断りします」という姿勢で接してみまし

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暖かい徳と冷たい徳

 冷静な大胆さ、毅然とした態度としての勇気と、熱烈な、半ば盲目的な勇気― 双方がひとつの名前で呼ばれている!しかし、冷たい徳は暖かい徳とどんなに異なっているだろう! 曙光 277 前半 おそらく昔から、誰よりも冷徹だと自負しています。今では怒りもしませんが、切り捨てという意味では、切り替えが早いと思います。特にビジネスシーンではこの要素がかなり重要なポイントになります。 とりわけ株式のトレードなどでは損切りの素早さが勝敗の要になります。昔から思うのですが、会社の好き嫌いで株を買っている人の神経がよくわかりません。

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種族の純化

ニーチェは、ナチス的だという偏見がありますが、ナチスがニーチェを利用しただけで、彼は全然ナチス的ではないどころか、それを批判していました。ニーチェの妹がナチスにハマって、ナチスのイデオロギーに利用されただけです。 いまでもナチスと同じようなタイプの人がいますが、「自分が嫌いだと思っている人の状況によって、自分の気分が変動するなら、自分の気分は相手のコントロール下にある。外界の状況の変更という条件が、心の安穏の条件になる」ということを、一度考えてみたほうがいいでしょう。 よく言う「あなたの為を思って言っている」という

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無条件の忠誠の誓い

車の免許を取るために自動車教習所に行った時のことです。 「はいはい」と返事すると、「『はい』は一回でええんや!」と中尾彬調の教官に叱られたことがあります。なぜ叱られたのはよくわかりません。 だれにでも同じことを言っているのならいいですが、おそらく教習生などにしか言っていないでしょう。相手がそこそこの大人ならきっと言っていないはずです。 「教えてもらいに来てるんやろ?」と彼は言いました。 すいませんが、あなたは僕からお金をもらっています。 脳筋教官が求める忠誠 なぜお金を払ってまで、忠誠まで誓わねばならないのかよくわ

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ニヒリズムの義務教育解釈

なぜこのように誇り高いのだろう!

高貴な性格が野卑な性格と相違するのは、後者が前者と同じく若干の数の習慣や視点を持ち合わせていないことによる。すなわちそれらの習慣や視点は、後者にとっては偶然にも相続されておらず、また仕付けられてもいないのである。 曙光 267 つい先日、「なぜこのように崇高なのだろう!」という見出しがあったにも関わらず、すぐにこういった事を言い出す癖がニーチェにはあります。 ニーチェはその文体にも表れるように、気分的なものが多いですが、それがやたらと的を得ていることが、面白い点ですね。「積極的ニヒリズム」ひとつとっても、厳密な論理

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優美さがない

彼には優美さが欠けており、それが分かっている。おお、何と彼はこれに仮面をかぶせる術を心得ていることだろう! 曙光 266 「イメージ作り」という事を商売にしているような人がいます。ビジネスの場において、好印象を得れるようにその人をプロデュースするといったことのようです。 声のイメージなどもプロデュースすると謳っていましたが、当の本人が野暮ったく、京都で言えば「もっさい」の部類に入るような人です。 その人は、事あるごとにSNSで、高級車を乗っている人の高級車の写真などにコメントを加え、情報操作と、「知り合いにも持って

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