タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

商人文化の根本思想

個人的な競争が古代ギリシア人にとって精髄であり、戦争や、勝利や法がローマ人にとって精髄であったのと同じように、商業が精髄である社会の文化が成立しつつあるのを、われわれは今日幾重にも見る。商人は一切ものを作ることなしに評価し、しかも彼自身の個人的な需要に応じてではなく、消費者の需要に応じて評価することを心得ている。「誰がどれだけこれを消費するのか?」が、彼の問題中の問題である。 曙光 175 前半 商人文化の根本思想ということで、商人とそれ以外の人との根本的な商いに対する考え方の違いや商人文化や商業を嫌う人たちについ

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和解させる

一体哲学の課題は、子供が学んだものと大人が認識したものとを和解させることであるだろうか?青年たちは子供と大人との中間にあり、中間の欲望をもっているから、哲学はまさしく青年たちの課題であるだろうか?哲学者たちが現在どんな年齢で哲学の構想を抱く習慣であるかを考えると、― それは、信仰には遅すぎ、知識にはまだ早すぎる年齢年齢なのであるが― ほとんどはそのように思われてならない。 曙光 504 一ヶ月以上ぶりの曙光です。 今回は「和解させる」ということで、和解について書いていきましょう。 僕は厳密な意味では、昔から人と和解

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コミュニティで何とかなると思っている人たち

「コミュニティで何とかなると思っている人たち」ということで、世の中には群れていれば何とかなると思っている人たちがいます。群れて人がたくさんいればどうにかなると思っていて、自分の頭で考えることもなく人に反応しているだけで、結局相互依存状態になって破綻するということが見えないという感じになっています。 コミュニティの中にいることに安心し、和を乱さず「はい!」と元気よく返事をしていれば、それで後は誰かがなんとかしてくれるというような脳筋体育会系の後輩ポジションのようなものに類似しています。「自分は馬鹿でもいい、能力がなく

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「道。」

いわゆる「近道」は、いつも人類を大きな危険に導いた。そのような近道が見つかった、という福音に接すると、人類はいつも自分の道を離れ― そして道を失う。 曙光 55 毎度のことながら「道」という言葉を見るとどうも松下幸之助氏を思い出してしまいそうになりますが、それはさておきましょう。 ただひとつの道 昔からよく「近道を選ぶとえらい目になる」というようなことが色んな所で囁かれます。 しかしながら、それは横着をするなという戒めのようなもので、効率のよいやり方を模索することは、非常に険しくリスクも伴いつつも、人を成長させるも

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商業社会の道徳的流行

現在の道徳的流行の原則― 「道徳的な行為とは、他人に対する同情心の行為である」― の背後に、恐怖心という社会的な衝動が支配するのを、私は見てとる。 曙光 174 序 某産業団体の「裏役員(決して怪しい存在ではありません)」をしているため、先日、自己啓発に洗脳された人から、当該師匠をセミナー講師として、起用して欲しいという説得をされました。 僕が直接されたわけではないのですが、団体構成員を経由して、団体の方に依頼が来ました。 洗脳系の自己啓発であり、普段はぼったくり自己啓発セミナーを開き、あげくセミナー受講生を弟子と

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勇ましい人の最後の論拠

そろそろ一回胡散臭い「自称コンサルタント」について書こうと思いましたので、そろそろそんな人たちのことについて書いていきましょう。 最近は出張が多く、様々な企業とやり取りするようなことが多くなり、特にほとんど「コンサルタント」に近いような仕事の形態の比率も上がってきました。 しかしながら世の中には自己啓発に感化されただけの「自称コンサルタント」や「自称コーチ」という胡散臭い人達がいます。 そうした人たちは自称の肩書上はコンサルタントやコーチなのかも知れませんが、いわゆる一般的なコンサルタントやコンサルティング会社とは

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黄金と飢餓

彼が触れるすべてのものを黄金に変えるような人間が、時折いるものだ。ある日彼は、彼自身そのもののために餓死しなければならないことを発見するであろう。 曙光 486 前半 最近またよくいろいろなところから会社宛にDMが届くようになりました。 創業時も、法人の登記を見てたくさんの事業者が勝手に送りつけてきますが、会社が継続しているということが理由で第二段階ということになるのか、また、よくわからないDMがちょろちょろ届くようになりました。 会社宛なのですが、代表取締役宛、ということで僕個人宛です。 高級マンションや宿泊施設

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苦しみへの勇気

われわれは現在のままの状態で、かなり多くの不快に耐えることができる。われわれの胃はこの重たい食物に適している。ことによるとわれわれはそれがないなら人生の食事には味がないと思うかもしれない。苦痛へのよい意志がないなら、われわれはあまりにも多くの喜びを逸するにちがいないであろう! 曙光 354 「いままで一度も、特に歓喜というものを味わったことがありません」 「おそらくそれは一度も『努力の末に勝ち取った』ということを経験していないからでしょう」 こういったやり取りが二十代中頃の頃に実際にありました。 実際に「苦しんで努

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さけがたい

諸君に好意を寄せないものは、諸君が何を体験しようと、その体験の中から諸君を腐す機会を見つける!諸君が心情と認識の最も深い革命を経験し、ようやく快方に向かう病人のように切ない微笑を湛えて、自由と明るい静寂の中へ行き着いたとしても― 曙光 480 前半 どんな人がどんなことを言おうと、おそらくどう転んでも非難というものはやって来ます。それは、「自分の意見」を言いたがる人たちが必ずどの時代でもいるからです。そしてそれはアイツが足掻いてくるからです。 今となっては、人の意見を特に聞くことはありません。社会の中で、異業種の方

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良心的な人々の悪用

つい先日喫茶店に行った時のことです。何やら思想団体のような団体が、デモ行進について会議をしていました。といっても若い人たちです。京都といえば昔からその気が多いのですが、やはり例に漏れず群れたいだけのB層でした。 耳を欹ててみると、「デモ行進中の差し入れに感動した」ということを女性が語っていました。しかしながら、自分たちの代弁者である思想団体に差し入れをするくらいたやすいことです。 良心的な人々の悪用として行動と思想の内容との無駄な関連付けについてでも触れていきます。 行動と思想の内容 「差し入れ」という善意・良心的

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労働の讃美者

「労働」が称賛され「労働の祝福」について倦まず語られる場合、私は公益的であって個人的でない行為が賞讃される時と同じ底意を見てとる。あらゆる個人的なものに対する恐怖という底意を。 曙光 173 前半 労働自体がよく賞賛されることがありますが、そうした労働を含め、社会的な物事においては、個人的な利益よりも公益のほうが賞賛される傾向にあります。 なぜ個人的な利益よりも公益的なモノのほうが評価されるのか? それはそれを判断している人としては、相手の個人的な利益は自分の利益に一切つながらないものの、公益的なものであれば少しは

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新しい魂の医者はどこにいるのか?

慰めという薬は、それによって人生が、現在人々が信じているあの苦しみにみちた根本的な性格をはじめて手に入れるようになったものであった。人間の最もひどい病気は、彼らが病気にうち勝つことから生じた。 曙光 52 前半 今まで一度も入院はしたことがないのですが、ちょくちょく身体がおかしくなることがよくありました。 特に胃腸です。毎年このシーズン、夏が終わり秋が差し掛かる頃の9月上旬から中旬は、胃腸に激しいダメージの来るシーズンです。十代の頃に二回ほど十二指腸潰瘍になっています。 しかしながら潰瘍よりも、便秘との格闘の方がし

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重くなる

諸君は彼を知らないのだ。彼は多くの錘(おもり)を身体に吊るすことができる。しかし彼はそれらをみんな一緒に高く持ち上げる。そこで諸君は、諸君の小さな羽ばたきに応じて、彼はこれらの錘を身体に吊るしているのだから下に留まりたいのだ!と結論する。 曙光 475 ニーチェはたまにこういった曖昧で対象を名指しせずにつぶやいたりするので文学的だと言われることがあるのでしょう。 さて、重くなる、重たくなるということで、体重の増加について触れていきましょう。炭水化物やカロリーオフ、ぶどう糖について触れていきます。 体重の増加と炭水化

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弁明しない

甲 しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? ―乙。この点でも、百の事柄でも僕は弁明できる。しかし僕は弁明の中にひそむ満足を軽蔑する。というのは、これらの事柄は僕にとってあまり大したことではないからだ。 曙光 472 前半 ニーチェ しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? bossu それでは軽く類型ごとに示してみよう。 パターン① 相手がこちらの話をしっかり聞いていない。 パターン② 相手は感情的に反発心を持っている。 パターン③ 質問の前提が根拠なしの固定観念。 いずれにしても、相手に「認めてもらう必要」がない。

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大勢の饗宴で

社長同士の集まりというのは、従業員時代には想像もつかないほどたくさんあります。商工会・商工会議所のような団体の集まりもありますし、その他単発のビジネス交流会のようなものもあります。 年末年始の忘年会・新年会などはすごい数のお誘いを受けますし、普段でも何だかんだで宴会・懇親会のようなものがたくさんあります。おそらくその気になれば毎日何かに参加できるのではないかというほどです。毎日数件ずつまわることすらできるほどです。 しかし、もう酒の席はほとんど断っています。 やはりシラフで話込めない人とは、どうせ深い関係にはなれな

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美の国は一層大きい

「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。 しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされる」だけの問題です。 そのようなわけで「美しい国日本」という感じが好きな人達について書いていきましょう。 日本と同化する必要はない さて、日本人だからといって、日本とイコールではありません。ただ日本に

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二度の忍耐

「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の中には同情する割に何もしないという人がいます。もちろん「かわいそうだなぁ」とか「大変そうだなぁ」などと同情したからといって、何かをする義務はありません。 しかし、ある動機から「同情」はするのに、解決策

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ある出会いに際して

「出会いがない」ということをいう人がいますが、生きていればそんなことはありません。僕個人としては、できればあまり人と会いたくもないのに、毎年毎年出会いは増えるばかりです。 家に引きこもっている場合は、人と会いようもありませんが、インターネットがなかった時代ならまだしも、たいていゲーム上ででも誰かと会ったりはしているでしょう。 今では携帯電話の電話帳の中に、仕事関係と家族を除いては、10人も登録されていないほどに、人とのつながりなどそれほど必要がないということを実感しています。 仕事関係ですらも10人程度です。重要な

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贈る者の恥ずかしさ

「贈り物」というものは、本来贈る人の善意のような気持ちが形になるようなものです。 気持ちを形にして示してみる、というのが贈り物であり、その手前には、相手に対する気持ちというものが必要なはずです。 その思いが形になり、物を媒介して思いが伝わる、それが贈り物のもつ本質的な意味であると言えるでしょう。 「贈る者の恥ずかしさ」ということで恥ずかしくなってしまう贈り物の代表例である「贈り物という名の自爆営業」についてでも触れていきましょう。 贈り物という名の自爆営業 それを「贈り物を買え」という脅迫のもと、大企業などでは従業

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取り違えてはならぬ!

そうだ!彼はその品物を四方八方から観察する。そこで諸君はこれこそ認識にうってつけの人だと思う。しかし彼は値切ろうとするにすぎない。― 彼はそれが買いたいのである。 曙光 341 品物を具に見るときは、自分もそのようなものを作ったり売ったりしている業界にいるか、もしくは買う前の精度のチェックと、難癖つけての値切りのため、というような動機がほとんどです。 最近では「値切りといえば」の家電屋もポイント還元という逃げを使うようになってきました。しかし、その場で、スマートフォンででも型番を調べれば、アマゾンや楽天で全国最安を

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誤認の利益

ある人が言った。憂鬱な気質にありがちな、人の気に入りたがる気まぐれに対して、子供のとき軽蔑を抱いたので、人生の半ばに至るまで、自分には自分がどんな気質であるのか、つまり自分がほかならぬ憂鬱な気質であるということが見えないままであった、と。彼は、これはありうるあらゆる無知の中で最上のものであると明言した。 曙光 341 世の中にはたくさんの誤解、誤認があります。人と人の間の相手にもっている印象などほとんどが勘違いです。 ただ、一言で勘違いだと言っても、どう勘違いしている可能性があるのかまで推測できる場合と、ただ伝家の

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一番籤(くじ)

これは非常に珍しいことであり、しかも人を有頂天にするものである。つまり立派に形成された知性を備え、そのような知性に属する正確も、好みも、体験でさえも持っている人間のことである。 曙光 458 最近やたらにコンビニで「700円買ってくじにチャレンジ」が多いですね。一番籤(くじ)ということでクジ引きについてです。 コンビニのクジ引きにおいては、繁忙時間の混雑を避けるために、当たりばっかり入っているくじボックスを用意して、早急に当たりくじを消化するということが多いのか、たいてい当たります。先日は1400円ちょっと買って二

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義務の変化

幾度と無く触れている中学生の時のお話です。義務の変化ということで、やはり義務教育における「義務」について触れていきます。 白靴下の件は幾度と無く出てきているので、既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、さらに自分が卒業して15年以上経った現在、母校の生徒を見てみると、蛍光オレンジなどのスニーカーを履いて歩いているという実情があります。 合理性のない義務というものはたくさんあります。 特に体育会系ではそれが多いでしょう。今でも関わりたくない人種の一つです。 最近知ったのですが、年長者は年下の人の飲み代をおごるという

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「自然のまま。」

京都という街は、文化都市だと言われています。 しかし文化そのものがいいかどうかは別問題です。世の中では文化水準の良し悪しや高さ低さを評価する傾向にありますが、「文化」そのものがいいものなのかどうなのかは全く議題に上がりません。 まず、文化というものそのものは良いものであるという盲目的な是認があります。 たまにわざわざそれに逆らうことをアートだとするトンチンカンな人(裸でドロの中に飛び込むことをアートとする人)がいますが、それも生命維持活動とは関係のない行動なので文化には変わりありません。 「文化」については以前「文

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われわれは何ができようか?

ある人は不良で悪意のある息子から、まる一日ひどく責められたので、晩、息子を打ち殺し、深く息をつき、残りの家族のものに言った。「そう!これでわれわれは安心して眠れる!」― 環境はわれわれをどこへ追い立てることができるのか、われわれは何をしっていよう! 曙光 336 ここで少し家族について触れましょう。 家族仲はいいのですが、昔から家族という組織が嫌いです。 どういう意味で嫌いかというと、煩いの方が多いからです。 ノイズとしての影響が多いというような感じです。 昔から独立心が高いため、性格的には家族からの影響はあまりあ

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