タグ別アーカイブ: 音

音楽や音声など「音」について

ゆるキャラとフジファブリック

この茜色の夕日は、いつ見ても何度観てもいいなあ。すごくいいなぁと思います。頭文字Dのおかげで縁も所縁もなかった群馬県と縁ができるように、フジファブリックのおかげで縁も所縁もない山梨県に興味が湧きます。 奥に心のこもった何かがあると、それはずっと誰かと誰か、何かと何かを繋いでいくのでしょう。 この動画を観て何も感じない人とは、おそらく友だちになれません。 「茜色の夕日」 後発のゆるキャラは本質からズレている いつも思うのですが、マンガの舞台となる場所でも、おそらくその地域への思い入れがあるはずです。 それで、フジファ

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リズムネタとポッキー理論

僕は昔からリズムネタが嫌いです。 ネタが安易で寒いということもありますが、メロディなどが聞いていられないくらい寒い。 だから嫌いです。 なんだか少し前にもてはやされた「なんとか太郎」がよくyoutubeでおすすめ的な感じで出されますが、絶対にクリックしません。 でも、一度だけ、どこかの店でたまたまついていたテレビに映り、嫌でも見せられてしまいました。 あれはね、一言で言えばポッキー理論を応用した自慰メロディです。 って意味わからないでしょう? 今からお伝えします。 ポッキー理論 ポッキーがなぜポッキーという名前なの

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元曲がわかる辛さ 峯田和伸

音楽カテゴリへの投稿は、前回の大瀧詠一氏以来半年ぶりです。 前回の投稿でも、近いようなことに触れましたが、楽曲は洗練されていないと元曲がわかってしまうものです。 ある大瀧楽曲のうち、山下達郎氏には元曲が3曲しかわからなかったものの、大瀧詠一氏は「実は5曲ですよ」というオチを明かしたりしていたのは有名ですが、頭のなかのサンプル数で、元曲がどれかなどすぐに分かってしまうものです。 自分が音楽をよく聞いていた頃はまだ頭のなかのサンプル数が少なかったからか、あまり元曲がわかる辛さを感じることはありませんでしたが、最近、コン

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大瀧詠一氏

もう最近は、楽しかったり深く味わったりするより、静寂の中で静かにできるだけ何も感じずにいるほうが好きになりました。 しかしながら、久しぶりにCDを買ったりしたので、この方について。 かなり有名な方ですが、知らない人は知らない(僕より若い人なら)、というような方ですね。しかし彼が手がけた曲を聞いたことがない人は、この日本では生まれたての赤ん坊以外ではおそらくいないでしょう。凄腕アーティストであり、作曲家として僕が最も大好きな人です。語るまでもないほど、というより語ってはいけないほどのすごい人です。 さらにいうと加藤和

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無邪気の危険

無邪気な人間はあらゆる点において犠牲になる。彼らはその無知のために、過度と過度を区別したり、時期を外さずに自分自身に対して用心したりすることができないからである。そこで無邪気な、すなわち無知な若い夫人は、愛情を頻繁に享楽することに慣れ、その夫が病気になったり早く衰えてしまったりする後年には、享楽にひどく不自由するのである。 曙光 321 無邪気といっても、「こっそりくすねてやろう」というような、邪な感じが無いだけで欲に満ちている場合がよくあります。しかしあまりその欲は社会では問題視されません。無思慮、無分別、無知な

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子供らしい

子供のように生きる― したがって自分のパンのために戦わず、自分の行為に決定的な意義が属していると信じない― 者は、いつまでも子供らしい。 曙光 280 温泉やスーパ銭湯などに浸かっていると、他の客の中に騒がしい子どもがたまにいますが、動きまわるだけでなく「奇声を発する」という場合があります。それが集団となると狂騒と表現するのがふさわしいほどの奇声ラッシュとなります。この手の奇声は金切り声と呼ばれるような高音、高周波の奇声です。 この奇声に違和感があるのですが、もしかしたら忘れているだけで、自分もこの手の奇声を発して

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演劇はその時をもつ

ある民族の想像力が衰えると、その伝説が舞台で上演されるという傾向が生じる。今や民族は想像力の粗雑な補充品を我慢するのである。 曙光 265 前半 昔の曲のカバー曲などを聴くと時に寒気がすることがあります。 オリジナルと同等以上の味があるのならばいいのですが、「なか卯」などで流れるようなカバー集のような曲は寒気がしました。その理由がよくわからなかったのですが、最近ではよくわかるようになりました。 それは、オリジナル楽曲を音符に変換して、音符をなぞっていることにあります。それは初音ミクだけで十分です。 せっかく楽譜に表

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音楽についての対話

自分の中では当然でも、人には理解されないことがあります。 しかし、相手が自分には理解できないようなことを言うからといって、その人の頭がオカシイと決めつけてしまうのは少し早急です。 千原ジュニアさんの「14歳」で、「太陽を紫で描いて叱られる」というシーンがありましたが、同じような経験があります。 しかし、その時の僕は「先生はおそらくオレンジか赤で描いて欲しいのだろう」と、気持ちを汲み取って、先生に合わせてあげた、という記憶があります。 首を傾げ続けたカウンセラー 十代の時に何度か、半ば強制的にカウンセリングというもの

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夜と音楽

昼に聞く音楽より、夜のほうがなぜか盛り上がってしまいます。 よく言われるのは、日の明るい内、特に午前中は思考が優勢になり、日が暮れてくる頃からだんだん夜になるにつれて、感情が優勢になってくると言う点です。 だからこそ、感情的になりそうな話し合いは午前中にした方がいいと囁かれます。確かにその方がいいかもしれませんね。 しかし早朝というものもなかなかいいものです。騒がしくなく、いろいろなモノに耳を澄ませるには最適な時間帯でしょう。 例えば「ソラニン」一つとっても、昼間、夕方、夜、早朝で少しずつ趣が異なってきます。 ソラ

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道徳学者への忠告

われわれの音楽家たちは大きな発見をした!興味を引く醜さは、彼らの芸術でもやはり可能なのである! 曙光 239 冒頭 「フックとしての醜さ」という手法が取られるようになりました。違和感を覚えさせることによって、興味関心を惹くという手法です。怒りやがっかりすら使われるようになりました。アイドルにボクシンググローブを付けさせるような手法ですね。 そうした手法を垣間見た時、ふとイワン・シャポヴァロフ氏を思い出したりしてしまいます。 t.A.T.u.とイワン・シャポヴァロフ氏 そういえば、十年ちょっと前にt.A.T.u.とい

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悪人と音楽

音楽は彼らにとって、自分の異常な状態を傍観し、しかも一種の疎遠さと安心感を抱いて初めてその姿にあずかる、ただひとつの手段である、愛する者はだれでも音楽を聴いて思う。「これは私のことを語っている。私の代わりに語っている。音楽は一切を知っている!」 曙光 216 最終部抜粋 原則的にカラオケには行きません。よほどのことがない限り行きません。昔、よく音楽をやっていない人からおすすめされた曲というものは、たいして良いものがありませんでした。 どういう意味で良くないかというと、それが洗練されているものであればいいのですが、単

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「自然音」の礼拝

自然音がリラックスするというのはよくあるケースです。自然界にある音は、耳に入っても特に気に触りません。それどころか自然を感じられて穏やかな気持になってきたりもします。以前少し触れましたが、逆に不自然な機械音はイラッとしてきます。「ピッ」系ですね。 しかしその中間である、自然的な音でありながら、自然界ではほとんどありえない音というものがあります。鐘を鳴らしたような金属音です。 「自然音」の礼拝ということで、坊主がカンカン鳴らしていた音についてでも触れていきます。 坊主等々がカンカン鳴らす音には「四つ打ちによる催眠効果

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小さな逸れた行為が必要である

オリジナルや個性という言葉がすごいことかのように取り扱われ、平均的な生活から「少しはみ出そうと」躍起になりつつも、自分塾を正しく開いてこなかった場合には、「オリジナルだ」と主張するようなものを創作したとしても、絶望するほどチンケなものになります。 楽器人生 さて、個人的に楽器をやり始めたのは、詳しく言えば幼稚園くらいですが、ベースなどを触りだしたのは中学生の時です。 相棒プレシジョンベースとの20年(2019年3月投稿) その当時は数人しかそういうタイプの同級生がいなかったのですが、中学校生活も終盤に差し掛かった頃

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マスキング効果

マスキング効果は、ある音が他の音によって妨害・遮蔽されて聞えなくなる現象。2つの音が純音、周波数の差が小さいほどこの効果は大きい。一般に低音は高音をよく遮蔽するが、高音の低音に対する遮蔽効果はそれほど。 このマスキング(masking)は聴覚だけでなく視覚や触覚などでも見られるが、最もわかりやすいのは聴覚マスキング(auditory masking)である。 聴覚マスキング マスキング効果が大きいときは、音の強度を大きくしなければ聞き取ることができなくなる。マスキング効果の程度は、他の音の存在によって最小可聴値(t

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マガーク効果

マガーク効果は、言語音声の音韻知覚において聴覚情報と視覚情報の相互作用を示す現象の一つ。目と耳に入ってきた情報が勝手に組み合わさって、そのミックスバージョンを感じてしまう、というようなことになる。ある音韻の発話の映像と、別の音韻の音声を組み合わせて視聴すると、第三の音韻が知覚されるということで、錯覚現象であり、完全にアイツがバグっている状態である。ダイレクトに感じているわけではないというような表れである。 視覚情報としてて、映像上で発音している言葉の口の形と耳から聞こえてくる聴覚情報がバラバラだった場合、それを合わ

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カクテルパーティー効果

カクテルパーティー効果

カクテルパーティー効果は、選択的注意のうちの音声の選択的聴取のこと。人間は音を処理して必要な情報だけを再構築していると考えられる。1953年に心理学者のチェリー (Cherry) によって提唱。 このカクテルパーティー効果は、たくさんの人が会場で会話を繰り広げるような「カクテルパーティー」の会場の騒音の中で、自分の名前が出てきたり、自分に関係の強い話題が出てきた時にその話の内容が聞き取れたり、単に自分が今会話している相手の声だけを選択して聞き取れるといった選択的聴取のことを指す。 自分の名前をはじめ、自分に関係が強

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カタツムリ

ONE LIFE

ONE LIFE/the pillows 昔は家の前にも蛙や蝸牛がいました。もう20年くらいは見ていないような気がします。母校も昔は校舎裏が森のようになっていました。今ではその面影もありません。 母校もそうですが、観光客への見栄か、地元の「無菌状態」を好む人のヒステリーかわかりませんが、京都中が整備されすぎて、どんどんその土地らしさがなくなっていきます。 高級料亭の日本庭園も、川床も、高級ホテルのロビーから見える眺望も、結局、視界が開けて、かつ、自然状態の方がリラックスするのに、空調や衛生面を気にしすぎるから、結果

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差がわかる

アイツこと自我とは、何かと何かを分ける機能ですが、ここで重要になるのは差がわかることと、差をつけてしまうことは全く別物だということです。差がわかるのは機能が純化されているだけで、差をつけてしまうのは観念による判断、という思考の産物だからです。 音楽をやろうという時に、耳コピができない人がいますが、僕はそれが信じられません。何十本も楽器があるような曲なら、スコアを見ずに耳コピすることは時間の無駄のような気がしますが、巷にあるような曲で、なぜできないのかわかりません。 例えば楽典を特に勉強していなくても、普通の曲なら1

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身体の限界と楽しみの限界

僕は体育会系ではありませんから、身体の限界と銘打っていますが、特に運動能力的なことについて触れるわけではありません。いわゆる五感を通しての楽しめる限界についてです。 やたらと楽しいことを求めてしまうのは「アイツ」の仕業ですが、楽しみについて以前少し考えたことがあるので、一応書き記しておきましょう。 必要以上にお金を欲しがってしまうのは、ひとつは安心感、もうひとつは楽しみを求めるせいですね。安心感については今までにもさんざん書いてきました。楽しみについて今回は書いていきましょう。 精神力と身体 精神というものは体と密

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サンバホイッスルデー

ほとんど音楽の話ではないですが、音に関することです。 数年前からですが、外からよく「ピッ」という音が聞こえます。ついでに「ピー」という長い音も聞こえます。ヤマトか佐川かわからないですが、携帯端末の操作でもしているのかな、と思っていました。 あまりに毎日鳴り続けるので、窓を開けて覗いてみると、近所のおじいさんのよくわからない乗り物(一人乗りの乗り物です。電気で動いているようです)の鍵を回したときの「オン」の音だったようです。 まあ一日数回なのでいいでしょう。 最近のことです。朝起きてしばらく経つと、「ピッ」という音が

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第200回投稿記念

第200回投稿記念

特別企画中ですが、これで200記事目になるので少し中断して、第200回投稿記念の回にしようと思います。 常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 ここ最近、特に食事制限もなく軽い運動をしただけで50日ほどで体重が5kg減りました。おかげで体は軽くなりました。特にこれといってお金もかかっていません。 宣言しておきますが、おそらく8月頃にはさらに10kg落ちる予定です。目標というわけではなく、落ちることがわかっています。 手法はまた気が向けば書きますが、特に難しいものではありません。お金はかからないどころか、食費は浮

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いつかはすべてがナツメロ 改

懐かしのメロディ、いつかは全てそんな風になってしまします。 まれになか卯などに行くと、90年代のヒットチャートをカバーした曲がよく流れています。 カバーというのは原曲を超える同系列か、「こういうのもアリ」とか、「まるでコイツの曲みたいだなぁ、カバーなのに」というレベルでないと、してはいけないものだと思っています。 そういうところで流れるものは、ほぼ、というか完全に100%劣化しています。 結局売り出すのにお金がかかるのに、手元にお金のない業界が、なんとか食扶持を探しての苦肉の策だとは思っています。 昔は、いい曲がい

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SYNCHRONIZED ROCKERS

SYNCHRONIZED ROCKERSは、11曲なのですぐに終わってしまいました。 また例のごとく一覧表示します(リンク先は個別記事です)。 RUNNERS HIGH Funny Bunny 巴里の女性マリー Vain dog(in rain drop) この世の果てまで カーニバル LITTLE BUSTERS Our love and peace ハイブリッド レインボウ ストレンジ カメレオン Sad Sad Kiddie このアルバム「SYNCHRONIZED ROCKERS」との出会いは、バンド仲間から

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Sad Sad Kiddie

悲惨な話があります。 ストレートには言わないものの、推測による帰結や疑問を引き出すための話法です。 ついには「すごいですね」や「それって何ですか?」を言わせようとします。 それがすぐに読める側は大変困ります。 なんせ惨めなのですから。 2つの視点の競合 「。。。ということは」を連想させて、自慢にもっていこうとするパターンが多いですね。 ただの自尊心の補充なのですが、一昔までは対応に困っていました。 それは、2つの視点が競合していたからです。つまり葛藤です。 視点1 自尊心が欠落しているのだから、補充してあげよう 視

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ストレンジ カメレオン

ストレンジ カメレオン

いくら歳を重ねたとしても、 時代が変わろうとも、 この曲を頭から離したくない。 この体から、 心の奥底から、 離すわけにはいかない。 何年たってもこれは揺ぎ無い。 全てに変化が訪れる事は避けられない。 環境も状況も 感情も理念も 主義も主張も 身体も感覚も この世に溢れる全ての価値も それでも、 それに逆らうことが愚かだとしても、 死ぬ間際に桜井のように全力で歌いたい。 心の奥底から冷や汗と涙が湧き溢れる。 出し惜しむことなく全力で走ることができる。 そんな気がする。 明日のことを考えて、 来年のことを考えて、 遠

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