これで800記事目になります。少し前、「第797回投稿記念&祝二周年」だったため、ある程度趣旨を変えてお送りします。一応800回目の公開の今回、「第800回投稿記念」です。
さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。
相変わらず「靴べらの売上」並にアクセスは安定しています。
やはり「ニヒリズム」や「ルサンチマン」、「ドグラ・マグラ」そして「お金を貸す人借りる人」がアクセスを牽引しているようです。
というものの、当たり前ですが、更新が滞ると少しアクセスは減りますね。
さてさて、何を書きましょうか。
…
最近起こった「大人の小競り合い」と、「それでも黙らない理由」についてお送りしましょう。
大人の小競り合いとそれでも黙らない理由
大人の小競り合いといっても特にバトルをしたわけではないのですが、日常でも、本ブログ並みにいつも激しく人に「つっこむ」ということをしているため、最近小言を言われたことがあります。
「穏便にいけばいいのに」
という小言です。
しかし別に場がバトルモードになったわけでもないのに、そんなことを言う人達がいます。
そこで、そういうことを言う人を洗ってみると、その手の人の特徴がわかりました。
ずばりですが「士業」です。中でも税理士が多いです。
経営者の人は、「穏便にいけばいいのに」とは真逆の意見が多く、士業に限って、事を荒立てたくないという事を言います。
まあ士業、特に税理士は事後処理的な仕事なので、何かを創出するということがあまりないため、そういう考えになるのでしょう。
もちろんその小言を聞くことはありません。
なぜなら、「つっこみ」には理由があるからです。
身内が言っても聞かない人たち
対人関係というものはおもしろいもので、世話をかけるほど、相手になめられ、言うことが真っ当でも聞き入れられないという傾向になることがあります。
生活のすべての面倒を見ている保護者の言うことを聞かない、働きも学びもしないニートのことを思い浮かべてください。
おそらく「うるさい!」という言葉が口癖のはずです。
仮にですが、そんなニートがある趣味を持っていたとします。そして趣味があるからには、その世界のカリスマがいるはずです。
保護者の言うことは聞きませんが、そのカリスマの言うことならば、ひとまず聞いてみようとするかもしれません。
おそらく保護者の方の望みとしては、少しでもそのカリスマから「良い助言などがないか」ということを淡く期待しているかもしれません。
別にカリスマ性は置いておいたとして、他人であれば、なめている身内よりも少し話は聞くかもしれません。
「つっこみ」をやめないことはそんな理由です。
自分の意見など言っていない
「穏便にいけばいいのに」という人は、僕が何か意見を主張しているように感じているようですが、僕は意見をいうことはほとんどありません。
例えば、相手がAはBだと主張した時に、「いやCだ!」という具合に突っかかっているわけではありません。
「ではA’の場合はどうですか?」とか「Aの前提にあるものは何でしょうか?」など、ほとんどが質問です。
たいてい相手は、胡散臭いコンサルです。
カンの良い方はお気づきかもしれませんが、この質問は、意見の対象を抽象化できていないと答えられない質問です。
本を見て「AはB」という公式を覚えただけで、受け売りで話している場合には、先の質問には答えられません。
考えてみれば、事後処理的な仕事をしている人は、ふわふわした抽象空間ではなく具体例が示された関数で仕事をしています。税理士などはある程度俯瞰して見る能力が必要でしょうが、一般職と言われる事務方仕事などはその典型例でしょう。
つっこみをやめない理由
そこで、なぜわざわざつっこむのかという事になりますが、小言をいう人の意見は次のようなものです。
「どうせ自滅するのだから、わざわざつっこんでやる必要もない」
まあそれもそれでいいでしょう。それは一つの選択肢であることは間違いありません。
しかし、その奥に自分を守ろうとする恐怖心があるのならば、それは「なってはいけない大人」、僕が昔から「なりたくない大人」です。だからその選択肢が一つの正しさを帯びていようとも、僕は選択しない、それだけのことです。
別に相手を傷つける必要はありません。もし傷つけることが目的であれば、それは傷ついた自尊心を相対的に持ち上げようとする愚かな行為です。
そして、意見を主張しているわけではありません。
「もう少し考えてみてはどうですか?」という提案を含んではいますが、自分のほうが正しいということを主張しているわけではありません。なぜなら、その主張が通っても、僕に何の利益もないからです。
同時に、伝わらなくても、僕に何の損もありません。
仮に空気が気まずくなって、嫌われても、僕は何も困りません。独りの方が好きですから。
現実社会でも、このブログででも、何かの縁で瞬間でも繋がりを持てたのなら、「その人の限界を作っている盲点に風穴を」という思いがあるだけです。
結果がどうなろうと、それは僕には関係ありません。ただ、どの瞬間であっても、そんなふうに生きようと思っているだけで、結果には執着などありません。
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