落語的思考

普段からよく散歩をしますが、特に今のシーズンは「春になった」ということでよく外を散歩します。

そんな折、不可思議な看板や案内や観光地にありがちな「由緒書」的なモノに出くわしたりします。そしてそれを見て頭の中で遊んでいます。

ということで落語的思考の遊びです。

落語的なのかどうなのかはわかりませんが、言葉の違和感や論理的な矛盾に爆笑しています。そういうわけで、周りの通行人の人からは怪訝な目で見られたりしています。

例えば空き地に次のような幟(のぼり)が立っていたとしましょう。

好評発売中の幟

これを見て違和感を感じた人はいるでしょうか?

この場所はたくさんの区画がある分譲地でも何でもありません。

「好評ならなぜまだ売れていないのか?」

というところくらいでも良いでしょう。

土地の販売は、その場所しかありません。

好評販売中であるのならば、既に何かしら売れている必要があり、そして、その評価が好評価である必要があります。

しかし売れていません。

売れていないのに、なぜ好評であると言えるのか?

もし既に売約済みならば、幟は立っていないはずです。

幟が立っているということは、まだ表記通り販売中であるということです。

売れてもいないのに、誰がどんな好評価をしているのか?

ということです。

そんな事を考えた後に、「仮にポジティブにウルトラC解釈した場合はどうなるのだろう?」ということを考え始めてしまいます。

「近所の人の話では、この場所は住む人住む人がすぐに大金持ちになり、すぐに豪邸に引っ越してしまう」という「近所の人の好評価」があるという設定です。

僕は散歩をしながらそんなことばかりを考えています。

「由緒書」的なモノを見て爆笑する

またそうしたものだけでなく、「由緒書」的なモノを見ても勝手に頭が落語的思考になってしまいます。史跡の多い京都では結構至るところに観光案内的にそうしたものが立っていたりします。

昨日発見したその手の案内には、次のようなことが書いてありました。

法然が亡くなった。

法然の念仏がブームになりかけていたため、対抗勢力が法然の墓を壊し、鴨川に遺体を捨てようとした。

それを必死で阻止し、遺体を隠した。

遺体を数ヶ月保管して西山で火葬した。

「思いっきり執著しとるがな」

という感じです。

Category:miscellaneous notes 雑記

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