ありそうでもあり、ありそうでもない

ある女性が密かにある男性を愛し、彼を自分よりも高いところに祭り上げ、全く内密に百度も自分にこう言った。「あんな方が私を愛して下さるとしたら、それは恩寵のようなものであり、私は恩寵にひれ伏さなければならないでしょう!」― 男性の方でも全く同じことが、しかも余人ならぬこの女性に関して起こった。そこで彼は全く内密に、やはりほかならぬこの考えを自分に言いきかせた。 曙光 379 前半

曙光のこの項目では、その後両者がその思いを相手に伝えてしまうという感じで続きます。

まあ曙光の項目について書いてもいいのですが、あえて、「恩寵だと思った末路」について書いていきましょう。

激しい熱意は敵意か無関心に変わりやすい

歴史を振り返ると、志半ば、側近に討たれたというケースが結構あります。

そして、「亭主元気で留守がいい」という言葉の通り、ずっと家にいるとだいたい嫌われていくものです。

ただ、これは「金づるか!」ということではなく、スキル差があってくっついていた場合、その差が縮まってきたときほど、一気に関心が無くなるか、敵意に変わりやすいということを意味しています。

会社への入社でも、夫婦であっても、何となく相手の方がすごくて、それへの憧れがあって接点を持ち始めた場合、その差が縮まると、敵意や無関心に向かいやすいという傾向があります。

互いの意識が平均化

で、人が一緒にいると、お互いの意識が平均化していきます。これは同調という働きによるものです。

そして、ゲームでもレベル1から10へとレベルアップするのは早いですが、レベル90から99へとレベルアップするのはなかなか時間がかかります。

それと同じように、レベルの低い側の成長速度と、レベルが高い側が成長していく速度にはズレが生じ、時間が経つにつれてその差は縮まっていきます。

そうした時に、「相手への憧れ」が好意の要素だった場合、それが解けていきます。

たいてい自分の知らない世界を知っているというような、相手が持つ「謎」の部分が憧れの要素ですから、その謎がなくなっていく分、好意もなくなっていきます。

そしてそれが仕事面などであれば顕著です。

男尊女卑の構造

男尊女卑を肯定はしませんし、孔子は大嫌いな思想家の一人ですが、儒教の影響下では、男女の社会的情報差が大きかったため、こうした「好意」に関する構造が崩れにくかったという側面は見逃せません。

単純に言うと、外で働く男には謎があり、専業主婦には見えない社会の部分を知っていて、相手に魅力を感じ、かつ、相手に頼りたくなるような部分が大きかったという面があり、「好意」という面で言えばそれが維持されやすかったという構造があったということです。

いわば女性はそうした社会の側面に直接的に関わる機会がなく、情報が隠され続けていたため、好意が維持されてきたという面が少なからずあるということです。

個人的には意味のない差別だと思っていますが、もしかしたら「家庭の平穏」という意味では合理的だったのかもしれません。

ただ、それは情報操作による歪んだ好意の維持であるということも考えられます。

そして、男女の格差が徐々に減り、情報が開示されだしてきた現代では、もうこうした社会的構造による好意の維持は不可能に近くなっています。

レベル差が縮まってきた場合

あくまでこうしたレベル差の縮まりによる好意から敵意、もしくは無関心へのシフトは、謎の要素、憧れの要素が、わかりやすい「スペック」のようなものであるから起こる現象です。

例えば、若くして会社を上場させた「ビジネスマンとしてすごい人」への憧れのようなものは、本人の社会人としてのレベル、経営者としてのレベルのようなものが上がれば解けていきます。

特にその憧れの人の会社に入り、出世して役員にでもなって、重役会議でなんかで顔を合わせるようになるとどんどん怪しくなってきます。

そうなってくると、レベル差を維持するか、異なるところで好かれる必要があります。

場合によっては、別の面でまた違う評価をされ、好意は維持されるかもしれません。

ただ、基本的にはそうしたわかりやすいものですが、心の面などで最大値を超えるほどにレベルが高くてもこうした構造からは逃れることはなかなか難しい部分があります。

感化されやすく真面目で本気で知的で熱心な人の謀反

ゴータマ兄さんでいうところのダイバダッタ、イエス兄さんでいうところのユダのように、セイントおにいさんたちでも、だいたい弟子が10人くらいいれば、そのうちの一人が裏切ります。

感化されやすく、真面目で本気で、ある意味知的で熱心な人ほど、ギャップに耐えきれず謀反を起こすというのが常です。

どんな場合でも、憧れ発端の好意は、気をつけたほうが良いでしょう。謀反を避けるためには、レベル差を維持するよりも、接触機会を減らして謎の部分を維持するほうが簡単です。

憧れ発端の信者のような人が言い寄ってきても、程よく距離を取るに越したことはありません。

ありそうでもあり、ありそうでもない 曙光 379

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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