外見上の寛容

高校生くらいの時に何度か引越のバイトをしたことがあります。

その内の一回は、若い女性の引っ越しだったのですが、引っ越しが完了すると、ロングヘアの40代位の男性がやって来ました。

その男性は、その当時、京都ファミリーでやっていた催し物のジャグリングショーの人に似ているので、「ジャグリングショー」という名前で記憶しています。

引っ越し完了時に、おもむろにソファーに座り、女性の腰に手を回し始めました。そして当時高校生だった僕に語り始めました。

「この部屋は倉庫代わりさ。隣にも借りてある」

ほう。

「僕はこの子を養っているんだ」

ほう。

なんじゃそりゃ。

コメントに困りました。

母の友人の会社の人に頼まれて、手伝いバイトに行ったようなものです。一向に開いた口がふさがりません。

ひとまず「この手の大人にはならないでおこう」、そう思いました。

考えてみれば、女子が好きで養うだけなら、その部屋の家賃を貧困国と言われるような地域に送金すれば、数十人の女子を養うことができます。

ジャグリングショーの下卑た顔は、はっきり覚えています。

その後も、口髭を生やして高そうなスーツを着ながら若い女子に「休日には美術館に行って感性を養っているんだ」と語り出したり、ワインについてウンチクを語り出すようなおじさんを見る度に、

「あ、ミスタージャグリング」

と、勝手に頭に浮かぶようになってしまいました。

その時ははっきりどういう関係か知りませんでしたが、帰り際に、当の女性がやって来て、僕に言いました。

「あんな男になっちゃダメよ」

ほう。

まだ若い僕を見て、何か思うようなことがあったのでしょうか。忠告してくれたのはありがたいですが、ジャグリングショーのような人間にならないのはもちろん、あなたのような人間にもなりません。

外見上の寛容 曙光 270

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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