レモネードという言葉には、「出来損ないをヒーローに」「ひどい経験が良いものに変わる」というような意味合いがあります。
この概念を知ったのは、同世代あるある的かもしれませんがhide氏のレーベルからです。今でもブランドショップは残っているようで何よりです(そちらでは「元不良品」を意味するように名付けられているようです)。
日本で言うところの梅干しのようなものです。
不足感、欠乏感には意味がありません。しかしながら、日のあたらいような性質や物は、本当に不良品だったり、価値がなかったり、時代錯誤になった不必要なものなのか、というようなことをどうしても思ってしまう癖があります。
ただ、そんな視点は、売れなくなった歌手や芸人を集めて何かできないか、というような不器用な視点なのかもしれないということを思うこともあります。
それでもまあ、もし何かしらの活躍の舞台を用意できるなら、何かしらの形で「役立たず」の座から降りてもらおうというようなことを思います。
これは一歩間違えると、確実に向いていない社員を職場に無理に残らせたり、その人に合った業務を創造しようとするような、経済的には非常に間違った考え方なのかもしれません。
しかしまあ、何となく、ダメならダメで良いとして、何とか形にするような、そのような想像力を楽しんでいこう、というような癖があります。
「どうせ誰も見ていないし、すぐ忘れるだろう」
そんなものでも、どこかで活躍して欲しいというような意図を込めて、何の変哲もない野草とか、公園の遊具とか、そんなものをアイキャッチ画像にしたりしています。
通りすがり的に見たような景色は、慌ただしい生活の中では、目に映っていても、見ていなかったり、見てもすぐに忘れてしまうだろうとは思います。
そして、何かしらのイベントとか、エンターテイメントのように、感情を劇的に動かすものでもありません。
でも、ほんのちょっとですが、人生を彩ってくれた風景に、感謝の意を込めて、「ここに居てもらえませんか」という感じで画像を載せていたりします。
僕以外の大半の人、むしろ僕以外の人にとっては何の意味もないような景色ですが、僕は確かにそれを見て、何となく撮っておこうかなんて思ったりした風景であり、僕にとっては何かしらの価値があります。
世間的な情報価値としてはジャンク情報になるようなものかもしれません。
しかしながら、僕の「変さ」というか個性を表現する、― 形成する要素として機能しています。
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あまりにレモネード的視点に偏ると、金八先生とか、不良ばかりの学校に赴任してクラブ活動でひとつにまとめるような映画、のような雰囲気が出てきます。
それはそれでいいですが、やはりもしかすると不器用なのかもしれないとも思います。
そういえばレモネード的ということでいえば、今はAIですぐに情報が手に入る時代で、需要自体は低下していますが、実は「心理学」の初期投稿たちは、元々僕が大学の一般教養において心理学のテスト対策に要約文を作っていた時のテキスト群を再利用したものです。
その時はその時で活躍してくれましたが、古いPCに残っていたので加筆修正して投稿化しました。
その投稿経由で出会った常連さんたちもいると考えると、やはり不良品ではありませんが、過去の遺物に対するレモネード的なものかもしれません。
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いくらレモネード的視点を持っているからと言って、断捨離的な視点ももちろん持っています。特に物に対してはあまり執著がないため、「後ろに引っ張るようなもの」は捨てるという視点もあります。
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今でこそ、物事のマッチ率というのは精度が上がっていますし、それが逆に可能性を狭めている可能性もあるかもしれないとも思いますが、こうしたレモネード的視点が強いのは、何となく、自分たちが育った時代は、まだ昭和の雰囲気が残っていて「相手の空間に自分が適合しているか」ということが問われすぎていた、というところから来ているのかもしれません。
いや、その考えも正しい面はあります。人の空間に入るのに、入る側が自分に合わせてくれというのは厚かましいですから。
ただ、近年はまだパワハラというような認識がある程度浸透しているものの、僕がアルバイトをし始めた頃~20代くらいの頃は、今なら一発アウトレベルの罵倒も日常茶飯時でした。
そして、何というか幅が狭いんです。
そんなに大した空間ではないのに、合格になるには、相当無理をして合わせていかねばならない、というような感じでした。
そうなると、大半の人が出来損ない、欠陥品扱いになってしまいますが、実際にそのように扱われていました。
日常的に、「お前みたいなもんが」「そんなもんで世間で通用すると思うな」というセリフが飛び交っていました。
ただ、僕は小学生の時から「それを言われた人が、言っているあなたより出世した時、あなたはどうするんですか?」という冷めた目で見ていました。
「あなたの都合には合わないというだけで、他のところで大活躍するかもしれないじゃないか」という感じですね。
こういうおじさんやおばさんを大量に見てきたので、僕の中で「不器用かもしれないレモネード的視点」が形成されたわけです。
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ただまあ何でもかんでもレモネード的視点になってしまうと、抱えきれなくなります。一応の「世間的不良品」や過去の遺物を活かそう活かそうとすると、それ自体に労力がかかりますし、他の可能性を狭めてしまいますからね。
