自分を制限しているものを観て限りなく壊せ

「自分を制限しているものを観て限りなく壊せ」なんてな大それたタイトルです。少なくとも自分を制限しているものを見極め、それをどんどん壊していきましょう。

だいたいうつ状態の時は、ちょろちょろと「うつ改善にプラスになること」を試みる方向で考えてしまいますが、ゆるやかに改善していくというアプローチには限界があります。

特に精神の上では、壁を壊すように破壊力を伴ったような思い切りが必要な時があります。

そういうわけなので、今回は自分を制限しているものを明らかに観てぶち壊すという方向性でお送りします。

破壊衝動を大切にしよう

概ねうつ状態にある時は忍耐がセットになっています。

忍耐が限界に来て体も弱り「何も考えたくない」という感覚がどんどん増してしまいます。

精神の上でも気力がなく、同時に体も弱ってくるので悪循環です。

そんな時は思い切って破壊衝動を大切にして、自分を制限しているものを壊しにかかりましょう。

そういう僕はどうなのかというと、理解者のおばあさんとの一間の際、一度死んだようなものだと思っているので特に怖いものがありません。

もちろん苦しいのは嫌ですし、恐い人達に無駄に挑んでいくということはしませんが、いつも次のようなことを考えています。

「適当なことを言うような義務教育の成れの果てに、制限などされてたまるか」

というような感じです。

例えば、哲学系や仏教系の話になると、自分の頭でも考えず、人を救うどころか迷いの道に誘っているような「親の遺産のようなもので食べているようなカルト集団」の意見などに惑わされてたまるか、というような感覚です。

医療費はきちんと徴収する割に、何もできないような精神科医や人を実験材料くらいにしか思っていないウンチクばかりの心理学者などに心を語られてたまるか、というような感じです。

それでも世間では、「その業界に精通しているというわけでもないし…」とか「専門家は専門家で権威があるから…」というような感覚で尻込みしてしまうという人がたくさんいます。

しかし僕の場合は折れることがありません。

なぜなら、常に「それがどうしたんだ?」と思っているからです。

そのような感覚で、自分を制限しているものを明らかに観て、それを破壊するような感覚で思いっきり事を進めてみてください。

酔った時にできることはいつでもできること

酔うと本音が出るということがよく言われますが、お酒に酔って言えること、お酒に酔っている時ならできることとというものは、物理的には「いつでもできること」です。

つまりただ単なる精神としての制限があるのみであり、言動自体には本来制限がありません。

そういうわけなので、酒を飲むことを勧めるわけではありませんが、成人している方であればいっその事酒でも飲んでみて、一切の制限がないならば自分はどうしたいのか、どうありたいのかを考えてみて衝動に任せるままやってみるというはいかがでしょうか?

例えば本音をぶちまけるという感じで事を進めてみたとしましょう。

そうなると、望んでいた状態とは異なる状態になってしまうかもしれません。

しかしながら、それでも「結局そういうオチなのだ」ということが「想像」ではなく「リアル」になるので、そんな関係を続けること自体が誤りだったのだということがわかったりもします。

そう考えると本音を隠して「そーろっといこう」なんてな感じでやりつつ蓄積していたモヤモヤが一気に解決したりします。

ボコボコにしてやればいい

僕はいつでも相手がしつこくやってくるのなら「ボコボコにしてやればいい」と思っています。

まあそうは思っていても、実際に何度も挑んできてくれる人がいないので実際は起こっていないのですが、いつでもどこでも「なんならボコボコにしてやる」ということを思っています。

やはりその根幹には、戒名代などと言いながら意味不明の暴利を貪り祇園に飲みに行っている坊主や、「私は知識を持っているんですよ」などと称しながら結局治しもできない精神科医や心理学者に対する「がっかり」があるからです。

「そうした輩になぜ制限までされなければならないのか?」

ということを本気で考えた場合、「関係ない」ということしか浮かんで来ないという感じになっています。

まあ今ではそんなことを思い浮かべもしませんが、まだまだ病中直後くらいだった頃は、そんなことをよく思ったりしました。

「結局相手に合わせたところで、何もいいことなんて無いじゃないか」というようなことも思ったりしていました。

世の中では、自分の都合の良いように事が運ぶようにということなのか、実質的なものはもちろん、空気感的に他人を制限するような事柄で満ち溢れています。

よりふんわりしたような領域であれば倫理道徳の領域やそれがもっとふんわりした「いい人像」なんかが利用されたりしています。

「別にいい人と思われなくていいから」

ということを思えるようになると、そうした制限などすぐにぶち破れるようになるはずです。

そういうわけで、二十歳過ぎくらいの時は、外でお酒を飲んだ時によく「タイヤの細いチャリ」を…

「はい!カッコいい!はい!オシャレ~!はい!コーヒーはグアテマラ産しか飲まないんですよねー!」

などとつぶやきながら…

そうした後は、やはりタイヤの細いチャリに乗っている「メガネ×ひげ」の輩を交渉でボコボコにしたりする自分がいました。

「そうした人たちでもお客様なのだ」

などという義務教育的な発想と、かつてタイヤの細いチャリにしていた行動に対する自分との認知的不協和が起こり、結局不協和解消のために「タイヤの細いチャリをなぎ倒していた自分」を選ぶようになったと言うような感じです。

別にそれで相手が去ろうと、去るような相手に用はないのでそれで万事オッケーということになります。

思い切りのきっかけを作る

まあ今ではそんな事は起こったりもしませんが、昔はよくふと「今、何が自分を制限しているんだろう?」といった具合に思いを馳せて、思い切りのきっかけを作ったりしていました。

もし気持ちがガチガチになっているのなら、短期的に散財するなり酒を飲むなり自分の好きなことをして、気持ちを緩ませた上で「今、何が自分を制限しているんだろう?」と自問自答するのも良いのではないでしょうか?

そうなると、浪費的な行動や飲酒と言ったことが単なる薬のような機能を持ちます。

しかしながら、それが医薬品であれ、薬を常用すること、依存することは身を滅ぼすのと同じです。

そういうわけなので、あくまで依存はしないようにして、短期的に思い切りのきっかけを作るために、そうした行動を取るという感じで良いでしょう。

アンビバレンスなんてな感じで、一つの現象と対峙した時、両極端な感情や複数の感情が起こることがあり、そのうちの「我慢した方」がモヤモヤを作っていったりします。

まあ日常のわかりやすいところで言えば、うまいものを食いたいという気持ちと、「でも高いなぁ」とか「でも太るしなぁ」といったような気持ちが一気に現れるような感じです。

この時の「でも高いなぁ」とか「でも太るしなぁ」というものが「自分を制限しているもの」です。

そんな感じでポイントとしては「自分の気持ちが楽になる方」を最優先にして、行動を選択するという感じです。

「偉い人なのか何なのか知らないが、それがどうしたんだ?」

という感じで、どんどん制限を壊していきましょう。

不安感を解消する極めて簡単な第一歩」で触れていた「関係ない」の人くらいでちょうどいいという感じです。

そんな感じで、自分を制限しているものを観て限りなく壊してみてください。

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