病人の認識について

病人に気を使いすぎると、かえってその人の治りが悪くなるという場合があります。病中のままの方がその人にとって都合のいいケースがあるからです。

そういう考え方の原因は、人にもよると思いますが、特に幼少期の記憶があります。学校はサボれる、テレビは見放題、ジュースとまではいかないがスポーツドリンクは買ってもらえる、周りが優しくなる、というような記憶です。

そしてもうひとつ厄介なのが、医者に通ってよくならないのに、まだ医者にばかり頼るという点です。もう特にできるようなことがなく、痛み止め程度しかしてくれることはないのに、病院にしつこく通ったりしています。それもいいですが、それ以外には全く目を向けません。

治すためにやって損はないような事柄

例えば食生活や運動量、睡眠など、他にも身体を治すにはやって損はないような事柄がたくさんあります。それを一向に変えずに「治らない」と被害者面を続け、医者のせいにして、周りに面倒を押し付けるのは少しおかしな話です。

休むのが今できる最大の仕事だと思って、休もうと思っても四六時中布団にこもっていては、思考の回転がダメージを与えてきます。怪我ならまだしも、安静にすることだけでは、たいてい良い方向には進みません。

医者も頼りにならず、さんざん苦しんできたのだから、そろそろやり方を見なおしてみましょうということを提案しますが、ほとんどの場合聞き入れてもらえません。そこには、「治ってしまっては都合が悪い」という抵抗感があるからです。

これはうつ症状の場合にも起こることがあります。

「うつ」という成功法則から脱却しよう

そして、もうひとつ、笑っているから明るい、というのと同様に、具合が悪い素振りをしているから本当に具合が悪くなる、というものがあります。

「具合が悪い素振りをしていると本当に具合が悪くなる」のを自分の体で実験

実際に自分で実験しましたが、「上司に自分の表情を悟られないために」と、マスクをしていると数日後に風邪をひきました。

風邪をひいて、まず一日休めて、嫌な上司の顔を見なくて良くなったのでも万々歳ですが、その後もマスクをして職場に向かいました。

そうすると、気を遣ってか、やはり上司はあまり声をかけてこなくなりました。

これはしめたと、マスクを継続してつけていると、肝心の風邪は治りません。二週間も三週間もしつこく喉の痛みだけは残ります。顔を隠せて嫌な上司が声をかけてこないのなら、「風邪をひいたフリ」だけでもいいのに、風邪も治ってくれません。

そのうち、普段は冬場に水で手を洗えばすぐに湯気が出るほど温かい「人間カイロ」の異名を持つ僕の両手も、両足も、冷え性のように冷たくなり始めました。

さすがに体調不良そのものがしんどくなってきて、マスクを取ることにしました。体育会系上司と接するのは嫌でしたが、別にもうどうでもいいと思いました。すると二日くらいで復活しました。

予防のためと謳われるマスクも考えものです。そのため、僕は予防接種の類も一切しません。健康診断も自発的には受けません。「把握しておかねばやばい」とか「もしかしたら自分もかかるかもしれない」という予測の方に気力を奪い取られる方が危ないと思っています。

「布団にこもって安静にしているのが一番の薬」は、時と場合によってウソですから、疑ってかかったほうがいいでしょう。ニートの方などは自分の体でそれを実証しているはずです。

病人の認識について 曙光 114

Category:曙光(ニーチェ) / 第二書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ