カテゴリー別アーカイブ: 第四書

曙光(ニーチェ) 第四書 曙光(ニーチェ)全記事一覧

種族の純化

ニーチェは、ナチス的だという偏見がありますが、ナチスがニーチェを利用しただけで、彼は全然ナチス的ではないどころか、それを批判していました。ニーチェの妹がナチスにハマって、ナチスのイデオロギーに利用されただけです。 いまでもナチスと同じようなタイプの人がいますが、「自分が嫌いだと思っている人の状況によって、自分の気分が変動するなら、自分の気分は相手のコントロール下にある。外界の状況の変更という条件が、心の安穏の条件になる」ということを、一度考えてみたほうがいいでしょう。 よく言う「あなたの為を思って言っている」という

» 種族の純化の続きを読む


お祭り気分

物思いに耽るようになりました。 ※(写真の方は僕ではありません) 最も熱烈に力を得ようと努力するほかならぬあの人間たちにとって、言葉で表し得ないほど快適であるのは、自分が圧倒されていると感じることである!渦巻きに沈むように、突然、深く、ある感情の中に沈み込むことである! ― まあ何という全くの無力さ!根源的な力に翻弄されて! ― もしわれわれが、一切のものを呑みこんで圧しつぶす印象にいつか一時的に身を捧げるとすれば、― それが近代的なお祭り気分なのである! 曙光 271 抜粋 お祭り気分 曙光 271 関連している

» お祭り気分の続きを読む


外見上の寛容

高校生くらいの時に何度か引越のバイトをしたことがあります。 その内の一回は、若い女性の引っ越しだったのですが、引っ越しが完了すると、ロングヘアの40代位の男性がやって来ました。 その男性は、その当時、京都ファミリーでやっていた催し物のジャグリングショーの人に似ているので、「ジャグリングショー」という名前で記憶しています。 引っ越し完了時に、おもむろにソファーに座り、女性の腰に手を回し始めました。そして当時高校生だった僕に語り始めました。 「この部屋は倉庫代わりさ。隣にも借りてある」 ほう。 「僕はこの子を養っている

» 外見上の寛容の続きを読む


病人と芸術

あらゆる種類の悲観や魂の悲惨に対しては、まず食事の変更と肉体的な荒仕事を実験すべきである。しかし人間はこの場合、麻酔剤に手を伸ばしがちである、―  たとえば芸術に。それは彼らにも芸術にも禍いとなる!諸君が病人として芸術を熱望するなら、諸君は芸術家を病気にしてしまうことに気がつかないのか? 曙光 269 うつ気味になった時は、食事の変更と、体を動かすということをまずした方がいいでしょう。高血圧気味でも、薬をのむ前にそういった事をまず行ってから検討したほうがいいのと同様に、何でも医者の言うことが正しいとは限りません。誤

» 病人と芸術の続きを読む


演説家のスキラとカリブディス

アテナイでは、聴衆を形式によって反撥させたり、形式で本題から逸したりすることなしに、本題のために聴衆を獲得すということは何と困難であったことだろう!そのように書くことは、やはりフランスでも何と困難なことだろう! 曙光 268 曙光内の注釈によると、スキラはカリブディスに面する洞穴に住む海の怪物の女、カリブディスは、スキラと相対した海の渦巻きの擬人化された怪物の女、だそうです。 もう少し詳しく注釈がほしいところですね。東洋文化圏には馴染みの薄い話です。こういうことだけを書かれても意味がぜんぜんわかりません。 「行く手

» 演説家のスキラとカリブディスの続きを読む


ニヒリズムの義務教育解釈

なぜこのように誇り高いのだろう!

高貴な性格が野卑な性格と相違するのは、後者が前者と同じく若干の数の習慣や視点を持ち合わせていないことによる。すなわちそれらの習慣や視点は、後者にとっては偶然にも相続されておらず、また仕付けられてもいないのである。 曙光 267 つい先日、「なぜこのように崇高なのだろう!」という見出しがあったにも関わらず、すぐにこういった事を言い出す癖がニーチェにはあります。 ニーチェはその文体にも表れるように、気分的なものが多いですが、それがやたらと的を得ていることが、面白い点ですね。「積極的ニヒリズム」ひとつとっても、厳密な論理

» なぜこのように誇り高いのだろう!の続きを読む


優美さがない

彼には優美さが欠けており、それが分かっている。おお、何と彼はこれに仮面をかぶせる術を心得ていることだろう! 曙光 266 「イメージ作り」という事を商売にしているような人がいます。ビジネスの場において、好印象を得れるようにその人をプロデュースするといったことのようです。 声のイメージなどもプロデュースすると謳っていましたが、当の本人が野暮ったく、京都で言えば「もっさい」の部類に入るような人です。 その人は、事あるごとにSNSで、高級車を乗っている人の高級車の写真などにコメントを加え、情報操作と、「知り合いにも持って

» 優美さがないの続きを読む


演劇はその時をもつ

ある民族の想像力が衰えると、その伝説が舞台で上演されるという傾向が生じる。今や民族は想像力の粗雑な補充品を我慢するのである。 曙光 265 前半 昔の曲のカバー曲などを聴くと時に寒気がすることがあります。 オリジナルと同等以上の味があるのならばいいのですが、「なか卯」などで流れるようなカバー集のような曲は寒気がしました。その理由がよくわからなかったのですが、最近ではよくわかるようになりました。 それは、オリジナル楽曲を音符に変換して、音符をなぞっていることにあります。それは初音ミクだけで十分です。 せっかく楽譜に表

» 演劇はその時をもつの続きを読む


思い違いをしたがる

自称アーティストの方々は、よく思い違いをしたがります。アーティストの特性を分析し、その分析結果を元に自分を当てはめようとし、他人からはそう勘違いされるように仕向けていきます。 「何かつかみ所のない不思議な存在」 自称アーティスト、自称芸術家の方々は、特にこのような属性を自分に帯びさせようと努力します。 努力している時点ですでに違うのですが、あまりに平凡な考え方を持っているとアーティスティックには見えないので、ひとまず人と違うことをしようと考えます。 脱社会や自然への回帰 そこで向く方向は、脱社会や自然への回帰などで

» 思い違いをしたがるの続きを読む


具体的で生き生きとした矛盾

世の中には雰囲気だけで話していたり、人から聞いたことを吟味すること無くさらに人に説き、矛盾したことを話していることに本人が気づいていないという場合がよくあります。 「一見矛盾に見えてしまうが、隙間のニュアンスで読み取って欲しい、そうすれば解釈によっては矛盾しない」というような場合ならばよいのですが、そのようなレベルの話ではありません。 矛盾というと、一種の情報が多すぎる状態であり、ある定義に相反する複数の情報が組み込まれていたりするものを指します。「さっきはああだと言っていたのに、それじゃあこの場合はどうなるんだ?

» 具体的で生き生きとした矛盾の続きを読む


力の魔物

必要でもない、欲望でもない―否、力への愛こそ人間のもつ魔物である。人間に一切のものを、健康を、栄養を、住居を、娯楽を与えよ。― それでも人間は相変わらず不幸であり、気まぐれであるだろう。というのは、魔物が待ちに待ち、満足しようと望んでいるからである。人間から一切のものを取り去れ、そして魔物を満足させよ。そうすればそれらはほとんど幸福になる。― まさしく人間や魔物たちがなり得る限りの幸福になる。 曙光 262 前半 「力への愛こそ人間のもつ魔物である」ということで、力への執着は一種の魔物です。 「力が欲しい」と思った

» 力の魔物の続きを読む


なぜこのように崇高なのだろう!

おお、私はこの動物を知っている!もちろんそれは二本脚で「神のように」闊歩する方がそれ自身には好まれる。― しかしそれが再び四本脚に逆もどりするなら、私にはその方が好ましい。その方が、全く比べようもないほどそれにとっては自然のままなのだ! 曙光 261 「二本脚」ということで、まずは小学校の時の絶望的な先生からご紹介していきましょう。僕が一番最初に「どうしてこの人から教わっているのだろう」と感じたエピソードです。 絶望的な先生 「二本脚だ」、と思い浮かべるのは人間ですが、鳥はみんな二本脚です。 小学生の時に「鳥の足は

» なぜこのように崇高なのだろう!の続きを読む


従属的な人々のお守り

支配者に従属することの避けられぬ者は、恐怖感を起こさせて支配者を抑制するような何ものかを、例えば正義とか、率直とか、毒舌とかを所持するべきである。 曙光 260 図体だけ見れば、勝てそうにないようなものでも、その対象が意識を持っているようなもの、つまり生命体であれば、意識に働きかけることによって物理的な限界を超えることができます。 社会構造上、支配者に従属することが避けられない場合や組織の大きさに怯んでしまうという場合でも、見方を変えれば想像した限界を乗り越えることができたりします。 実際に起こっている出来事よりも

» 従属的な人々のお守りの続きを読む


かつて讃辞を述べた者

10年位前、ライブドアという会社が話題になったことがあります。その時の様はよく覚えています。政治家や芸能人までもが堀江氏を持ち上げ、潰された途端に、意見をくるっと180度変えた様子をです。 彼を支持すると具合が悪いということになるのでしょうか、急に態度を変え始めました。 では、彼のどんなところをまず支持していたのでしょうか。かつて讃辞を述べた者たちは、何を支持し、その後何をもって支持しなくなったのかというようなところに疑問を持ったりしました。 支持するような意見から急に真逆の意見に 面白いことに会社の休憩室での話題

» かつて讃辞を述べた者の続きを読む


犬にお世辞

犬は特に好きでも嫌いでもないのですが、犬を飼う人は、犬に対しての態度よって嫌いです。どういう点が嫌かというと、人間側の都合なのに犬側の都合かのようにすり替えて正当化して居直る点です。 本当に犬のことを考えているのか疑問です。人間の思考の産物である主義やマナーなどで勝手に去勢したり、「もっとかわいく」と人間の感情のために、毛にハート型のブリーチをしたりします。理解できません。 馬を経済動物と呼んだり、犬を愛玩動物と勝手に定義するのは人間です。馬にしろ犬にしろ大迷惑でしょう。 そしてなぜか動物には価値が付けられています

» 犬にお世辞の続きを読む


われわれの心に浮かんでいる言葉

われわれは、自分の考えをいつも持ち合わせの言葉で表現する。あるいは私の疑念の全体を表現すると、われわれはどの瞬間にも、それをほぼ表現し得る言葉をわれわれが持ち合わせているような、まさにそういう考えだけしか持たないのである。 曙光 257 語彙の数だけ思考の幅も変わるといったことを聞いたことがあります。単語ごとに定義は異なり、ニュアンスは異なっていくので、より仔細な表現、厳密化が可能になるというものと、もうひとつ、思考対象の領域が広くなるというものです。 一つの単語を見たり聞いたりした時に浮かんでくるイメージも変わっ

» われわれの心に浮かんでいる言葉の続きを読む


悪人たちの幸福

― 悪人たちの幸福 それは、衝動によって駆り立てられ、社会に洗脳されたまま恐怖心に怯え、罪悪感を許容し得たお金で、「優越感」や本能的欲求を満たすこと、といったところでしょうか。うーん、他にもありそう… さて、今回は、先日「受けた」というよりも「付き合いで同席した」セミナーの感想とでもいきましょう。 自己啓発洗脳組のありがたいお話 いやいや、今回はゆるく行きましょう。カタイような表現ばかりで疲れる、というようなことを避けるために、という試みです。その方がスイスイ書けるような気がしたということでゆるゆるで行きます。 今

» 悪人たちの幸福の続きを読む


音楽についての対話

自分の中では当然でも、人には理解されないことがあります。 しかし、相手が自分には理解できないようなことを言うからといって、その人の頭がオカシイと決めつけてしまうのは少し早急です。 千原ジュニアさんの「14歳」で、「太陽を紫で描いて叱られる」というシーンがありましたが、同じような経験があります。 しかし、その時の僕は「先生はおそらくオレンジか赤で描いて欲しいのだろう」と、気持ちを汲み取って、先生に合わせてあげた、という記憶があります。 首を傾げ続けたカウンセラー 十代の時に何度か、半ば強制的にカウンセリングというもの

» 音楽についての対話の続きを読む


先取りする人々

詩人的な性格の人々を特徴づけるもの、しかし危険であるものは、彼らが余すところのない想像力である。起こるであろうこと、起こるかもしれないころを先取りし、先取りして享楽し、先取りしてまねき、そして待ちかねた出来事と行為の瞬間になると、もう疲れているような想像力である。 曙光 254 だいたいの事に予想がつくようになると、だんだん何事も楽しくなくなっていきます。想像を超えるものを求めて、もっと刺激的なものを、と求め続けても、それにはキリがありません。そのうち「まあこんなもんだろう」という感覚ばかりばっかりになっていきます

» 先取りする人々の続きを読む


実見

困った!困った!われわれが最もよく、最も頑固に証明しなければならないもの、それは実見である。というのは、あまりにも多くの人々には、それを見る目が欠けているからである。しかしそれを見ることはとても退屈である! 曙光 253 実見とは、その場にいて目で見て確かめる、その場に居合わせることで実際にそれを見るということになりますが、「見ることは退屈で、見る目が欠けている」ということで、この実見について触れていきます。 ひとまずは「退屈」の路線から見ていきましょう。 一種の退屈 目の前がただの絵や動画のようになった時、そこに

» 実見の続きを読む


考慮せよ

罰をうける者は、行為をしたものともはや同じではない。彼はいつも罪を贖(あがな)う山羊なのである。 曙光 252 「本を読めば、本を読む前とは別の人間になる」、よく言われるキャッチコピーのようですが、確かにある経験をする前とした後では、当然に別の意識を持っているので別の人間になります。 本を読む前と読んだ後では、意識の中に入っている情報内容が変化するので、少なからずは変化するはずです。 しかし、癖というものはなかなか取れません。 これは、行動の元になった原因が消滅していないと、また同じようなことをするという因子を内在

» 考慮せよの続きを読む


ストア主義的

ストア主義者が、自分で自分の行状に命じた儀式ばった態度のために胸苦しく感じるときに、ストア主義者の快活さが生じる。彼はそのとき、自分を支配者として享楽するのである。 曙光 251 一種の苦行による快楽のような構図です。自制、自戒により自らを知的で本能に支配されていないとの「確信」を得るための一つの指針が、胸苦しく感じる瞬間です。自分で自分に命令しているという、支配者としての自認という構造になっていますが、支配していると思わなければならないと渇望している根底には、コントロールしなければならないという、条件付け、そして

» ストア主義的の続きを読む


夜と音楽

昼に聞く音楽より、夜のほうがなぜか盛り上がってしまいます。 よく言われるのは、日の明るい内、特に午前中は思考が優勢になり、日が暮れてくる頃からだんだん夜になるにつれて、感情が優勢になってくると言う点です。 だからこそ、感情的になりそうな話し合いは午前中にした方がいいと囁かれます。確かにその方がいいかもしれませんね。 しかし早朝というものもなかなかいいものです。騒がしくなく、いろいろなモノに耳を澄ませるには最適な時間帯でしょう。 例えば「ソラニン」一つとっても、昼間、夕方、夜、早朝で少しずつ趣が異なってきます。 ソラ

» 夜と音楽の続きを読む


義務としての偽装

親切ということは、親切に思われようと努める長い間の偽装によって、最も多く発展せしめられてきた。偉大な力が存在したところではどこでも、ほかならぬこの種の偽装の必然性が認められた。 曙光 248 前半 特に偉大な力でなくとも、偉大な力かのように見せる集団での圧力と、そのイメージからの習慣による「疑いも呼び起こさない常識」が、親切に思われようとする一種の偽装的な生き方をするように、自然の中に溶け込んでいるかのようになっています。 「親切さ」は恣意的な別の目的のために偽装されることもあります。しかし一方でそうした可能性ばか

» 義務としての偽装の続きを読む


誰が一体いつか孤独になろうか!

恐怖心をもつ者は、孤独とは何であるかを知らない。彼の椅子の背後にはいつも敵がいる。― おお、孤独と呼ばれるあの繊細な感情の歴史を、だれがわれわれに語ることが出来ようか! 曙光 249 孤独が嫌だからといってある対象と一つになりたくても、それには限界があります。いくら近づいてもそれ以上は近づけない、そして同化したくてもできないということは、想像しただけでも十分にわかります。 意識の上である程度同化するようなことはできます。しかし、一つになったわけではありません。 ― 孤独とは一体何なのでしょうか? 孤独とはもちろん「

» 誰が一体いつか孤独になろうか!の続きを読む