時の流れに身をまかせ

目標を定めなければ達成しない、なりたい自分を想像しないとそのようにはなれない、そんな脅しを聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。

しかしながら、「アイツ」の範囲で考えてイメージした世界は、アイツの妄想ばかりといった感じになっています。

「無意識の中で実は勝手に目標を定め、なりたい自分を想像していたら」という場合を、セミナーで数十万取るような人はあまり知らないかもしれません。

彼らはまた聞きした内容を人に説いているだけです。

そして、初めてそれを聞いた時に、意識のブロックというか思考のストッパーが外れて、一時的に興奮状態になって、変性意識のまま、「人を幸福に導く仕事」などと称して、お金をボッタくっているに過ぎません。

彼らは被暗示性がとても強かっただけ、そんな彼らもいつかは目を覚ますかもしれません、覚まさないかもしれません。

確かに、一時的にすごいことを達成できたりするでしょう。

ただ、その達成自体が無意味なことに気づいたとき、その先に何を見るのでしょうか。

目標を明確にすることで、意識が集中して、すごい結果を生み出すことができます。

裏を返せば、普段それだけ何かに集中していないということです。

ふとしたきっかけで、すぐに意識は他のものへ向けられます。

それをいけないこととするのは、使用者側、組織の管理者の意見であって、個人的には問題ありません。

抽象的に

常に「定めろ」と脅迫してくる内容は、結構具体的だったりします。

具体的なものでもいいですが、それは、変に段階を設定してしまって条件を定めてしまうため、幅がききません。

よく営業目標を書かせたりしますが、同じようなことで、自己啓発系は「いついつまでにどれだけの資産を」みたいなことを書かせようとします。

それはそれで構いません。それが向いている人もいるでしょう。

でも、結局営業目標にしろ何にしろ、一度抽象化していくことも面白いのではないでしょうか。

営業目標を達成したい理由から「一人前だという自信」「給与アップ」「みんなからの尊敬」

それらをさらに突き詰めていくと、「自由」「幸福感」「安心感」「喜び」

などの単語に変わっていくかもしれません。

結局、宗教臭い単語になります。

そこで宗教のだましが入ったりしますが、そんなものに救ってもらおうとしてはいけません。

もう身をゆだねてしまいましょう。

自分に、勝手に進む世界に。

目標を定めろというのは、義務教育の成れの果てです。

「うーん、困ったなぁ、先生が先生らしくアドバイスができない」

その程度です。

もっと自分を大切に。

時折勝手に出てくるイメージだけを大切にしていくくらいでいいでしょう。

いつかそんな自分すら他人事のように思える時が来るかもしれません。

そうなると、望んでいたことがすべて実現していることに気づくかもしれませんね。

Category:さよなら私 / 自分なくし

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