タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

認識と美

人間たちが依然として行っているように、彼らの尊敬と幸福感とを、想像の仕事と偽装の仕事とのためにいわば取って置くなら、想像と偽装とが対立する場合、彼らが冷淡と不快を覚えても驚く必要はない。 曙光 550 序 どんな業種にも共通して言えることですが、概ね抽象的な本質を掴んだものだけが勝っていきます。 おそらくこのあたりのズレが、ぽっと出の居酒屋なんかをすぐに廃業に追い込んだりしているのでしょう。 特にそれほど好きではないのですが、スティーブ・ジョブズなんかはその本質を捉えることに関しては天才的だったと思います(といって

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よりよい人間たち!

社会をより良くしていこうとするのはいいのですが、たいていの場合弱者にばかり合わせる形で玄人を制限し、あげく「選べない」という形で辟易させ、結果社会の加速を制限していることにそろそろ気付きましょう。 すごくわかりやすいのはガスコンロでしょうか。 「天ぷらを揚げている途中に電話がかかってきて長電話になり、天ぷら油から火災が発生」 という事が多すぎて、強火のままでいきたいのに「カチッ」と勝手に弱火になり、調理の流れが制限されるということが起こっています。 またそのセンサー的出っ張りのせいで軽めの鍋が傾くということがよく起

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精神の暴君たち

小さな個々の問題や実験は軽蔑すべきものと思われた。人々は一番の近道を望んだ。世界のすべてのものは人間によって整えられているというように思われたので、事物の認識可能性もやはり人間的な時間の単位によって整えられていると人々は信じた。一切を一挙に、一言で解決すること。― これが密かな切望であった。 曙光 547 中腹 宗教的なものは代表例として当然ですが、一種の経済的民間信仰のようなものも、人を盲目にしていきます。 自由な状況で自由に思考するよりも、わかりやすい「神」などを設定したほうが、全てを一気に解決できるというよう

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奴隷と理想主義者

奴隷と理想主義者ということで、いかにも奴隷で理想主義者っぽく映る人々について書いていきましょう。 日本でも2017年時点で戦後70年ちょっとくらいですが、終戦直後は焼け野原、その頃は今とは随分違った「普通」があったはずです、その後高度経済成長期などを経て、何故か日本のスタンダードのようなものが確立しているかのような風潮があります。 歴史としても半世紀くらいで、しかも状況は様変わりしているはずなのになぜか人生観だけは固定化されているような変な風潮です。 20歳位の時、つまり活字中毒の時に、よくこんなことを考えていて、

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大政策について

国民同様に個々人の利益と虚栄心が、どれだけ多くの大政策に協力しようとも、それを前進させる最も力強い流れは、力の感情の欲求である。 曙光 189 序 政策なんかをみていると、何かをやればポンコツでスベりつつ、結局一部の人達を制限しているばかりのような気がします。 特に最近の京都なんかは、対外的な見栄ばかりのような気がします。 まあ政策云々というよりも社会の流れが、毎度のごとく「意識しすぎて若干ズレている」という感じです。 弱者とされる人達や外国人にばかり合わせ、そうした人たちを意識しすぎてやることなすことが「若干ズレ

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信者の値打ち

自分が信仰されることに重点をおき、この信仰に対して、だれにでも― たとえ十字架上の犯罪人であっても― 天国を保証する者は、恐ろしい絶望に苦しみ、あらゆる種類の苦業を知った者に違いない。そうでなければ、彼はその信者をそんなに高く買うことはしないであろう。 曙光 67 曙光の一書は、宗教絡みが多いですね。 信者の値打ちということで、催眠商法のようなものについてでも書いていきましょう。催眠商法の現場に潜入し、その実態を垣間見たことがあるので、その時の様子についてです。 催眠商法は、SF商法なんてな呼ばれ方をすることもあり

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必要な犠牲

「何かを成し遂げるためには、何かを犠牲にしなければならない」 はい。体育会系ですね。 ということで、特に何かを成し遂げなくてもいいですし、何かを犠牲にすることもありません。犠牲がないと何かを手に入れなれない、というようなことを思う必要はありません。 必要な犠牲ということで、何かのためには、何かしら犠牲が必要であるという様な論調がよくあります。 犠牲が必要だとか、必要悪だとかそういった類のやつですね。 それは本当なのでしょうか? 犠牲の必要性を説くために、すぐに有名人を出して犠牲を美徳化しようとします。客観的に見た感

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人間と国民は何によって光沢[ツヤ]が出るか

われわれがそれを行う前に、誤解されることを見抜いたり邪推したりするために、どんなに多くの純粋に個人的な行為が中止されることであろう! 曙光 529 前半 まれに、自分で「交渉上手だ」と思っていながらも、結局損をしている人がいます。 確かに「厚かましいお願い」でも、プラス10%くらいのオマケなら、ゴリ押しで何とかなります。 でも短期的には得をしても長期的に見ると損をしている人が案外多いのです。 「厚かましいお願い」やゴリ押しで、その場は得しているように見えますが、結局大きなものを失うという感じになっていきます。 とい

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考えうる将来から

すごく単純なことなのですが、「夢と責任」などで、安易に夢を聞くこと自体が夢を潰している可能性があるということについて触れたことがあります。 幼い時、若いときの少ない情報量でカテゴライズされた中から一つを選ばせるということは、視野を狭め、その他の可能性を排除することになりかねないからです。 そんな時期に「将来の夢は何?」と聞くことは、様々な分野、可能性への興味関心を奪ってしまう可能性があります。 さて、僕が小学校低学年の頃は、インターネット自体が存在していませんでした。おそらく一応存在はしていましたが、まだまだ軍事利

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狩猟

あの人は快適な真理を捕らえようとして狩猟をする。この人は― 不快な真理を。しかし前者もやはり獲物よりも狩猟の方が好きなのである。 曙光 396 狩猟ということで「狩猟免許」の案内を思い出しました。狩猟の発想から、食物連鎖の域を越え、特定の動物を経済動物と呼んだりすることで、己の良心を説得しながら、己の快楽を追求しています。 そう言えば先日銭湯に行った時にテレビがついていて少し見ていたのですが、福島かどこかで猪が街中をウロウロしているという特集でした。 事あるごとに、「猪が悪い」と結論づけようとしますが、別に猪が悪い

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耳をもたない賢明さ

われわれについて語られたり、賞賛されたり、非難されたり、期待されたり、希望されたりしても、それに耳を傾けないようにしよう。それについて考えることすらしないようにしよう! 曙光 522 後半 耳をもたない賢明さということで、人を意識したり、人の意見に翻弄されることのない賢明さについてでも書いていきましょう。 人を見返してやろうとか、人の期待に応えようとか、そうしたことを繰り返している限り、大したことはできませんし、心の安穏を感じることはできません。 「人から影響を受けてしまう」というのは、ある地点に到達しない限り避け

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「もはや私のことを思わない。」

まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼がまったく好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛び込むのは、なぜか?同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。― と無思慮がいう。 曙光 133 序 「サービス精神で世話をすると、相手の欲を刺激してしまうことになるのだ」 最近はそんなことをよく感じます。 考えてみれば、不良のお母さんは、その人をよくよく世話していたりします。世話をすればするほど、相手はそれが当然だとも思ってきますし、恩を感じるどころか「

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欺かれる

諸君が行為しようと思うや否や、諸君は懐疑への扉を閉ざさなければならない、― と、行為する者がいった。― しかし君は、このようにして欺かれた者になることを懸念しないのか?― と、瞑想的な者が答えた。 曙光 519 欺かれる(あざむかれる)ということで、「選択肢から選ぶ」ということをもって欺かれてしまうという面についてでも書いていきましょう。この「欺かれる」の「欺」は、もちろん欺くことであり、詐欺の欺です。 だいたい思考が働いている時は行動がストップします。 道が二手に分かれていて、どちらにしようかと検討している時は、

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実務家

諸君の実務― それは諸君の最大の偏見である。それは、諸君の現場や、社会や、傾向に、諸君を結びつける。 曙光 186 前半 人にもよりますが、中高生の時は、つまらなさそうな大人を見て、そして、大学に進んだりすると、理論と実務との乖離に頭を悩ませる事があります。 だいたい学校で学んだことや資格取得の際に学んだことだけでは実務レベルで全然通用しないという感じになっていますし、学んだようなことと実務上の取り扱いとがあまりにかけ離れていると頭が混乱し、時に怒りが生じることもあります。 例えば、法律を勉強して理屈を学ぶという感

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自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!

すなわち自我[エゴ]を避け、憎み、そして他人の中で生き、他人のために生きるということを― これまでわれわれは、確信を抱いて、また同じように軽率に、「非利己的」したがって「よい」と呼んできた! 曙光 516 文末 「自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!」ということをニーチェが書いています。 一応、彼の言う「エゴ(ego)」は自己中心的というような意味になるでしょうか。僕の言う「アイツ」とは若干ニュアンスが違うような気もしますが、詳しくはニーチェに聞いてください。 「和を以って貴しとなす」 なんてな言葉もあり

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礼儀の条件

慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように、丁寧過ぎる対応で逆に相手に対する皮肉を込めているようになってしまうというパターンもあります。 礼儀の条件ということで、礼儀について触れていきますが、これは一種の洗脳であり、意識的な結界でもあります。基本的なマナーというものは「相手を不快にさせない」というものであるはずなのに、礼儀が形式的になった故に、「礼儀がなっていない」という無駄な不快感を呼び起こすものにすらなっています。 礼儀を重んじろというのはミスター脳筋こと孔子が統制のために説いた道徳です。礼儀を重んじると

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発想が予算制の公務員的な人たち

まあお口直しということで、久しぶりに会社経営と商いカテゴリに投稿してみましょう。「発想が予算制の公務員的な人たち」という感じで、予算制の組織と同じような感覚でいる人達への警鈴的な感じで、経済の基本的な仕組みがあまりよくわかっていない人たちについて書いていきます。 よく「もっと平等に」みたいなことを言う人がいますが、そういう人たちの言いたいこともわかるにはわかるのですが、根本的なところを見落としている人が数多くいます。 それは、その人達の中では、「収益は一定で、あとはどう分配するかの問題だ」と本気で思っているという点

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すこし重すぎる

とても正直ではあるが、愛想がよいとか愛すべき人物であるとかいうにはすこし重すぎる人々は、お愛想をいわれるとたちどころに、まじめに世話をやいたり自分の能力を提供したりして、これにこたえようとする。 曙光 389 前半 世の中には「甘え上手」というタイプの人がいます。 相手にしてはいけません。 なぜならその人達は甘えるのが上手いため、世話をしたとしても、そのお世話に対しては何も思わないからです。 ほとんど当然のことのように思っており、むしろ一度世話をすると、その次に世話を断ったときには拗ねるか、怒り出すか、関心をなくし

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良心の疚しさのない悪事

良心の疚しさ(やましさ)のない悪事ということで、洗脳されてしまった人たちによる「良心の疚しさのない詐欺的営業」についてでも書いていきましょう。 「本当に頭の中はどうなっているんだろう?」 と、僕にはあまり理解できないような人たちがいます。 いい人なのですが、疚しさなく詐欺を行っているような人たちです。 ご本人は良心の疚しさなく仕事という社会的な活動をしているつもりでしょうが、売っている物自体が詐欺的商品である場合もあります。それを詐欺的商品であるかどうかを見抜けないというか、見抜こうともしないというのはどうなのか、

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結婚前の熟慮の見本

もし彼女が私を愛するとすれば、長く続けば彼女は私にとってどんなに重荷となることであろう!またもし彼女が私を愛さないとすれば、長く続けば彼女はそのときようやく私にとってどんなに重荷となることであろう!二つの違った種類の重荷が問題であるにすぎない。― それゆえわれわれは結婚しよう! 曙光 387 モテないが正しい、ということをいつも言っていますが、あまり理解されないような事柄ですので、もう少し深く書いてみようと思います。 男女ともに、本当にモテないが正しいということを悟った時、どうなるのでしょうか? 男女ともに、モテを

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うぬぼれの強い人々

われわれは陳列店のようなものである。われわれはそこで、他人が与えてくれるわれわれの特質なものを、自分でいつも整頓したり、覆い隠したり、光に当てたりする。ー 自分を欺くためである。 曙光 385 男女ともにうぬぼれの強い人はいつの時代でもたくさんいます。「うぬぼれがかっこ悪い」ということが問題ではなく、うぬぼれの根底は恐怖心であるというようなことが問題です。 うぬぼれは、他人に対して主張しているとか、意識の中で作り上げた架空の他人を説得しているような構造になっており、根底に恐怖心や分離という感覚がない限りそうしたもの

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無政府主義者の産物としての国家

馴らしつけられた人々の国には、依然として馴らしつけられない残余の人々が存外いるものである。 曙光 184 序 「無政府主義者の産物としての国家」ということで、無政府主義(アナキズム、Anarchism)について書いてもいいのですが、政府が正しいわけでも無政府主義が正しいわけでもないというようなことについて触れていきましょう。マジョリティだからと言って正しいわけでもなく、逆にマイノリティだからといって正しいというわけでもないという点です。 たまに言っていることがありますが、世の中の普通が正しいわけでもなく、常識が正し

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誘惑者

正直はあらゆる狂信者たちの偉大な誘惑者である。悪魔の姿もしくは美しい女性の姿をしてルターに接近するように思われ、ルターがあのような無作法な仕方で自分を守るために防いだものはおそらく正直であったのであり、しかもひょっとすると、一層珍しい場合ではあるが、真理でさえあったであろう。 曙光 511 誘惑者ということで、キレイになろうとするような人について触れていきましょう。美貌こそが誘惑の武器であると思っている人たちです。 エステ経営者に聞いたことがあるのですが、美しくなろうという動機は同じであるものの、すごい恐怖心のもと

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いわゆる動機の戦い

そこでわれわれは、動機の戦いを、様々な行為の可能的な結果の比較と取り違える。― 最も効果があり、そして道徳の発達にとって最も宿命的な、取り違えのひとつである! 曙光 129  文末 根本的な動機を探ってみるということを試みた場合でも、頭で考えていては、全然根本的ではないことを「根本的な動機だ」と結論づけで納得してしまうことがあります。 面接などで「志望動機は何ですか?」というような質問項目がありますが、ウソはすぐにバレますし、何となくそれとない、優等生的な回答をするしかなくなってしまうことがよくあります。 まあ営業

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彼の「個々の物」を知る

はじめてわれわれを見る知らない人の眼には、われわれが自分自身そうであると考えているものとは全く違って見えることを、われわれはあまりにも忘れやすい。印象を決めるのは大ていは目につく個々の物以上の何物でもない。 曙光 381 前半 以前、「優美さがない」の「パーカーとスーツ」で少し書いたことがありますが、見た目で判断する人は実に多いような気がします。 見た目で判断されるからこそ、高級車や高級腕時計なんかで対人関係のアドバンテージを稼ごうとするのでしょう。 世間はそんな感じですが、僕は最近営業マンと会ったときなど、Tシャ

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