「幸せ」というのが本来の基本です。
しかしながら「そんなわけないよ」という実感のある人が大半なのではないでしょうか?
苦悩というものは、ほぼすべて「思考という暴れ馬」によってもたらされます。「それだけ」ということはないですが十中八九、その思考とは「言語」です。
それで、世の中では言語を用いて「幸せになろう」というようなことを言う人がいます。言霊云々というやつですね。
ある程度それには正しさがありますが、ちょっとだけズレています。
少し視点をズラしますが、ドラマなどをずっと観続けていたりする人がいます。それは、自分の思考を働かせないようにというような「思考の抑制」のためにやっています。
しかしそれが正解かと言うと、そうでもありません。頭の情報が乱されたり、疲労が蓄積したりもするからです。
では、どうすれば、言語をスマートに抑制し、苦悩を感じなくなるのかということについてですが、行動な方法がいくつかあります。思考を止めるという点では、サマタ瞑想というものがあります。しかしこちらも万能ではありません。妄想が加速する場合もあり、危険性もあります。
もっとシンプルで安全なものがあります。
それがヴィパッサナーです。
その構造はいろいろと説明されているのかもしれませんが、端的には、次のとおりです。
苦悩の元凶=言語ということなのであれば、言語の利用法として、「今現在の体感、体の動きのラベリングのみにし、妄想を抑制する」という構造です。
俗っぽく表現すれば、左脳が言語で過去や未来についての妄想をするなら、今を感じている右脳の様子を左脳で追うということをするという感じです。
不快感をどう解決するかという思考
実際によく観察すると、難しそうな問題についても、本来の構造はシンプルです。
「不快」が先にあり、その不快を「解消、回避するにはどうすればよいか?」ということを言語を中心とした思考がぐるぐるしている中、「解決策が見えずループしている」という構造です。
もちろん、何かしらの問題を解決しようと思うのは普通のことですし、それ自体は良いのですが、「不快」を軽視しすぎていたり、「社会的解決」のみを考えていたりで、かなり狭い範囲でぐるぐるしていることが多いというのが事実です。
この「不快」というのは、「特定条件に対して平均的な人より緊張しやすい」というものもよくあります。
しかしそこに劣等感を感じたり、「これは訓練で是正できるのではないか?」と考えすぎてしまったりすることがあります。
「そもそもやらなくてもよい」
というのが本当の解決策なのかもしれない中、解決しなければならない、と思い込まされていることがよくあります。
判断・決断・行動にそんなに思考は必要がない
実際に、頭が澄んでいると、判断・決断・行動にはそれほど時間はかかりません。
「なぜ判断できないのか」ということに対する不足情報や確認点の洗い出しと実際の調査など、本当のことを言うとやること、やる範囲などはしれています。
そのため、複雑そうに見える問題でも本来は数分で解決します。調査等が必要な場合でも、大まかな判断であれば1時間もかかりません。
しかしながら、「あれをやると、あいつの機嫌が悪くなりめんどくさい、その対応の不快感を考えると…」というような思考が起こると、判断や決断、実際の行動はどんどん遅れていきます。
そういう思考ループが「幸せ」を曇らせていくわけです。
思考が暴れ出した時
思考が暴れそうになった時にやることは単純です。
すべての動作に単純なラベリングをしてみましょう。
寝ていて息をしているだけなら、「膨らみ、縮み」というラベリング、歩いているなら「右、左」だけでも良いです。
何かの作業をしているときも、四肢にラベリングをします。
右足を動かして地面についたら「右足」、コップを右手で持ったら「右手」、左手でドアを開けたら「左手」と、体の触覚に合わせて、四肢のラベリングです。
それでも、それ以外のことを思考しそうになります。
なので、手綱を握って「思考という暴れ馬」を制御するということになります。
