今年に入ってから、おじいさんが遠吠えをする光景をよく見かけます。
見かけるというよりも僕がされることが多いのですが、
遠くで駄々っ子のように握りこぶし作りながら、
「ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!」
と体を上下に揺らしながら何かを主張してきます。
無視しています。
後で振り返ると大したことはないのですが、
たいていは、僕がいる場所に自転車を止めたかったとか、そういう感じです。
僕は僕で店から出てまだかごに荷物を入れたりしていて、出発まで少し時間がかかるという状況だったりするのですが、
その数十秒が待てないのか、
「ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!」
と遠吠えをしてきます。
たいていは小さくてガリガリの人です。
女のオチなし報告
また、それとは直接関係ありませんが、妻に絡んでくる保護者の方々の中には
「東京ディズニーランドに行ってきた」
とか
「韓国に行ってきた」
とか、そういうことだけを言う人がいます。
で、何かしらオチのある話でもあるならいいのですが、何の膨らみもないただの報告のようなことをされるようです。
意図としては自尊心の回復に「羨ましがられたい」というものがあるのかもしれませんが、
古今東西、特異性のある話、オチのあるような話でない限り、他人の旅行の報告などつまらないと相場が決まっているので、
「土産」
というものが存在しているということになると思っています。
極端に言えば、つまらない話を聞かされる側の立場に立って、つまらないものでも良いのでカウンセリング料的に土産を差し出すというような風習になっていると思っています。
そうしたものがどこかに追いやられているので、「つまらない投稿」だらけになっているのではないかと思います。
つまらない投稿であれば、見なければ良いので別に良いのですが、
「東京ディズニーランドに行ってきた」
「で?」
ということになります。
これは投稿でいえば「タイトルのみ、本文なし」です。
もう一度聞きます。
で?
せめて、東京ディズニーランドに最近できた何かがあってその特徴と実体験の感想を語るとか、行く道中のアクシデントとか、そういうのを含ませられないものでしょうか?
会話はInstagramではありません。
聞いた側は反応に困りますから。
職業柄、接客に慣れているとか、カウンセラーであるとかそういう人でない限り、その投げかけをうまくさばき、膨らませられるとは限りません。
そして反応の省エネのため、「いいなぁ」とも思わないのに「羨ましがっているような反応を無理にする」ということ一択でやり過ごさなければならないという感じになります。
これはやはり「サービス精神」のレベルではないかと思います。
「東京ディズニーランドに行ってきた、という一言だけだと聞いた相手は困るだろう」という予測です。
そして、別に東京ディズニーランドにはプラス面マイナス面含めて何の思い入れも無いのですが、
そうした「聞いた相手の心理変化を予測のできないつまらない人間」が、「楽しませてもらおう」と思っていくような場所のひとつとして機能しています。
それ自体はいいのです、東京ディズニーランドに楽しませてもらわないと日常苦悶するようなつまらない人間が、気安く土産もなしに「東京ディズニーランドに行ってきた」とだけ語りかけるな、ということを思ってしまったりします。
どうせ期待する最大値は、「羨ましがられること」です。
これはレトリック的な卑怯さがあります。
羨ましがられて自己満足、仮に羨ましがられないとすれば僻みと取って自己満足、つまりどちらにしても自尊心の補填を目的としています。
