「しないこと」への評価

11月は児童虐待防止推進月間ということのようです。個人的には児童愛護の方が表現としては良いのではないかと思ったりもしますが、直接的に虐待というものを防ぐということを意図しているので致し方ないのかもしれません。

個人的には「虐待をしないこと」への評価があまりにも意識されなさすぎているような気がします。

以前、「際限のない『何をどこまで』を防ぐ表現」で「不貪不瞋不痴」について少し触れましたが、「しないこと」への評価ということで、再度「不瞋(ふじん)」を評価することについて触れてみましょう。

とその前に、虐待の疑いがあった場合は189にお電話ください。

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「虐待をしないこと」への評価

「虐待をしないこと」ということに関していえば、万国共通、いつの時代でも当然に正しいとされるようなことになります。一種の絶対的な正義というふうに考えられます。

なので「当たり前」という感じで捉えられています。

逆に、もし虐待を行ったとすれば、すべての評価を失います。

いくら稼いでいようが、美しかろうが、すべての評価が消えてなくなるほどです。

という認識はたいていの人は語るまでもなく思っているようなことでしょうが、実際に起ったりしているので、わかっていても止められないという感じになっているのでしょう。

一種の絶対的な正義

例えば身体への攻撃というものに関しても、喧嘩なら正当性が生まれることもあります。仇討ち等々、違法性が阻却されるほどのものでないにしても、一般認識として致し方ないと思うような構造を持っているケースもあります。

また、一般に言ういじめのようなものも、その内容によっては一種の革命的な行動であったりする場合もあります(君主論から考えるいじめへの対応と対策)。

そんな中、虐待に関しては、絶対的な悪行動として認識されます。その根本は、怒りや暴力というもの自体が否定されるべきものである上に、対象が「自立が不可能な存在」であるからです。

厳密に言えば、正義に絶対はありません。しかしながら社会的な善悪として定言命法的に考えれば、「虐待は絶対的な悪」となります。「自立が不可能な存在としての子供」に対する保護がゼロになると社会、人類は成り立たないからです。

しかし逆に絶対的な悪であるからこそ、「それをしないこと」に対しての評価があまり意識されにくいという感じになっています。

行為によって何者かが決まる

スッタニパータ等々には、よく「生まれによって何者かが決まるのではなく、行為によって何者かが決まる」というような詩句が出てきます。

極めて単純明快で「大工仕事をしていれば大工です」とか「行為によって『賤しい人』にもなれば『バラモン』にもなる」というようなものになります。

ということで、名前だけ「取締役」で取締役室でゲームをしているような人はゲーマーであって取締役ではないわけです。

それと同じように、保護すべき対象に保護をしていないのであれば保護者ではないということになります。

ダメなものを否定する

再掲になりますが、「善行為」を定義し、倫理的な義務として扱うと、「何をどこまで」という発想になり、質的、量的な比較などができてしまいますし、相対的な比較で「あれよりは良くない=悪い」という発想が生まれてきたりします。保護という一種の善行為を定義しようとするとそうした論理的な際限のなさの罠にハマってしまいます。

しかし、「ダメなものを否定する」というふうに捉えておくと評価はシンプルなものとなります。

虐待、とりわけ児童虐待は、社会としても悪であり、被虐者にとっても悪であり、また加虐者の心にとっても悪です。

加虐者としては、自分の感情を相手に委ねているという時点で心にとって毒となります。

不瞋や不傷害を評価する

自他共に怒りを生じさせないこと、そして不傷害を評価することができれば、全てではありませんが無駄な苦しみは減っていくはずです。

しかし行為、とりわけ目に見える行為や言語や数値で示せるようなものは評価され、示し得ないものは、評価されにくい傾向にあります。

「やっていないから何なんだ?」ということになりやすく、頭にすら浮かびません。

しかし、自他共にそうした「しないこと」を誇りの対象としてもっと評価するべきです。

そうすれば少なからず、自他共に無駄な苦しみは減っていくはずです。

もし怒りが生じたとしても、行為に移らなかったとすれば、その部分だけでもひとまず評価すべきです。

特に暴力となるとまず犯罪であるため、犯罪として扱うべきですが、家庭関係性や生活の基盤を失うというのも厳しいという感じで慎重に取り扱われています。

虐待にはたくさんの要素があるため、虐待防止には様々なアプローチがあります。そうしたものの大半はある程度語り尽くされているでしょう。

ということで、しないことへの評価という側面について触れてみました。

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Category:miscellaneous notes 雑記

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