タグ別アーカイブ: 経済

経済・経営・経済社会について

ここち惑ひ侍りぬ

成長してしまったゆえに、ということなのか、以前は人と接していて戸惑いが起こることがよくありました。否、戸惑いとはまた違うのかもしれませんが、今でも違和感を感じてしまう時がたまにあります。 なぜ昔はこのタイプの人とも普通に話せていたのに、今ではうまく話せないのだろう、というような感じです。 二十代前半頃までは普通に話ができたりしたのに、今では普通に話をすることができないという場合があります。 それはきっと物事をどう捉えればよいかということに関して、最適な方法やあまり適していない方法をたくさん見聞きして、経験してきたか

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家は頗る富みさかえて有りけるが

必要以上に与えることは、相手の自立や自分自身で獲得する自信、そしてそこから生ずる安心を奪うことになるのではないか、と思うことがよくあります。 実質的にはありがたいような援助であっても、そうした援助自体が自立の機会や意図を奪うことになり、結果、「自分一人でできた」という喜びや自信を奪ってしまうことになるというような感じです。 いくら所有物などで気を紛らわせようとも、本質的に自分には力がないという部分は紛らすことができません。いくら強がろうとも、それを支えるものが無く、自分で自分を騙すことはできないのだから致し方ありま

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楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや

今いる環境がずっと続くかのような錯覚が起こることがあります。そうでないとはどこかでわかっていても「なるべく続けばいいなぁ」と思って、「終わること」への憂いから、変化した先を見ないようにするというようなことが後の悲劇をもたらしたりします。 ― 今ある環境を謳歌するということ自体は、今しかないものを掴み取るという点においては良いですが、特殊な環境がもたらした現状に依存すると、そうした環境が変化した途端に破綻します。 例えば学校生活においては、同じ年代の人が「個別に約束すること無く会うことが出来る」という環境が整っていま

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勢いだけでは乗り越えられない現実の壁

これは企業経営に限ったことではありませんが、「勢いだけでは乗り越えられない現実の壁」というものが世の中にはたくさんあります。 「気合いで乗り切るって言ってもなぁ。二、三日徹夜すればいいくらいに思ってない?」 というような感じです。 「頑張るぞ!」という気持ちはいいですが、世の中においては、力んだだけではなんともならないというシーンがたくさんあります。 それに気づいたのは20歳くらいのときです。 友人が奨学金と深夜バイトにより、自力で大学に通ったのはいいのですが、身を壊して破綻したというような思い出がきっかけです。

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バーコードバトラーの楽しさと商品寿命

すごく面白いゲームであっても裏をかいて勝ち上がることができるという要素を含む場合、ゲームの楽しみが削がれていって廃れたりもしますし、逆に不正を予防して制限することで別のところにもその影響が出て、根本から面白くなくなってしまうという場合もあります。 経営の上では、そうした初期の楽しさが不正によって廃れていくということを予測して商品寿命を設定しておくということも必要になるのかもしれません。 まあそんなことを思ったのが、以前バーコードバトラーのことを思い出した時です。 ということで、バーコードバトラーの楽しさと商品寿命に

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コンペ参加への依頼に含まれる傲り

稀にですが何を勘違いしたのか「コンペに参加しませんか?」とか「コンペ形式を予定しています」といった感じの連絡が会社に来ることがあります。 「コンペ参加への依頼に含まれる傲り」ということで、こうしたコンペティション(競技設計という概念)に含まれる上から目線的な傲りについて触れていきましょう。 なお、ここでいうコンペとは、コンペという言葉を使って助平心的に自己都合ばかり考えている発注主が利用するコンペという概念です。性質上コンペティションがふさわしいような分野に関するものすべてに対してではないのでご注意ください。 まず

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画面割れ修理後にすぐに割れた時の対応

以前友人から相談を受けたのですが、スマートフォンの画面が割れてしまい修理業者に依頼して新しい画面に変えた直後、また画面が割れてしまった時の交渉について覚書程度に残しておきます。 僕個人はスマートフォン自体を使っていないので僕自身の話ではないものの友人から「どう取り扱えば良いのか?」という相談を受けたのでその時に話した内容と、友人が行った実際の交渉の流れについて何となく書いておこうと思いました。 スマートフォンの画面がバキバキに割れたので交換 まあ友人としては、スマートフォンの画面がバキバキに割れてしまったので画面の

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混乱時は冬と思って冬眠する

まあもし常連さんの中に事業者がいて資金繰り的に危ないぞという人がいるのであればということで、少しだけ事業継続のリアルな対処法についてでも書いておきましょう。 自然界において一部の動物たちは食糧難になる厳しい冬をどう過ごしているでしょうか? ということで、混乱時は冬と思って冬眠するに限ります。 一部の業種に限られますが、もし自分がその事業主であるのならばそうするというような思考実験的なものを記しておきます。 まあ単純なのですが、客足の減少による売上の低下に伴い資金繰りが危なくなるという点について何が問題なのかといえば

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地元的固定性と都会的流動性による安定

不測の事態に強い事業のあり方として、常連さんお得意さんで構成される地元的な固定性と後の常連さんを作りまた時代への適応を意図するような流動性という視点から「安定」を考察することができます。 単純なモデルとしては、常連さんお得意さん地元だけでも成り立ち、かつ、一見さん一過性、全国的なものでも成り立つという両者を合算して高い収益性を上げるというような感じです。 人件費を含めた最低限の固定費的なものをそれぞれ各自一方だけでもまかないきれる状態にしておき、もう一方の分はそのまま利益という感じの状態になれば、時代の変化で常連さ

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フリーランスの精神的な欠落

全てのフリーランスの実態を知っているわけではありませんが、クラウドソーシングで出会うようなフリーランスの方の中には「何かが欠落している」と思わざるを得ないような人が結構いるようです。精神的な欠落ともいうべきか、基礎的な何かが欠落している感じです。 僕自身はそうしたクラウドソーシングを利用したことはありませんし、今後も利用することはないと思うので実害があったわけではありません。 ただ、社長仲間から色んな話を聞く限り「基礎が欠落している」という意味で信用の面で問題があると言わざるを得ないような事例がよく聞こえてきます。

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日常を観光目線で非日常に変えること

地域コミュニティの弱体化が原因となっているのか、日常を観光目線で非日常に変えることが至るところで起きていたりします。 地域インフラとして、そして自然な地域のコミュニティの繋がりの場として機能していた施設や店舗が、高齢化による利用者の利用頻度の低下や事業承継の難しさによって事業継続がままならなくなることがよくあります。 その結果、全く異なる資本による事業の引き継ぎが起こったり、新規店舗が現れたりはするものの、それらが軸にしているものは観光という目線であり、観光的解釈により地域の日常を非日常に変えてしまうことがよくあり

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指導や監督のパラドクス

どのような職場であれ大体は部下や後輩に対する指導や監督が裏目に出る「指導や監督のパラドクス」が起こったりします。 これは業務をうまく進めていくための指導や監督が逆に業務の遂行に支障をきたしてしまうというような現象です。 その要因としては、それぞれプライドを保ちたい複数の上司の指導による混乱や、サボりや失敗を防ぐための指導と監督がやる気を削ぐ以上に「行動に制限をかける」というような構造が考えられます。 表面上は部下や後輩のスキルやモチベーションを高めるための業務を指導ということになっていますが、その実、下手をすれば成

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情報処理に対するイデオロギーの反映

まあ今に始まったことではありませんが、情報処理に対して、一定以上の利用者が揃った段階でイデオロギーを反映させていくというような風潮がよく垣間見れたりします。 「独占的なシェア率を誇るプラットフォームを作って、それからは…」という一種の加速主義的な感じでしょうか。 10年くらい前からその気配はちらほらありましたが、デバイスの普及によってさらにウォールストリート臭や何かしらのイデオロギーの匂いが漂う感じが顕著になってきたように感じます。 撒き散らして普及後に制度を変える 通信系の産業等々でありがちですが、無茶に見えるよ

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事実が形作っていく社会

無理に新しいことを創出しようと思わなくても、人が求めているものやそれに対応するものは、既に目の前にあることがほとんどだったりします。 「目に入っても見えていない」ということばかりであり、それは時に前提知識や理解のための材料がないということが要因となっていることもありますが、逆に知識偏重の偏見からも生まれたりします。 ツァラトゥストラの副題である「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」みたいな感じで、「誰にでも見えて、ほとんど誰にも見えない」という感じです。 「今ある自分の課題を解決することに適っているか?」という

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データを利用した最適化への疑い

最近では少し落ち着いてきた感じがしますが、人工知能への期待なのか何なのか、やたらとデータ偏重型な社会になりつつあります。まあそれだけ、人間の感性を信用できないとか「システムやスキームを組んでバイトにやらせる」という感覚が蔓延してきているという証なのでしょう。 データを利用した最適化への疑いということで、そんな「統計データの影響による行き過ぎ」について触れてみようと思います。 「合理化や最適化が機械にできる限界」などで触れていましたが、コンピュータが得意とする合理化や最適化です。それはそれでいいのですが、そうしてデー

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周旋屋

斡旋ならまだしも周旋という言葉は、この近年では聞き慣れない感じがしますが、「笑う月」に出てくるように、昭和の頃は周旋や周旋屋という言葉それほど珍しくもない感じだったようです。近年ではあまり耳しない「細君」みたいなものでしょうか。 周旋は売買や雇用の「仲介」というよりも「立ち会い交渉」という意味合いがありますが、「間に立って世話をする」というような感じあり、たいてい不動産や仕事の仲介などを意味したりするようです。ということで、周旋屋といえば専ら不動産屋さんや職業紹介人という感じの意味合いで使われていたようです。 まあ

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職業的誇りを傷つけられたせいか

職業的誇りを傷つけられたせいか「僕は皮膚の専門医ですよ」とキレてきながら思いっきり誤診していた医師と出会ってからというもの、医師にも相当のレベルの差があるのだろうということを思うようになりました。 当のその医師は、保健室の先生が「帯状疱疹」だと言い当て、別の医師が「帯状疱疹ですね」と診断した症状を、この腫れは「虫に這われたから起こった」と一点張りをしていました。 僕が寝ている間に掻いた部分を毒虫に這われた痕だと主張していました。 まあその手の人間は、職業的誇りというよりも「自分は我慢をしてみなさんよりも勉強しました

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いたずらに感傷的になるのはよして

今日、僕は少し感傷的になりました。 それは、間接的に来る仕事の話において、医師たちの拝金主義的な意図を垣間見たからです。もちろん僕はその手の人に手を貸すことはありません。 しかし一方で、その手の拝金主義の医師たちに便乗する金融機関やコンサルタントなどもいることは事実であり、そうした人の様子を見ると少しばかり感傷的になったりもします。まあ広義の怒りにはなりますが悲しみがやってくるという感じです。 「ああ私よ、いたずらに感傷的になるのはよしなさい」と自らが自らを諭すような不思議です。 患者は経済社会の中の消費者・顧客で

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かなりの努力を要する作業

世の中には微妙に高額に思えるサービスがたくさんあります。 その中の一部は「単にぼったくりなだけ」という感じですが、料理における、「完成物の容量は安価なものと同じくらいでも、仕込みの手間が膨大」というような感じで、かかる手間の分だけ高額になっているものもたくさんあります。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人から次のようなことを聞かれたことがあります。 「今後イラストレーション等々で食べていきたい学生から『ロゴ作成』なんかの世間の値段の幅について聞かれることがあるんだが、どう説明するのがいいだろう?」 まあいわば、

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秘密の抜け穴

どのような業種でもプロだけが知っている秘密の抜け穴のようなものがあり、それを知っているかいないかで結果に大きな差が生まれたりすることがあります。 その秘密の抜け穴は、現実には隠されているものでも何でもなく、「その領域にいない人としては、目に映っても見えていないもの」という感じのものばかりだったりします。 また、「わかる」と「できる」は全く異なるので、わかっていてもできないという場合もあります。 ということで、そうした秘密の抜け穴については、知っただけで万事解決というわけではなく、一定の全体的な知識やスキルがあってこ

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例外的な偶然の産物

自然淘汰を考える上で重要なのが、誰かしらが何かしらの「違う可能性を試す」という感じで例外的な偶然の産物として生まれ出ることです。 古典的な形で予定説的に考えると、因果は決定しているという感じですが、決定しているのは確率であり、確実の方ではないという感じになります。確率の次も確率ということになれば、それこそ可能性的には無限に不確定・不確実ということになりますが、それでもだいたいの確率でそれが起こるという感じになっています。 時間の概念から考えると「例外的な偶然の産物」が「ご新規さん」として生まれるというより、既に内包

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廃物、もしくは廃人のイメージ

廃物、もしくは廃人のイメージに一種のかっこよさを感じ、退廃的な雰囲気に酔っているような感じの人もいます。 別に完全燃焼したというわけでもないにもかかわらず、その廃人感に一種の美徳さえ感じ、そこに僅かばかり含まれるような芸術性と同化することで、自己陶酔しているような感じです。 まあそんな人を観察してみると単に何かの資格試験に落ちたとかそうした程度だったりします。 「期待したルートから脱落して絶望」といった感じでしょうか。 ただそうした「期待したルート」すらも、朧気なところか生まれ、虚像を実体であると錯覚して夢になった

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仕事の上で欠かすことの出来ない道具

職種によって仕事の上で欠かすことの出来ない道具はバラバラだと思いますが、いわゆる七つ道具的なものはどの業界にでもあるのではないでしょうか。 勤め人時代から今に至るまで、僕にとっての七つ道具のうちの2つ乃至3つは、青ペンもしくは緑ペンとコピー用紙、そしてクリップボードです。なお、青ペン・緑ペンはボールペンのように細いものよりもサインペンのように少し太い方がより一層良いという感じです。 これは営業活動から社内の情報伝達に至るまで、人とのコミュニケーションを円滑にする安価で優れた道具たちであります。 青・緑ペン、コピー用

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めったに体験を語らない

情報量の多さに関して、それが量としてばかり計算され、要約されていれば浅く、多ければ深いというような推測から、その実際の深度は問われていないということなのか、体験もしていないもの羅列すれば良いという感じになっていたりします。 すなわち実際の体験などどうでもよく、「情報量」さえ多ければそれが評価されるというような感じです。 一時期量産された「おすすめ○選」などのページに関してはその代表例であり、実際に使ったり、現実的に接したのかというとそんな訳はないだろうという感じになっています。 何を根拠におすすめされているのか?

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生理的に嫌だったせいだ

少なからず生理的に嫌なものはあると思いますが、ある程度の慣れによってそれら生理的に受け付けないようなものが多少平気になったりもします。 自身の慣れから慣れていない人が感じるであろう生理的な不快感というものを見落とすということもありますし、客商売において「自分は大丈夫だから」ということで放置していたり気付いていなかったりすると自分では理解し難いような形で客足が遠のいてしまうということが起こります。 音響機器の不具合によるノイズ ある時、店の中で有線か何かを流しているはずの音響機器に不具合があるのか店内がノイズ音で満た

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