バーコードバトラーの楽しさと商品寿命

すごく面白いゲームであっても裏をかいて勝ち上がることができるという要素を含む場合、ゲームの楽しみが削がれていって廃れたりもしますし、逆に不正を予防して制限することで別のところにもその影響が出て、根本から面白くなくなってしまうという場合もあります。

経営の上では、そうした初期の楽しさが不正によって廃れていくということを予測して商品寿命を設定しておくということも必要になるのかもしれません。

まあそんなことを思ったのが、以前バーコードバトラーのことを思い出した時です。

ということで、バーコードバトラーの楽しさと商品寿命について触れていきます。

僕たちの前後くらいの世代しか知らないような代物ですが、まずはバーコードバトラーについて概観しておきましょう。

バーコードバトラー

90年代初頭にバーコードバトラーというゲームがありました。初代の白と、黒のバーコードバトラーⅡの両方とも買ってもらい同級生たちと楽しく遊んでいました。

このゲームは、バーコードを読み取ってキャラクターを生成するという仕組みによりそのキャラ同士が戦うというような感じのゲームです。キャラクターとアイテムがあり、時に合体という仕組みによって強いキャラを使えるという仕組みがありました。JANコード(49から始まるバーコード)のみ使用可でした(つまりあISBNなどは使えなかったということになります)。

コロコロコミックでバーコードバトラーを題材にした漫画も連載されていましたし、特集記事もよく載っていました。

確か初代バーコードバトラーの頃ですが、コロコロの特集で、商品バーコードの組み合わせ例紹介がありました。そこにラーメンがキャラで、コショウがアイテムという感じで紹介されいるものがあり、「やはり相性が良いのか?」的なことが書いてありました。それまでラーメンにコショウを入れるという食文化がなかった僕は、両親に「ラーメンとコショウって相性がいいの?」と聞いたりしていました。

初期の頃はHPが最大値になる499から始まるバーコードを同級生と探し回ったりしました。自転車でスーパーなどをハシゴしたというのも良い思い出です。

まあそんな感じで「JANコード」というもの利用したバトル系のゲームだったわけですが、実際のゲーム機におけるバトル以外にも「最強のバーコードを探す」という面白みがあったわけです。

最強バーコードを生成

当時同級生の間でも、商品バーコードは商品購入を経なければならないので、「バーコードを作ろう」ということになり、定規でバーコードもどきを引いたりして試行錯誤を繰り返したりした時もありました。

しかし小学生が想像で適当に引いた線などJANコードと合致するわけがありません。

その後、バーコードのコピーを切り貼りするなどなど、いろいろな方法が試されたりしました。

まあ小学生でもそれくらいのことは思いつくという感じです。そのうち、キャラの強さの算出方法を解析した大人が出てきて、そうした不正バーコードが販売されるということも起こったようです。

こうした感じになってくると、最強バーコードを探してお店を旅するというような面白みは消えていきます。

現代でバーコードバトラーのようなゲーム機を作る場合は、不正防止用に実際に現役で商品として販売されている物のJANコードでなければならないということを通信によって判定することはできるような気がしますが、まあ通信ではなく内蔵するにしろその頃のゲームにそこまでのデータを詰め込むことは難しかったと思います。

商品寿命を伸ばす工夫

現代においても、例えば画像などを元データにしてキャラに変換するというような感じでゲームは作れそうですが、いずれ誰かが数値の計算方式を読み解いて最強のデータの作り方を公開してしまいそうな感じがします。

せっかく見つける楽しみという要素があっても、強さを基準とするゲームの行き着く先は、「解析と公開」になってしまうような気がします。

ということは流れとして、「集めたり探したりする楽しさ」で注目され、「最強のものを解析により生み出す」ということが起こり、「楽しみがなくなり廃れる」という感じになってしまうのでしょう。

なのでブームの終焉の予測を立てる時、そうした流れを含めた上で商品寿命を予測し収益を最大化しなければならないという感じになっています。

ということは、解析による不正を防止するためのいくつかの防壁を予め作っておけば多少商品寿命が伸びるということにもなりそうです。しかしその防壁が、元のゲーム性に影響を与えるものであってはスタートから楽しみが削がれるので少し考えものです。

現代においては、解析データが公開されるということすら予測して、その公開情報に到達しにくくするという工夫すら必要なのかもしれません。

かつてであれば誰かが不正利用の方法を発見したとしてもその情報の広がり方は緩やかであり、被害的なものは限定的でしたが、現代では爆発的なスピードで蔓延してしまいます。

なので、「法則を見つけた」と錯覚させるような比較的簡単な法則を組んでおき、一部だけその法則に合致しないようなものを組み込んでおいて、ふとした時に「あれ、おかしい」ということになって自分で見つけたと思っていた法則を疑い出すという感じで錯乱させるという戦略すら必要なのかもしれません。

というと外交や検索アルゴリズムのようですが、若干畑違いの分野にもそうしたものに対する工夫のタネが潜んでいるかもしれません。

Category:IT &Internet パソコンとか通信とか

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