カテゴリー別アーカイブ: 特別企画

特別企画

デマを飛ばすんじゃない

「デマを飛ばすんじゃない!」と言いたくなるような情報はたくさんあります。そうしたデマ情報は昔から絶えませんが、近年では様々な情報への到達が容易になっているので、デマと出くわす確率は格段に上がっています。 自信のなさから来ているのか、近年では大学による研究結果等々権威性というものを盾にしたような説得が多い傾向にあります。しかしながらその実、実験と称しつつも雑誌程度のアンケート結果だったり、複数要因のうちの一つにしか着目していない等々、根本的に結論の解釈の仕方を間違っているという感じで思ってしまうようなものもたくさんあ

» デマを飛ばすんじゃないの続きを読む


急速に轟音が近づいて

「急速に轟音が近づいて」といえば、最近では数が減ったものの暴走車両の出す排気音やスキール音ですが、大きな音というものは注目を集めるため、映画のコマーシャルなどにおいても大きな音で驚かせるという手法が蔓延するようになりました。 そして性や死、そして死を連想させる生命的な危機の描写が、人の注目を集めるのに効くということで、より一層の効果を期待してか、破壊音や叫び声などが多用されていたりします。 これらは生理的な反応を利用して焦らせ、注意を引くというものですが、「数字を逆に数えて」で触れていたように、時間的な焦りを利用す

» 急速に轟音が近づいての続きを読む


猫を抱上げながら

猫を抱上げながら

あまり猫には詳しくないのですが、茶トラ猫は人への抵抗感が薄いということを比較的最近知りました。 たしかに真鍋島の島猫代表のお兄ちゃんや沖縄にて突然膝に乗ってきた猫も皆茶トラ猫系です。 この手の猫は、突然膝に乗ってきては、モミモミを始めます。 人と共に暮らす動物の代表は犬や猫ですが、個人的には鳥や草食の方が相性がよく、基本的に家にいたのは、鳥やうさぎであり、猫と暮らしたことはありません。 しかし、以前にも触れていましたが、どこからやってきたのか、自分の部屋に白猫がいたことがあります。 メスの茶トラ猫との絡み だいたい

» 猫を抱上げながらの続きを読む


翌日の新聞記事の内容

自分が事件に巻き込まれたりした場合、当然に翌日の新聞や新聞社のサイトなどを確認したりします。 しかしながら、そうした事件の全容について、犯人側がある程度うまく証拠を隠滅していた場合、記事の内容が事実とは全く異なるものとなっていたりもします。 以前、とばっちり的に巻き込まれた事務所監禁事件について、警察は出動していましたが、僕自身は事件後に被害者として警察に駆け込んだりしていなかったためか、翌日の新聞記事の内容を確認すると、全く見当違いのことが書いてありました。 新聞記事の内容を元に第三者があれこれ雑談 もっと面白い

» 翌日の新聞記事の内容の続きを読む


先に弁明したほうが負け

日常、社会の中では「先に弁明したほうが負け」ということになっているのか、「明らかに負けているのに非を認めず強気」というような人を見受けることがあります。 そうした場合だけでなく、「気持ちを汲み取ったら負け」ということなのか、何があっても意味不明の毅然さを保つ人たちもいます。 その代表例は、外資系企業であり、時価総額ランキング上位のIT・ネット系企業などにおいては顕著だったりします。 法制度よりも自分たちのポリシーの方が上 現地は訴訟国家であり、一切の感情を排除するということになるのか、さすがに感覚が違いすぎると思っ

» 先に弁明したほうが負けの続きを読む


白っぽい、頼り切った微笑

白っぽい、頼り切った微笑には美しさを感じたりしますが、そうした笑みだけに翻弄されてはいけない場合も多々あります。 入院中などは一番わかりやすいですが、何かしら悲惨な出来事があった後などに見られる「白っぽい、頼り切った微笑」は誰しもが見せるものでありながら、その美しさに感化されていると、追々苦しさが生じてしまうことがあります。 ― 先日、検査を受けた時の自分も鎮静剤の影響で「ふわ~」っとしながら、そのような「白っぽい、頼り切った微笑」を浮かべていたような気がします。 そんな感じで頼り切った感じで思わず微笑むことがあり

» 白っぽい、頼り切った微笑の続きを読む


駅のトイレットでは

駅のトイレットでは、様々な方々の日常動作の癖を観察することができます。ちなみにハイカラにトイレットという表現をしているわけではなく、原文のまま故にトイレットという言葉を用いています。トイレでいいのですが、笑う月に倣うようにあえてトイレットで統一しておきましょう。 さて、男性用トイレットにおいては、小水コーナーにて様々な放尿の仕方を観察することができます。 中高生時代等々は股間を見せまいと必死にキワキワまで小便器に近寄るはずですが、後年は気にならなくなるということになるのか、見ず知らずの方々にならオープンになれるよう

» 駅のトイレットではの続きを読む


扇子のように折りたたみ可能な印象

扇子のように折りたたみ可能な印象のものの代表例は、エリマキトカゲ理論であり、物理的な大きさによる威嚇を無意識的にしている人たちといったところでしょうか。 羽を閉じても開いても本来の物理的な質量は同じですが、羽を広げた場合、主に面積的に空間を占める割合が広くなるというのが扇子です。 威嚇のみならず、異性へのアピールとして体を大きく見せるということは、孔雀やエリマキトカゲなど、様々な生き物で見られる現象です。同種間では魅力になるのかもしれませんが、「実際はもっと小さい」というところがポイントであり、一種の虚勢というよう

» 扇子のように折りたたみ可能な印象の続きを読む


弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている

「弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている」 と、まあいかにも芥川賞作品などでありそうなテーマ、という感じのフレーズです。 可愛がられること、甘えること、すがることへの憎悪、その裏にある我慢や奮闘といったものもありそうなものですが、弱々しさの象徴として、自分の中の弱さの投影、そして破壊というようなものも込められていそうな雰囲気もあります。 他者からの評価というものを別としても、なんだか弱者への愛は自然でありながらどこかしら無理があるような感じがして、どこかしら殺意じみたものを含んでいるような感じの時もあります

» 弱者への愛には、いつだって殺意がこめられているの続きを読む


しだいに空洞化していっているのだろう

趣味というほどのものではないのですが、一応旅に出た時に、記念にと収集しているご当地新聞集めという習慣があります。 ご当地新聞を買う時か、何かの待ち時間で著しく暇な時くらいしか新聞を読む機会がないので、そうした時には一応全ての記事に目を通すことにしています。 するとだいたい社会面あたりに、社会学者と誰かの対談とか著名人の論説のようなものがちらほらあったりします。 社会学者が用いるSNSというキーワード そうしたコーナーを見ていつも思うのですが、だいたい現代社会について触れられている時、「SNS」というキーワードが出て

» しだいに空洞化していっているのだろうの続きを読む


誰もが狼狽を隠せない

一触即発の緊張感や焦燥感から、狼狽してしまうということもありますが、ズレすぎている人に出くわした時の狼狽というものもあります。 言葉遣いなどにやたらに敏感な京都という土地柄では、そうした狼狽に関して他エリアよりも出くわす頻度が高いというようなことを思っています。 20歳くらいのときの対バン相手のお話ですが、事あるごとに言葉尻が京都にそぐわない感じでした。 妙に引っかかる言葉尻 「あ、もう切ってもらっていいですよ」「あ、もう少し音絞ってもらっていいですよ」といった感じで、PAさんに対して逐一何か引っかかるようなフレー

» 誰もが狼狽を隠せないの続きを読む


苛立たしげに、素早い会話

何かしらの理由でカツカツになっている時、悠長な人を相手にすると苛立ったりしてしまうことがあります。苛立たしげに、素早い会話を繰り広げるときは、どちらか一方、もしくは両方が何かしら急いでいたりする時や苛立っている時です。 仕事などで疲れが溜まってきている時などは顕著ですが、それ以外にも話のテンポの差や情報差なども苛立たしげな素早い会話の要因になったりします。 話すテンポの早い人がゆっくりな人と話すときは少し苛立ちますし、その逆もまた然りということで、話のテンポが合うかどうかというところは仲の良さを決定づけたりする要因

» 苛立たしげに、素早い会話の続きを読む


掘割を這上り、道端に立った

中学生の頃、同級生とよく自転車で旅立ったりしました。平日の夕暮れ時は近所をぶらぶらという感じですが、休みの日、特に春休みや夏休みの時は結構な頻度で旅に出たりしました。 ある夏、ジーパンマニアである一人の同級生が、少し離れた場所にあるジーパン屋に行こうと誘ってきました。 同級生たちと三人で向かったのですが、スマートフォンなどで地図を参照することのできない時代だったので、迷いに迷いました。多少郊外なので、田んぼや畑がちらほらあるような場所をグルグルグルグル回っていました。 用水路的な掘割に自転車ごと落ちる 迷いすぎたの

» 掘割を這上り、道端に立ったの続きを読む


痩せ細った体

対象が人であれ動物であれ、かつてがっしりして元気だった者が痩せ細っていく姿を見るのは辛いものがあります。痩せ細った体は、ただそれだけで、それを見る者に何かしらの侘しさをもたらしたりします。 養子のうさぎも、寝たきり時には日に日に体重が低下していき、一番がっしりしていた頃と比較して、最後は体重が半分以下になっていました。 痩せ細った体を見る辛さ そうした痩せ細った体を見る辛さは、基本的には記憶からやってきます。一種の愛別離苦ということになりましょう。 元気でやんちゃな時の姿を知っているからこそ、痩せ細った体を見た時に

» 痩せ細った体の続きを読む


断末魔のあがき

断末魔のあがきということで、「悲惨な出来事とあがき」について触れていきましょう。世の中では突発的な被害というものもありながら、悲惨そうに見える人もだいたいは「なるべくしてなった」という感じがしてしまう時があります。 悲惨な人だけでなく、うまくいっている人も、後に振り返り全体の流れを俯瞰してみると、やはり「なるべくしてなった」という感じに見えてしまいます。 悲惨なこと続きのように見えて「かわいそうだなぁ」と思ってみて、少し手を差し伸べてみたとしても、ある時急に調子に乗り出し始めたりします。こうした時、「だから友達がお

» 断末魔のあがきの続きを読む


気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

それが本当の真実であるということを証明できないようなタイプの主観的な感想については、それが妄想であれ「何かの象徴」として表現されているものなので、よほどの暴論でない限りそれほど問題にはしていません。 「気のせいのようでもあるし、事実のようでもある」という感想を持つしか無いような、巷で言う心霊系のお話については、「見えたのだから見えたのでしょう」という同語反復的なレベルのお話として捉えるに越したことはありません。 自我領域の主観的事実が、完全にありのままを包括した世界とイコールであると考えることはできません。 見えた

» 気のせいのようでもあるし、事実のようでもあるの続きを読む


セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服

日中の公園に行くと、「セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服」という光景をすぐに発見することができます。 「誰がそんなに自販機を利用するのだ?」と思うほどに公園周りには自販機がありますが、なんだかんだですごいペースで中のドリンクが消費されていっていたりもします。 まあ売れ筋は、よく言われるようにお茶と缶コーヒー、それに水あたりでしょうが「何本買うんだ?」という感じで、公園脇に営業車を止めて同じ人が複数回飲み物を買いに行っている姿もよく見かけたりします。 公園をハシゴ 営業であれ配送であれそれほど広範囲でもな

» セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服の続きを読む


選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない、ということで、やることが決まっている場合は脇目も振らず突き進むことができるので、事がうまい具合に運んだりします。 もちろんその方向が誰かに恣意的に設定されたものであるならば、ロクでもないことになるのは明白ですが、複数の選択肢や可能性があるゆえに迷ってしまうと、足踏みしてしまうことになりかねないということにもなります。 何かしらうまい具合に事が運んだということは良いですが、その一方で一度何かしらの成功を味わってしまうと、自分の中の可能性が広がってしまい逆に選択のストレスを味わってしま

» 選ぶ道がなければ、迷うこともないの続きを読む


周旋屋

斡旋ならまだしも周旋という言葉は、この近年では聞き慣れない感じがしますが、「笑う月」に出てくるように、昭和の頃は周旋や周旋屋という言葉それほど珍しくもない感じだったようです。近年ではあまり耳しない「細君」みたいなものでしょうか。 周旋は売買や雇用の「仲介」というよりも「立ち会い交渉」という意味合いがありますが、「間に立って世話をする」というような感じあり、たいてい不動産や仕事の仲介などを意味したりするようです。ということで、周旋屋といえば専ら不動産屋さんや職業紹介人という感じの意味合いで使われていたようです。 まあ

» 周旋屋の続きを読む


何処に置いておくつもり

「何処に置くの!」というようなフレーズがありますが、母を筆頭にそうした言葉を今まで何度も投げかけられたことがあります。 あまり物を買ったりしない傾向にありますが、「何処に置いておくつもり?」ということで、大型のものを急に持ち帰るということがたまにあります。 大型の物ということでなくても、養子のうさぎも相談なしに養子入りしてもらいましたし、周りの人々としては抵抗がありそうなことに関しては事あるごとに事後報告を徹底しています。 基本的に相談相手には「自分ほどの盛り上がり」は無いので、先に相談しようものなら、たいていは気

» 何処に置いておくつもりの続きを読む


年寄りじみた笑い

加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまではいきませんが、十代や二十代の時ほどの笑いはそれほどなく「人と話している時に爆笑」ということの数は減ってきているような感じがします。 笑うことが減った要因 「感性が鈍った」というわけではなく、冷静な傍観

» 年寄りじみた笑いの続きを読む


宅地造成で新しい道

世の中には一見不可解な構造や状態に見えるものがたくさんありますが、社会生活の中でふと思うそれらは、結局税を含めた法律やお金的な合理性などが絡んでいたりします。 結局割に合うか合わないかとか、許認可や税の関係などによって、傍目からは不可解な構造になっているもの、不可解な形で放置されているものなどがちらほらあったりします。 ということで「割に合わない」ということから放置されている不動産や許認可や税の関係で起こる不可解な構造等々について触れていきましょう。 造成費用が高く、割に合わない 先日、知人が先祖から受け継いだ田ん

» 宅地造成で新しい道の続きを読む


鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。 「何もせずにいること」が不審者の挙動に見える その代表例は、たまに乗る電車の時です。駅のホーム

» 鞄を持たずにいればの続きを読む


一種の消去法

消去法というものは、基本的に「期限が迫っていてどうしようもなく」という場合に用いられるようなものなので、「仕方無しに」という感じがどうしてもつきまとう物事の選択方法です。 通常、消去法というと何かしらの制限があったり、それほど望んでもいないことに対して「選択肢のうち、ダメなものから削除していく」という感じになっています。対象外にしていくという感じですね。 消去法が利用され、もしくは、その利用が迫っているような時、何かしらの制限や惰性があり、視野が狭まっているということが裏側で起こっていたりします。 本当に「欲しいも

» 一種の消去法の続きを読む


くたびれた服装

意図的にくたびれた服装やおじさんっぽい服装で出向くことがあります。 あえてちょっと劣化したような服を着ていくということになりますが、もちろんそれは皮肉的な遊びであり、服装で態度を変える人や服装を自慢する系の人で遊ぶためにやっています。 兵法というわけではないですが、相手に「慢心」を作るということも、相手にその実力を出させないという方法になりますし、隙きを作ってもらうということにも一役買います。 あまりにカッコをつけたい人たちは、僕が忍者ハットリくんポーチから目薬を出すと、こぞって軽いため息を吐いてくれます。 彼らを

» くたびれた服装の続きを読む