自由意志を哲学と社会学的帰責から紐解く
自由意志はあるのか、もしくは自由意志はないのか、そんなことをいつまでも議論している人たちがたくさんいます。 何かと相容れなさそうな哲学と社会学の両側面から自由意志を考えていくとそうした自由意志論にそれほど意味がないことが朧気ながら分かってくるはずです。 どんなことでも、前提が間違っているとその先の論理の展開もおかしな方向に行きます。まあ自由意志についての混乱は、つまるところ無明から起こっているという感じになるでしょう。 これは、何も考え
植物と仲良くなった日
植物と仲良くなった日ということで、植物を育てることが絶望的に下手だった僕が植物と和解しうまく育てることができるようになった時の思い出について書いていきます。 内容が具体的だからか、そういえば何だかんだで植物カテゴリへのアクセスも結構あるのですが、それで何となく思い返すと僕は20歳位まで植物を育てることが抜群に下手でした。 小学生の頃は、家にインコのピーコちゃんを筆頭にたくさんのインコと接していたため鳥とは仲良しでした。傷ついた雀を保護し
元祖ダイエットアファメーション
元祖ダイエットアファメーションということで、言葉によるダイエットについてでもお伝えしていきます。 ダイエットと一口に言っても、元々ダイエット(diet)という言葉は規定食という意味があり、減量だけを目的とするものではありません。 といいながら、だいたい肥満は食い過ぎから起こりますし、食事の質や量は体調不良にも密接に関わっています。 「適正な量の食事」という感じで言えば、今回ご紹介する「詩」は、まさに元祖ダイエットアファメーションであり、
洗脳の結果としての消費行動
洗脳の結果としての消費行動ということで、消費社会においての個々人の消費行動は洗脳・マインドコントロールの結果であるという点について書いていきます。 久しぶりの「お金に関すること」テーマで実に1年半ぶり以上という感じですが、お金持ちになったりするをシンプルに考えれば、お金が出ていく量を減らしていくこともその方法になりますし、これはお金を稼いでいくこと、手に入れていくことにも密接につながっています。ということで、消費行動と洗脳について書いて
皮肉骨髄から考える「人の意見」
皮肉骨髄から考える「人の意見」ということで、皮肉の語源となっている達磨大師の「皮肉骨髄」の逸話から、人の意見をどう受け止めるべきかということについて考えていきましょう。 皮肉といえば京都の文化であるということで「現代人の皮肉」では京都の皮肉文化について触れていましたが、元々皮肉という言葉は、達磨大師が弟子に対して行なった最終試験の逸話が元となっています。 皮肉骨髄 知っている人は知っているような話ですが、「僕が伝えたかったことは何か、そ

ゲームと知能
僕はファミリーコンピュータと同い年であり、小学生の頃はスーパーファミコン全盛期であり、小学校高学年くらいから中学生の頃はセガサターン・プレイステーションの登場によってそれにどっぷり浸かるような世代です。 ファミコンが1983年、スーパーファミコンが1990年、セガサターン・プレイステーションが1994年ということで、まさに成長期がゲーム全盛期という感じになっています。 そんな中、「ゲームをすると頭が悪くなる」などと囁かれていましたが、我
緊張と弛緩から観る「今」のあり方
心を語る上でよく緊張と弛緩がテーマとなることがあります。リラックスするための筋弛緩法というものもありますし、笑いの要素の一つとして、桂枝雀氏提唱の緊張の緩和理論というものもあります。 緊張があってそれが弛緩する、つまり緩むということですが、その瞬間に人はリラックスし、人は笑うということになります。 そこでよくよく考えてみたいのが、緩んでいる時は文字通り安穏の状態にあり、イコールで幸せな状態にあるということです。 緊張と弛緩や緊張の緩和理

正しく観ることが確率論を超える
欧米の確率論的な方法がもてはやされてはいますが、営業にしろ何にしろモノを売るのは実は結構簡単だったりします。 統計や御用聞きを含めたマーケットインは確率論的に物が売れる確率を上げようというようなレベルの低い考え方です。 それは「流行りの髪型にすればモテるのではないか?」というタイプの発想です。 しかしよくよく考えてみると、たった一人の最愛の人と出会えれば「たくさんの人にモテたい」というような気持ちもどこかに行ってしまいます。 大きな工場
忙しい人の「忙しさ」はただの混乱
忙しい人や忙しない人が持つ「忙しさ」はただの混乱だったりします。 忙しそうにしている人ほどただ単に頭の整理ができていないだけで、大したことはしていないというのは、世間でもよくよく実感されているはずです。 忙しくしているということは、嘸かし大層なことをしているのだというような印象もありながら、結果を見ると大したことはしていないという感じです。 すべてを結果ベースで見るとわかりやすいのですが、結果を見ずに「いかに頑張ったか」ということを評価
墓場ビジネスと霊感商法
京都という土地柄もあってか、同級生の家が寺ということも多く、墓場ビジネス、冠婚葬祭ビシネスが盛んに語られる事が多い環境に育っています。 なんだかんだで家の電話を取ってみたら近所の寺からの「お墓のご準備はお済みですか?」という営業だったということもたまにあります。 僕としては昔から墓には否定的な印象を持っています。そして墓場ビジネスはそれほど問題視されないもののタダの霊感商法だと思っています。 そしてたまに何故かいろいろな人の墓参りに付き
日差しが強いときこそ日光浴
だんだんと暖かい日が続き、日差しも日に日に強くなってきています。 紫外線が肌にダメージを与えるので日光は疎がられる傾向がありますが、やはり日光浴というものは良いものです。 先日、太陽が眩しすぎるくらいの強い日差しの日に家の裏の縁側でほぼ全裸で2時間位過ごしてみました。 もちろん直射日光を浴びるというわけではなく、クリアの波板のようなもので多少は光が和らいでいる感じの日差しです。 かなり前になりますが、Z会と日焼けの関係性をしみけんさんか
春の感傷
今日はいきなり泣いて目が覚めました。 自分でもよくわかりませんが、春の影響からか無意識が暴走するようなことがよく起こっています。 先日は急に台所で意識がおかしくなり、瞳孔が開きっぱなしになったりしました。 そして今日はなぜか夢の中に強いリアリティを感じ、起きたら涙でいっぱいになっていたという感じです。 how are you? 〜 ささやかな 昨夜、SUPER BEAVERの 「how are you?」〜「ささやかな」を聴いてから寝た
反応の対象
煩いの根本原因の一つは、「反応」にあります。 社会においても反応する側と反応させる側で、立ち位置が全く異なり、自由意志で選んでいるようで誰かの意図に反応しているにすぎないというのが本当のところです。 反応するという事自体は本来無属性ですが、その奥に誰かの恣意的な意図が含まれている場合は、意志を操られているとすら考えることができます。つまりそれは一種の洗脳です。 ― 強烈なリーダーシップ かつては強烈なリーダーシップを持った人がそれを実現
意図的に意識を揺らす場所
京都も今では観光バンザイのような風潮を持っていますが、明治初期までの間、女性は神社仏閣への立ち入りは禁止されていました。 おそらくそれは「儒教の影響を受けた仏教」の影響による男尊女卑的な風潮もどこかにありながら、女性自身を守るためのものでもあったと思っています。 女性は共感性の高さから強烈な変性意識状態に陥りやすく、いわゆる「狐憑き」のような事が起こりやすいということ防ぐためという配慮です。 歴史的に観ると欧州でも修道院などで女性の集団
対象者ごとの語彙と文体
使用している単語の持つ意味に対する印象は人によって異なりますし、普段その人がどのような環境にいてどのようなものを重要としているのかによって、同じ文章でも伝わり方が変わってきます。 そう言えば最近、若年層向けのマーケティング、特にライティングにおける国語表現に関することを調べていると、やはり文体にしても使用語句にしてもその人達に合わせたものの方がよりよく伝わるということを改めて気付いた次第です。 意図的な文体の揺れ もちろんかつてからその
変な意識の力と「諦め」
僕単体ではどうということもないのですが、特定の人たちと共に意識を向けると対象が無くなってしまうということがよく起こります。 変な話なのですが、十年くらい前から僕には変な意識の力があり、最近では相手に「諦め」を与えるような形になっています。おそらくそれは同調によって情報状態の変化をもたらすという感じになるのでしょう。 僕個人として一番最初に現実に起こったのは、勤め人の頃です。 担当エリアに狂犬がいて、いつもその犬が散歩している時に出くわし
意識の分野の解消法その3 断捨離的に関係を解いていく
世の中では「断捨離」ということで、物を捨てることでスッキリしましょうという感じのことが囁かれています。断捨離がうつにも有効的であるという感じで語られることもあります。不要なものを捨て、所有物を少なくしていこうということで、なるべく執着から離れれば気持ちが楽になるというようなことが語られています。 しかし、おそらくそうした効用的な面だけが語られているにとどまり、本質的なことについてはあまり語られていないと思いますので、あえてそうした断捨離
気力を奪う人たち
気力を奪う人たちということで、自尊心の回復のために人から気力を奪っていく人たちについてでも触れていきましょう。 世の中には、自尊心の低下を何とかしようと人に罵声を浴びせたり、ウジウジと憐れみ乞いをしたりして気力を奪っていく人たちがいます。そうした人たちをまともに相手すると、それまで元気だったのに元気を奪われ、パワーやエネルギーというものを奪われてしまいます。 根本的には気力を奪う側も、自尊心と気力が低下しているからこそそうしたことをして
the pillowsが放り込んできた球根が咲かせた花
そう言えば、先日SYNCHRONIZED ROCKERSを少し編集していて、引用していたMr.Children桜井氏のメッセージを読み返していると「pillowsが放り込んできた球根」というフレーズがありました。その球根はもちろん僕にも放り込まれてきていて、それが咲かせた花は、本ブログにも表れています。 もちろんthe pillowsだけを思って作ったわけでもないのですが、確実にフレーズに表れています。 誰か気づいた人いるかなぁ。 それ
落語的思考
普段からよく散歩をしますが、特に今のシーズンは「春になった」ということでよく外を散歩します。 そんな折、不可思議な看板や案内や観光地にありがちな「由緒書」的なモノに出くわしたりします。そしてそれを見て頭の中で遊んでいます。 ということで落語的思考の遊びです。 落語的なのかどうなのかはわかりませんが、言葉の違和感や論理的な矛盾に爆笑しています。そういうわけで、周りの通行人の人からは怪訝な目で見られたりしています。 例えば空き地に次のような
良きものを称賛するという意識の向け方
たいてい思考は言葉で行われていますし、意識の状態も普段使う言葉に大きく影響されるというのは本当のところですが、言葉にさえ左右されなくなる領域まで行ければ、言葉はもうこの心を縛ることはできません。 しかしながら、基本的には言葉によって意識は方向付けられています。ということで、言葉選びは結構重要だったりします。 言葉選びも大事ですし、何より「何に意識を向けるか」ということが結構大事だったりします。 否定的な言葉と肯定的な言葉 言葉を選ぶ時や

哲学の道の黄昏
哲学の道の黄昏ということで、昨日行ったばかりの哲学の道について触れながら、道行く人を見ながら感じたようなことについてでも書いていきましょう(ついでに、たった今の出来事ですが、なぜか、「みちゆくひと」と打っても通行人としか変換が出ません)。 このシーズン、哲学の道は桜吹雪の大乱舞という感じなので、人でいっぱいです。外国人だらけで、地元の人はほとんどいないような感じでしたが、想像よりは人が多くなかったので、程よく散歩することができました。な
祝四周年
なんだかんだで本ブログも四周年です。これで1140記事目になります。今回も祝三周年の時と同様に、単純に祝四周年というタイトルです。祝三周年の時点で、842記事だったのでこの一年で298記事を書いたことになります。過去分の転載等もありましたが、この一年はまあまあ書いた方になるのでしょう。 … さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいてい
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みてみました。宗教勧誘を論破して撃退するという感じではなく、相手のフレーム合わせて、対機説法をしてみるという感じです。 普通は宗教勧誘に対して上手く断るという感じだったり論破して撃退するという感じだったりするでしょうが、僕の場合は目的が少し違っていて、追い返すことではなく、短時間で脱洗脳のタネを撒いておくことです。 先日、X(Twitter)でこっそりつぶやいてみましたが、ほんの少し前

うめぼしの謎
今回は「うめぼしの謎」特集です。同世代の方にしかほとんどわからないと思いますが、「うめぼしの謎」は90年代半ば、スクウェアエニックスになる前のエニックスより出版されていた「月刊少年ギャグ王」で連載されていた伝説的4コマ漫画です。 やはりなんだかんだで少年期の頃に人格の基礎ができるような気がします。コロコロやボンボンから背伸びする同級生は、ジャンプやマガジン、サンデーの方に行きますが、僕たちの小学校では少年ガンガンと少年ギャグ王が圧倒的に
虚栄心の原因と心理の裏側
虚栄心の原因と心理の裏側ということで、虚栄心について書いていきます。 虚栄心(きょえいしん)は、つまるところ自分を大きく見せたいということであり、その裏の心理としては生存本能としての恐怖心があります。見栄を張ることで自分を大きく見せたい、実力以上に評価されたいと思う心理の根本動機は、生命としての恐怖心ということになります。 虚栄心というと、大げさな話や嘘、そして虚飾により見栄を張る心という感じになりますが、その目的が自尊心を高めることや

マルチ商法(MLM)と洗脳
マルチ商法(MLM)と洗脳ということで、正確にはマインドコントロールにはなりますが、マルチ商法に洗脳されてしまった若年起業家について書き記しておきます。 最後に会ったのはもう数年前ですが、その時にもう少し踏み込んで止めておいたほうが良かったかなぁということを思います。 ということでそんな思いの昇華の意味を込めて、マルチ商法、マルチネットワーク、ネットワークビジネス、マルチレベルマーケティング(MLM)と呼ばれるものへの警鈴と、その本質的
「やる気を出す」以前にやる気は出すものではない
「やる気を出せ!」なんてなことを言われても、やる気なんて出ません。 ところがやる気を出して欲しい方の人は、相手にそうしてもらわないと都合が悪いからこそ、やる気を出せなどと言うのでしょう。 特にうつ状態の時は、やる気なんて出ません。やる気が無いこと自体がうつ状態の代名詞のようなものですから、出るはずがないのです。 外からやる気を出せと言われても出ないのが自然 そこで考えてみたいのがやる気の出し方です。 やる気を出す方法として、たいていが体
合理化や最適化が機械にできる限界
AIがすごいとか、少し前であればIT化がすごいとか、そうした事が世の中でよく囁かれますが、「合理化」や「最適化」が機械にできる限界であり、結局大切なことは文語ではなく口語でないと何ともならないというようなことについて触れていきます。 哲学カテゴリでも会社経営と商いカテゴリでも良かったのですが、抽象的な感じなので雑記にしておきます。 まず最初に、新世代に対する旧世代的な後ろ向きの考えではないということに注意してください。 合理化や最適化の
克服という目線は対象の肯定と意図の抵抗になる
克服という目線は対象の肯定と意図の抵抗になるという感じで、よくありがちな「克服しよう」という方向性自体が、目的と逆行してしまうというパラドクスについてでも書いていきます。 「うつを自力で克服する」では方便的に便宜上克服という言葉を序盤に使っていますが、苦手の克服にしろなんにしろ、「克服する」という考え方自体が、対象に対する執着と「自分への影響力の肯定」になってしまい、結果的により盲目的に克服とは逆行した働きをしてしまうという感じです。
