さよなら2021

2021年が終わります。12月生まれということで38歳になりました。半分にしたら19歳、あの時から倍生きたことになります。 中学や高校のときの同級生とも未だに遊びますが、考えてみれば出会ってから20年以上、出会ったタイミングから考えれば四半世紀前後の付き合いということになります。小学校の時からの友達で言えば30年を超えています。 20

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未来を見るためのエネルギー

思い返すと昔はかなり先延ばし癖があり、未来を見ようとしないというか、現状維持に相当意識が向いていたような気がします。 それは未来を考えることが恐ろしいというようなものも含まれていますが、現状がそこそこ楽しいので、その空間をなるべく継続したいというような、そんな理由も結構な比重であったように思います。 十代後半の頃は、「とりあえず癖」が

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第2000回投稿記念

これで2000記事目になります。ブログ創設から2000回目の投稿ということで「第2000回投稿記念」です。 前回の第1900回投稿記念は、2020年9月29日だったので、前回からの100記事は、1年3ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。それまでに比べてかなりのローペースでした。 なお、第1000回投稿記念は、2017年9月20日だ

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苦悩を縦横無尽に展開

思考がループする時は、基本的には情報不足や意志決定の気力不足が影響していたりします。決めるための情報が不足しているとか、あと一歩の思い切りの力が出ない、というようなものです。 堂々巡りを脱却するため、普通はそうした面でなんとかしようと思ってしまったりします。 また、とりあえず思考が働きだしたら「ストップ」と口に出したりして、思考ループ

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倫理の照準

基本人格は小学生の時から変わっていませんが、Z会の発達に合わせて、怒り多き思春期を過ごしたりしました。 でもその時に出会ったからこそ「こうなるべきである」というような倫理の照準がうまく設定されたような気がします。 自我の領域として、情報が収束して形成される人格において、「こうなるべきである」と思った人格、象徴は、hide氏です。それは

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最初から出ていた答え

遡って色々と振り返ってみると、最初からいきなり答えが出ていたというようなことが数多くあります。 そうしたことが多いので、今でも直感に従うことがよくあります。 世の中では「努力」についていろいろなことが言われていて「努力は絶対に必要だ」というような脳筋から、「努力は不要であり、嫌々する努力は逆効果」というようなものまでたくさんあります。

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反省と少しの勇気と決意

小説や楽曲、映画、アニメ等々においても、なんだかんだで好きな物語には特徴があります。 それは「今の自分よりも立派な人間になろう」というような反省と、そうなるべく起こる少しの勇気や決断、決意が含まれているようなものです。 ドラえもんの中でもたまにあるような感じですし、藤子・F・不二雄氏は「のび太にはひとつだけいいところがあります。それは

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カルトの定義

カルト(cult)とは、もともと熱狂的な崇拝を意味し、一種の原理や哲学に基づいた儀式、行動様式などを意味するような言葉になりますが、現代では反社会的な破壊的カルト集団を指す場合に用いられたりします。 カルトの定義としては、次のようなものになります。 精神の安定のために、絶対性を持たない原理に執著し、原理やそれと関連する人物、概念を熱狂

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蹴球唾吐

1994投稿目ということで1994年…エキサイトステージ94…先日の強制終了…ということで、サッカーの思い出について触れていきましょう。 1993年から1994年頃といえば空前のJリーグ、サッカーブームの到来というような感じであり、当時小学校中学年だった僕の学校でもサッカーが流行しました。友人と「Jリーグ エキサイトステージ&#821

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顔の締まりとランラン光線

最近聞いた話ですが、推しの文化により、関連したものによって自分を表現しようというか、話の取っ掛かりを作って誰かに絡んでもらおう、できればモテようとするような雰囲気があるようです。 しかしながらそんなことでいくら取り繕おうが、本来、顔だけで人格はバレてしまうので、深い部分ではあまり意味がないのではないか、深い仲になったりする点においては

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強制終了という選択

パソコン等々がフリーズしたとき、ソフトやアプリが固まってしまってどうしようもない時、取る方法は基本的に強制終了という感じになっています。 それと同じようなことをすればよいのに、なんとかいじくり回そうとしてどうにもならず、右往左往して人生を強制終了させるというようなことに走ってしまう人たちもいるようです。 ただ、単純明快な解の一つとして

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静止することにより見えるもの

日常から離れ、静止することによって見えるものがあります。それは特に非日常的な体験というものではなく、独りの空間をある程度保って静止するといったようなものです。そうすると行きたい方向が見えてくる場合があります。 例えば、「少し休みを取ったとしても、特にやることがないからなぁ」と思ったりして、あまり一人で独立した空間を持つことを意図しない

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あほぼんの象徴

基本的にダンスというものに寒気を覚えるものの、一部例外があり、エアロビ笑点やタイムスリップショッピングダンスなどは、「あほぼんの象徴」として、別口で感性をくすぐるものとなっています。 エアロビクス的な動きや音楽は、80年代を思わせる雰囲気と相まって、僕にとっては爆笑の対象となったりするわけです。 その根底に流れているものは、やはり資本

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ちょっとした想像力と抑止力

先日、銭湯に行った時のことです。兄弟数人の子連れが一組いて、そこそこ騒がしかったのですが、一番騒がしいのは父親と思しき大人でした。「わー」などとい言いながら、湯船に飛び込むくらいの感じです。 まあ奇声さえあげなければいい、と思いつつ、おそらくイクメンなどという言葉に踊らされ、妻や子どもの言いなりになって自分を保てなくなり、結果、「自分

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胸の痛みが消えてなくなる感覚

どうも体の部分部分に秘めた痛みというものは、その痛みを受けた時の記憶等々と連動していたりします。 また、緊張の種類によって体としても緊張が走る場所が異なるため、ある部分の痛みや疲れは、それに応じた緊張のエピソードと連動していたりするようです。 先日、夜に眠れなくなり、いつもなら春先に起こるような緊張の解放が一気に起こりました。もしかす

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電話とメールの使い分け

思い返すと、友人との連絡においては、この数年ほぼメール、メッセージ機能を使っていないということに気づきました。 逆に業務関連ではほとんどがメールのみということになっています。 その大きな違いは、仕事においては「言った/言っていない」というようなものを防ぐため、認識の齟齬を防ぐためというような意味合いが強く、友人関係においてはそうした証

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相手の空間に飲み込まれると調子を崩す

相手の空間に飲み込まれると調子を崩す、ということで、少しだけ「人との深い関わり」の続編を進めていきましょう。 振り返ると「調子が悪いなぁ」とか「何をやってもうまくいかない」という時、たいていは誰かの空間に飲み込まれていて、自分本来の思いや意図からは外れていた時、という感じなっています。 相手の提案に乗ってみるということはいいですが、行

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人との深い関わり

思えば幼少期から人と深い関わりを持つことが多いなぁというようなことを思ったりします。しかし最近ではほとんどそんな深い関わりが生じることがありません。 人と深く関わって良かったこともあれば、さんざんだったということもあります。 さんざんだったことも数多くありますが、それなりに良い経験になっているので、振り返れば「良かった」というようなこ

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絵本に見る異性の生き方の感覚

絵本に見る異性の生き方の感覚

数あるビアトリクス・ポター氏のおはなしの中で、個人的に最も好きなのが「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」です。 「うさぎの絵について」でピーターラビットシリーズのうさぎを推しておきながら、一番好きなのは「こぶた」というのは矛盾のようですが致し方ありません(亥年生まれであるからということにしておきましょう)。 最後の絵でピグリン・ブ

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1983

1983投稿目ということで、1983年について、というより相当幼い幼少期の頃について触れていきましょう。 僕は1983年(昭和58年)に生まれました。 といっても12月生まれなので、1983年を過ごした期間はほぼわずかで、新生児の頃という感じになります。 そういえば僕の銭湯歴は相当長く、生後一ヶ月で銭湯デビューという感じだったようです

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「しないこと」への評価

11月は児童虐待防止推進月間ということのようです。個人的には児童愛護の方が表現としては良いのではないかと思ったりもしますが、直接的に虐待というものを防ぐということを意図しているので致し方ないのかもしれません。 個人的には「虐待をしないこと」への評価があまりにも意識されなさすぎているような気がします。 以前、「際限のない『何をどこまで』

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空想による発火

ぼんやりと月を観たりしている時などによく空想による発火が起こったりします。 離人感を伴うような感じですが、心地よさを伴います。 情報空間が広がり、四次元的な移動もできるような感覚です。 それはぼーっとしている時、突然起こります。 手というものに関する無限にも近い空想 例えばですが、月に手をかざした時、手というものと手を動かすということ

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限界や転機における体の再生

今までの人生で何度か自然と食が進まないような時がありました。無理や我慢のような感覚は全くなく、また、「体調が悪く、食えない」というような感覚ではなく「特に要らない」というような感覚です。 そして、ふとした眠れない夜、よく散歩にでかけました。 こうした時はだいたい、鬱屈した身体が限界に近づき再生を図るときか、もしくは精神を含めて大きな変

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見る方向と視野の広さ

社会的な問題、とりわけ経済格差的な問題や生活の自由さなどについて触れられる時、単なる愚痴のようにしか見えないような論調が多い傾向にあります。 「もしかするとですが…きっと儲かってないんですね」 というようなことを思ってしまったりもするのですが、問題は問題としての正しさはありつつも、そうしたものは、個人レベルでは「見る方向と視野の広さ」

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合意と根拠

インターネットメディアが普及してからというもの、やたらと根拠・データを示せば相手は納得すると言うか、言い返せなくなるというような雰囲気が出てきたりしましたが、「そんなことを根拠にして説得すると不利ですよ」と言いたくなってしまうこともよくあります。 何度も触れていますが、とりわけ相関関係は絶対性を持ちませんし、傾向くらいしかわからないの

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情報的な大きさと「悲」の反応

情報的な大きさと「悲」の反応について触れていきましょう。 定義を示す順が逆になりますが、ここで言う「悲」とは、パーリ語のkaruṇā(カルナー)であり、慈悲の「悲」を意味します。「苦しみがあるのであればそれが取り除かれるように」というような思いです。 情報的な大きさというのは、いわゆるひとつの気の大きさであり、ある意味でのレベルの高さ

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合意と具象

相手の合意を必要とする場合、抽象的なことであっても具象化せざるを得ないという場合があります。 様々なことをわかりやすく伝えたいというのはやまやまですが、そんなふうにどうしても相手の合意というものが要るとなれば、本質とは少しズレたところで示さざるを得なくなります。 しかしながら、抽象的なまま語られると譫言のようにしか感じざるを得ない場合

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「性善説と性悪説」から見る組織の安定

「なぜブラック企業が存続しているのか」といった点や、「なぜ世の中の企業が人的に安定しないのか」といった点に関わるのが性善説と性悪説から見る組織の安定の構造です。 社会の構成員全員が、気楽に自然な相互扶助のもと日々の仕事をすることができれば良いのですが、周りを見渡すとそうしたことが叶っているというケースのほうがレアだったりします。 死に

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笑いは印象の正負を逆転させる

笑いの素晴らしい点のひとつとして、「印象の正負を逆転させる」という点があります。その質にもよりますが、感情が激しく動く出来事というものは、解釈しだいで悲しみや怒りといったものにもなりますし爆笑の対象にもなりえます。 本来出来事というものは、それそのものは中性です。 ストレス耐性という言葉がありますが、耐えるということだけがその乗り越え

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個人的な満足こそがすべて

「自己満足」という言葉がありますが、どうしてもその用法としては、社会性の欠如の指摘のような側面が含まれています。しかしながら、一応本質的には「個人的な満足こそがすべて」という感じになっています。 世の中では様々な「こうした方がいい」というようなアドバイスがあります。そしてもちろん相手には相手の都合、その領域にはその領域なりの都合があり

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