消えていく中の懐かしさ

そういえば比較的最近The pillowsが解散したようです。それだけでなく昨年からいろいろなものが終りを迎え、消え、新しい風景に変わっていったりしています。

娘としても「病に倒れる前におばあちゃんとよく行った思い出の店」が閉店して工事をしている風景を見て、喚くわけでもなくショックを受けたように静かに涙を流したりすることがありました。

様々な店舗が閉店したり移転などを行うということは、コロナ環境と資金のあり方(主にゆるすぎる融資。不安の押し付け合い空間との縁切りで少し触れていました)によって「そろそろだろう」とは思っていたので個人的には全く驚きはありませんでしたが、思い出の風景が消えていくということについては娘としてもショックだったようです。

と、そうして消えていくものついて憂いているわけでではないのですが、こうした出来事が多いせいか、先月末くらいに不思議な感覚になりました。

記録として残しておこうと思ったので、その日のことについて記しておきます。

すべてが懐かしく愛おしい

特に設定があって妄想をしたわけではないのですが、突然、感覚としては100歳以上の自分、亡くなる直前の自分が、41歳の自分を体験しに来ているような感覚になりました。

「すべてが懐かしく愛おしい」という感覚です。

物にしてももちろんそれぞれのものは日常「大したことがない」と思っているものではあるものの、全てのものにもう一度触れて懐かしみたいようなそんな気分になりました。

妻の手を握り、「ああこの頃はこのような感覚だったか。懐かしく愛おしい」という感覚を味わいました。

まさに超高齢の自分が、現代の自分に一時的にシフトしたような感覚です。

その日の自分は、その前の日とさほど変わりない日常です。

しかし印象や感覚が極端に違いました。

過去の思い出については

「あれは何だったのだろう。要らないのでそこで費やした時間と金銭と体力を返して欲しい」

というような気分になるようなものもあります。

しかしそれは今の自分が考えるからそう思うだけで、どの自分が見るかによって、そして、今の自分の意識の向きや気分ががどのようなものであるかによって、印象もバラバラなのだろうと思います。

考えの上では「今の何かを改善しよう」という悪因探しの前提で記憶を見たりしがちです。

今の自分の不満を解消すべく過去にある原因を探して再評価し、改善策を立てよう、というような方向性です。

しかしそんな前提もないような、ただただ死の直前で、その過去を体験するだけのことなのであれば、単にその体験を味わい、懐かしみ、愛おしいと感じるだけなのではないかと思います。

Category:miscellaneous notes 雑記

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