最初と最後を見て考える実質的効用と性質

お金の使い方の基本は、買った時と使わなくなった時の間に「何をどれくらい貢献してくれるか」という点を考えることです。まあつまり「最初と最後を見て考える実質的効用と性質」という感じです。

そう考えると、「ちょっと割高感はあるけど、買うのではなく借りてもいいのではないか?」というような感覚もついてきます。

「自分のものにしたい」という気持ちばかりにとらわれるとそうした点が見えてきません。

「本質的に自分が求めているのは何なのか?」

ということが見えてくると必要性の検討も深まっていきますし、代替手段なども検討の対象になっていきます。

新しいものに手を出す人たち

そういえば高校生くらいのときには「携帯電話の新機種が出るたびに買い換える人」が出てきました。

既にその時には多少なりとも金銭面にはシビアだったので、羨ましがることもなくそうした人たちの様子を観察していました。

今では使わなくなった機器を売るということも当たり前になってきましたが、当時は買ったらそのままです。

なのに半年に一度くらいのペースで新機種に買い換える人たちがいました。

なぜそんな行動を起こすのかということを考えた時に、本当にほしいのはその機械ではなく、モテとか注目であり、新機能がついていたとしても、その機能自体を欲しているのではなく、新機能によって浴びる注目とモテ、自尊心の獲得と自己顕示欲の充足といった点なのだろうなぁと既に冷めた目で見ていました。

半年スパンで使い捨てられるその携帯電話たちは、当時でも一台あたり三万円くらいしており、月割で考えると月に5000円使っている計算になっていました。

高校生で月に5000円となると大金です。そして、その代金とともに電話代を稼ぐためにアルバイトをしているという感じの人がちらほらいました。

僕は自由だったので外で遊んでいましたが、それを埋めるためにと大金を使っているのです。

その当時、そうした同級生の姿を見た母は僕に1000円を渡し、「ファミレスにでも行ってきなさい」と言っていました。

そう考えると軽く食事を取ったとしても、5000円あれば週一ペースで行くことができます。30000円あるなら半年で30回も行けるのです。

もちろん毎度毎度そんなお金をもらえるはずもありませんでしたが、「なるほどその方がいいなぁ」と高校生ながらに思っていました。

投資的性質を持つものではなく、物の購入という消費的性質を持つものであってもそのような感じなので、いきなり投資して増やすというようなことを検討する前に、まずは実質的効用と性質の本質を見極める目を養う方がいいのではないかと思っています。

何回使って、何をもたらしたか

実質的効用などというと難しい話のように感じたりもしてしまうかもしれませんが理屈は簡単です。

ひとまずは過去に購入したものを見て

「何回使って、何をもたらしたか」

ということを考えるだけで良いという感じです。

タンスの肥やし

俗に言う「タンスの肥やし」で廃棄処分になったとしたら、それが購入前には現金だったことを思い浮かべればいいのです。

最近ではインターネットの力によって多少現金化できたりもしますが、その場合は、購入にかかった費用と売却で得たお金から考えればよいという感じになります。

ただ実際には、売却にも手間がかかっていたりするので多少マイナスくらいに考えたほうがいいでしょう。

そうなると、購入時の「なんとなく嬉しい気分」をその差額分で買ったということになります。

今では無リスク資産の金利が期待できないのであまり関係がありませんが、細かい話をすると、売却までの間タンスの肥やし状態にあった時は金利がつきませんが、現金であった場合は金利までついていたのです。

もっと厳しく考えるなら不動産投資などでよく用いられる収益還元法やディスカウントキャッシュフロー法などで計算すると良いですが、個人的消費の範囲であればそこまで厳密に計算する必要はありません。

購入と売却でプラスが出たといっても、手間の分を考えればよほどプラスにならない限り概ね実質的にはマイナスです。

と、ここまでは、タンスの肥やしを中心に考えてみましたが、その他使っていたものであっても基本的には同じです。

購入から処分までの間の貢献

購入から処分までの間、何に対してどれくらい貢献してくれたかという点を見るのが肝心です。

その時には実質的な機能を検討するのが一番でしょう。

実際に何に対してどれくらい役立ったかというところは、時間の短縮であったり、労力の削減であったり、新しいチャンスを掴むためだったりとバラバラですが、今までに何回くらい使って、何にどれくらい役立ったかというところを考えると、割安か割高かも見えてきますし、代替手段も見えてきます。

そして、100%を追い求めると費用が高額になるというような点も見えてきます。

100%を追い求めると費用が高額になる

世の中の色々な物事を見渡してみると、「100%を追い求めると費用が高額になる」という感じになっています。

まあ事業等々では、100%完璧にしようと思ってもできないというのが当たり前なのですが、ここではそれはさておき、用意されているものの中で最高ランクのものとか、万全体制を目指すとなるとやたらと費用がかかるという点について考えてみます。

常連さんの中にはご存知の方もいらっしゃると思いますが、僕はガラケーしか契約していません。

「意識の散らかりを防ぐ」などなど、理由はたくさんありますが、一応コスト面でも最適化しているという感じです。

金銭面で言えば別にスマートフォンを何台契約しても大丈夫なのですが、そうしたことをしても意味がないので、ガラケー生活を送っています。

まあ十代の時ならばそういうわけにもいかないような「友達的な事情」もあるかもしれませんが、今の僕としては特に困ったことは起こっていません。

ただスマートフォン自体は、一応機器としては所有しており、全く使っていないわけではありません。

ほとんど使いませんが、使うにしても基本的には家や職場のWi-Fiで事足りており、外出時にもコンビニWi-Fiなどを利用しているという感じです。

必要そうなときはそれを持ち出すことはありますが、リアルタイム返信をしなくてはならないという局面がなく、それほど重要なことなら電話がかかってくるので、何も困ったことが起こらないという感じです。

ところが、それを四六時中どこででも使える状態にしようと思うと、結構な金額がかかったりします。最近では安価に利用できる事業者も増えてきましたが、大手の会社と契約するとなると結構な費用が必要になり、年間費用や10年間で支払う金額を考えれば、すごい金額になることに気づくはずです。

仮に5000円程度必要なら年間で6万円、10年で60万円です。

僕としては、家や職場以外で通信が必要になる瞬間がほとんどないので、四六時中通信が可能な体制を整える必要がありません。

「終電の時間をチェックできない」

というような不便さを感じてしまう人もいるかもしれませんが、ありがたいことに誰かはそうした通信契約を結んでいてくれるどころか、ほぼすべての人がそうであるので、僕はそうした時に、一緒にいる人に調べてもらったりしています。

そして「お礼にコーヒーなどごちそうする」という感じで過ごしています。

ガラケーの料金が1500円位だったりするので、スマートフォン契約とガラケー契約の差額が3500円位になります。

そうするとコーヒーのごちそうに100円位はかかりますが、月に35回はお願いができるという感じになります。まあ一日一回くらいはお願いが可能であり、実際そんなシーンは月に一度もないので全く困っていないという感じです。

周りに頼む人がいない場合でも、見知らぬ人に声を掛けるくらいできます。なので全く困っていません。

相手としても仮に現金として考えれば1、2分位の作業で100円になるのだから大体の人は喜んでくれます。

またオマケ的に「会合などで話したことのない人に接する良い機会すら生まれる」とまで解釈するとポジティブすぎるかもしれませんが、そのような感じで何とでもなるのです。

それを変に四六時中体制にしようとすると、結構なコストがかかります。

と、これは一例ですが、通信機器の実質的効用を考えるとそんな感じになります。

最新の情報云々に関しても、僕としてはPCの方が見るのも早いですし、コストとリターンを考えれば、インターネット空間で情報を仕入れるよりも本を読んでいる方が理にかなっていると思っています。

それはさておき、世の中の消費物は100%なら100万円でも80%なら50万円というような感じのものが結構あります。わかりやすいのは旧モデルの製品などですね。実際はもっと安く済むことが多く、そうした「完璧じゃなくていい」とか「最新のものでなくていい」と言う感じの感覚を持つと、無駄な出費が格段に減ります。

最新のものであってもどうせ半年か一年で旧モデルになります。

新品で買っても、使った瞬間から中古です。

そうしたものでも結局かかったコストと「何回使って、何をもたらしたか」ということの計算になるので、使わないものを買わないのはもちろん、コストを減らすというのも大切です。

実質的効用と性質を見るための「処分」

物を処分する時には多少なりと痛みを感じたりします。

捨てるとなると痛みを感じるからタンスの肥やしで溢れかえるという場合があるという感じになりますが、痛みを見ようとしないから実質的効用などが見えないということになります。

旅行等の一回性のあるものもあるので対象にもよりますが、物の場合であれば、処分の痛みを感じれば痛みを回避するために、種をまくことをやめるようになります。つまり浪費が止まります。

痛みを感じればいいのです。

そうすると、コストに対してどれほどの効用があったのかが見えてきます。

なるべく全体を包括して観る

購買意欲を高めるための広告などの情報を浴び続けていると、何も検討することなく買ってしまう「普通の基準」が出来上がってしまいます。

そうなると、もし賢くお金を使うということをしようと思ったときにも、そのジャンルのものを買うことは決定していて、その中から一番得そうなものを選ぶという近視眼的な視点が出来上がってしまいます。

本当は10個位の要素があって、それぞれの総合得点で評価が決まるという感じでモデル化してみましょう。

その例として「モテ」を取り上げた場合、服装など外見の洗練さという要素があったとします。

それはそれで10個位の要素のうちの一つとして考えてもいいですが、「総合得点で決まる」という全体像、全体を包括して観る視点が無いと、100%を目指して高額な費用を費やしてしまうような形に陥ってしまいます。

外見にかけるお金が5000円から50000円になれば、多少の効果は期待できるかもしれませんが、50000円を500000円にしても、それほど効果は期待できません。しかし同じ10倍でも絶対的な数値で言えば450000円費やすことになります。

そうしてコストの高額化という方向でなくても50000円の対象の変更といった目線で考えてしまったりしまいます。

本当はその他の9個の要素を高めたほうが効果は高いのに、そうしたことにお金も時間も頭も使ってしまうという感じです。

RPGでもレベル80からレベルを10上げることは、相当の時間と労力を使いますが、レベル1であればそこからレベルを10上げることは比較的簡単です。

なので、他の要素の発見を含め、全体像を観ようとすることの方が理にかなっており、その他の要素に分配するということを含め、代替手段の発見も大切です。それだけで、本来の意味での「経済」に沿うようになっていきます。

モテを題材にしましたが、これは事業経営でも同じです。

店舗であれば「ホコリ一つない空間」を目指し、何十時間もかけてお店をキレイにしたところで限界はありますし、ある一定値以上は効果を期待できません。そうであるなら、清掃はそこそこで、余った時間で研修でもやって接遇の向上に努めたりするほうが良いという感じです。

木を見て森を見ずという視点が、実質的効用を見る機会を奪っているという感じになります。

コスト面を含め、最初と最後とその間にもたらされたプラス面を検討すれば、無駄な消費減っていきます。

それだけで結構手元にお金は残りますよ。

Category:finance お金に関すること

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ