撫でられることや撫でることの効果

撫でたり撫でられたりするだけで「ふわぁ~」っとします。

撫でられることの効果や撫でることの効果は論理で考える以上のものとなっています。

「撫でられることや撫でることでオキシトシンが出る」とか「精神症状にオキシトシンが効く」という物理的な観測もいいですが、それは、なぜ撫でられたり撫でたりすると抗不安作用や抗ストレス作用のあるオキシトシンが出るのかを説明はしていません。

そうしたことは雑談程度にしておいて、実質的に撫でたり撫でられたりするだけで「ふわぁ~」っとなるだからそれでいいのではないでしょうか。

そして、たったそれだけのことなのに、それができずにいる人達もたくさんいます。

撫でたり撫でられたりということは、動物の世界では当たり前の行動です。

その当たり前が稀有なこととなっているからこそ、家族等々の小さな世界であっても軋轢が絶えないという感じになってしまうのでしょう。

哺乳類で共通する撫でられることの効果

哺乳類たるもの撫でられるとどうなるかということは共通しています。撫でられることの効果は目に見えて至極当然に理解することができます。

まずはこの方。

カピバラ

カピバラ「あーちょっと失礼」

(注 カピバラの場合はごろんポイントがありますので少し特殊です)

そしてこの方。

ミニブタのせつこ

ミニブタのせつこ

最近で言えばこの方。

スカイフォレストをブラッシング

スカイフォレストをブラッシング

ちなみに馬同士でもこの通り。

馬の相互扶助精神

馬の相互扶助精神

撫でることを欲しだした父

最近のことですが、父が「動物園に行ったらうさぎに会えるやろか?」と聞いてきたので、「そりゃまあいると思うけど」と答えました。

すると「抱っこはできるんやろか?」と聞いてきたので、「できるかもしれんし、撫でるくらいしかできひんかもしれん」と答えておきました。

養子のうさぎが亡くなって2年以上経過していますが、それからというもの「〇〇(養子のうさぎ)がおらんからワシは寂しいんや!」といった叫びや「〇〇が恋しいんや!」と父が嘆き出すことがたまにあります。

養子のうさぎのもたらしたものは凄まじく、それまでの人生の中で動物に関心を示したことのなかった父が、自発的におやつを買ってきたり抱っこをしたりするようになりましたし、火葬の時は一番泣いたりしていました。

そのキーポイントとなるのは、やはりうさぎを撫でるということでもたらされたリラックスというようなものなのでしょう。

母は母で、養子のうさぎの介護中、彼を撫でながら「はぁ~かわいい~」と、それまで見たことのないような少女漫画並みのキラキラした目をしたりしていました。

ということで、撫でている側も十分にリラックス効果があるような幸福感を感じているということになるでしょう。

「背中をさする」というおばあさんの知恵

理解者」で触れていたおばあさんは、その時限界領域にまで来ていた僕の背中をさすってくれました。

たったそれだけのことで、僕はその場で立ち直ることができました。

たくさんの知識を詰め込んだ精神科医にもできなかったようなことを経験則で知っていたということになります。そしてそれができてしまうということがまたすごいという感じです。

もちろんそれが効く場合もありますし、気休めにしかならない場合もあります。しかしながら、なぜたったそれだけのことなのにできないのか、そんな簡単なことなのにそれを見落として知識と論理で解決しようとするのか、というところが知識が生み出した盲目というものなのでしょう。

「その問題は慈悲と共に撫でるだけで事足りたのではないか?」

と思うこともよくあります。

撫でられることを欲するよりも撫でる側になればいい

そのような感じで、撫でてもらうことは「ふわ~」が起こるのでカリカリしたときや悲しい時、極端に疲れた時などはそれを欲してしまうと思いますが、撫でる側にも多少の「ふわ~」が起こります。

撫でてもらう側のほうが「ふわ~」が強烈なので、その手法は夜の店でも悪用されたりしますし、カルトにおいてもマインドコントロールに利用されたりするくらいです。

しかし「愛されたい」「撫でられたい」という受け取る側の姿勢ばかりでいると「じゃあ代償を差し出しなさい」とお金などを毟り取られていくことになりかねません。そしてその方法論に依存すると、単なる依存症のようになってしまいます。

ちなみに僕は、眠れないという人や全身がガチガチになった人などに「遠隔歯ぎしり」と共に撫でたりすることがあります。たいてい数分以内には爆睡モードになります。その寸前には、ほぼ例外なく顔が少年少女の顔となり、遊び疲れた少年少女の顔のまま眠りにつきます。なお、眠る直前の記憶がないという場合が結構あります。

もちろん眠れない側、全身がガチガチ側であれば負担のない範囲で撫でてもらうというのもいいですが、撫でる側ですら「ふわぁ~」が起こるので、相手が人であれ動物であれ対象を撫でる側になれば論理を超えたような形で精神の安定がやってくるはずです。

なので、あまりに人と人との距離が物理的に遠ざかっていたりするような現代ですが、人と人とが物理的に触れ合うだけで、社会的な軋轢は大幅に減少するのではないかと思っています。

もちろんそれだけで全ての問題、課題が解決するわけではありません。しかしながら、カリカリした状態で考えたり想像したりしたことよりも、多少緩んだ状態で考えたことの方が合理的だったりしますし、何よりも平穏の目線で考えることになるので平和的です。

自然界における動物の世界をはじめ、自然界では各々の世界でちょうどよい仲間意識があり、人だけが持つような「動物としては意味不明な悩み」はありません。無駄な競争、無駄な闘争、無駄な軋轢、無駄な孤立、そしてそれにより生じる無駄な悩みや無駄な感情がないという感じです。

ただ、撫でられることを欲するよりも撫でる側になればいいということであっても、人や動物を自分の精神の安定のために利用し、踏み台にしようなどと思ってはいけません。

相手が動物であっても、自分が人であることを傲ることなく、どのような生き物であっても相手は仲間であり、また、慈悲の感覚を教えてくれる生きた教師であるということを忘れてはなりません。

概ね人の意識にわずかに潜む相手に対しての「所詮〇〇だ」という軽視なく、全ての生き物に対する平等な視点と慈悲が育てば、撫でられることや撫でることで起こる精神の安定を欲することなく、常に心は安らぎに帰すようになるでしょう。

Category:うつ、もしくはうつ気味の方へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ