タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

ひとつの模範

私はトゥキュディデスのどこを愛するのか?私が彼をプラトンよりも深く尊敬する原因は何か?― 彼は人間と出来事のあらゆる典型的なものに、最も広範囲で最も偏見のない喜びを感じ、そしてどの典型にも、ある量のよい理性が属していることを見出す。これを、彼は発見しようと努める。彼はプラトンよりも大きな実際的な公正さを持っている。 曙光 168 前半 トゥキュディデスは「戦史(ペロポネソス戦争史)」の人ですね。「アテナイ」オタク以外は知らなくてもいい人です。 どうせ模範にするならと、優れたような人がいないか探したものですが、やはり

» ひとつの模範の続きを読む


意識の分野の解消法その2 なるべく関係を謝絶する

拒絶と謝絶というと少しのニュアンスの違いから大差があります。どちらも相手からの要求を拒むことですが、抵抗感のニュアンスが少し異なります。対象が物であれば、相手、つまり物から何か要求されているわけではありません。では誰に要求されているのか。 それはアイツこと自我です。相手は相手として独立して存在していようがいまいが、認識結果から意識の中で「相手」を作り上げて、要求をしてくるはたらきです。 様々な申し入れをしてきますが、ひとまずはそれを嫌がりながら拒否していくというよりも、丁寧に「お断りします」という姿勢で接してみまし

» 意識の分野の解消法その2 なるべく関係を謝絶するの続きを読む


暖かい徳と冷たい徳

 冷静な大胆さ、毅然とした態度としての勇気と、熱烈な、半ば盲目的な勇気― 双方がひとつの名前で呼ばれている!しかし、冷たい徳は暖かい徳とどんなに異なっているだろう! 曙光 277 前半 おそらく昔から、誰よりも冷徹だと自負しています。今では怒りもしませんが、切り捨てという意味では、切り替えが早いと思います。特にビジネスシーンではこの要素がかなり重要なポイントになります。 とりわけ株式のトレードなどでは損切りの素早さが勝敗の要になります。昔から思うのですが、会社の好き嫌いで株を買っている人の神経がよくわかりません。

» 暖かい徳と冷たい徳の続きを読む


種族の純化

ニーチェは、ナチス的だという偏見がありますが、ナチスがニーチェを利用しただけで、彼は全然ナチス的ではないどころか、それを批判していました。ニーチェの妹がナチスにハマって、ナチスのイデオロギーに利用されただけです。 いまでもナチスと同じようなタイプの人がいますが、「自分が嫌いだと思っている人の状況によって、自分の気分が変動するなら、自分の気分は相手のコントロール下にある。外界の状況の変更という条件が、心の安穏の条件になる」ということを、一度考えてみたほうがいいでしょう。 よく言う「あなたの為を思って言っている」という

» 種族の純化の続きを読む


無条件の忠誠の誓い

車の免許を取るために自動車教習所に行った時のことです。 「はいはい」と返事すると、「『はい』は一回でええんや!」と中尾彬調の教官に叱られたことがあります。なぜ叱られたのはよくわかりません。 だれにでも同じことを言っているのならいいですが、おそらく教習生などにしか言っていないでしょう。相手がそこそこの大人ならきっと言っていないはずです。 「教えてもらいに来てるんやろ?」と彼は言いました。 すいませんが、あなたは僕からお金をもらっています。 脳筋教官が求める忠誠 なぜお金を払ってまで、忠誠まで誓わねばならないのかよくわ

» 無条件の忠誠の誓いの続きを読む


ニヒリズムの義務教育解釈

なぜこのように誇り高いのだろう!

高貴な性格が野卑な性格と相違するのは、後者が前者と同じく若干の数の習慣や視点を持ち合わせていないことによる。すなわちそれらの習慣や視点は、後者にとっては偶然にも相続されておらず、また仕付けられてもいないのである。 曙光 267 つい先日、「なぜこのように崇高なのだろう!」という見出しがあったにも関わらず、すぐにこういった事を言い出す癖がニーチェにはあります。 ニーチェはその文体にも表れるように、気分的なものが多いですが、それがやたらと的を得ていることが、面白い点ですね。「積極的ニヒリズム」ひとつとっても、厳密な論理

» なぜこのように誇り高いのだろう!の続きを読む


優美さがない

彼には優美さが欠けており、それが分かっている。おお、何と彼はこれに仮面をかぶせる術を心得ていることだろう! 曙光 266 「イメージ作り」という事を商売にしているような人がいます。ビジネスの場において、好印象を得れるようにその人をプロデュースするといったことのようです。 声のイメージなどもプロデュースすると謳っていましたが、当の本人が野暮ったく、京都で言えば「もっさい」の部類に入るような人です。 その人は、事あるごとにSNSで、高級車を乗っている人の高級車の写真などにコメントを加え、情報操作と、「知り合いにも持って

» 優美さがないの続きを読む


かつて讃辞を述べた者

10年位前、ライブドアという会社が話題になったことがあります。その時の様はよく覚えています。政治家や芸能人までもが堀江氏を持ち上げ、潰された途端に、意見をくるっと180度変えた様子をです。 彼を支持すると具合が悪いということになるのでしょうか、急に態度を変え始めました。 では、彼のどんなところをまず支持していたのでしょうか。かつて讃辞を述べた者たちは、何を支持し、その後何をもって支持しなくなったのかというようなところに疑問を持ったりしました。 支持するような意見から急に真逆の意見に 面白いことに会社の休憩室での話題

» かつて讃辞を述べた者の続きを読む


抵抗に驚く

あるものがわれわれにとって透明になったので、それはもはや何の抵抗もなし得ないだろうとわれわれは考える。― しかしそのとき、われわれは見透していながら貫通できないできないのに驚く!これは、蝿がすべてのガラス窓の前で陥るのと同じ愚劣であり、同じ驚きである。 曙光 444 たまに、自分は管理者などになったのだから、部下は逆らってこないだろう、と勘違いする人がいますが、そういう人は大抵体育会系思想を持ち、論理で負けそうになると「私は部長だぞ!」と感情で仕返しすることしか頭にありません。 思考の世界に感情を含めると、話がやや

» 抵抗に驚くの続きを読む


悪人たちの幸福

― 悪人たちの幸福 それは、衝動によって駆り立てられ、社会に洗脳されたまま恐怖心に怯え、罪悪感を許容し得たお金で、「優越感」や本能的欲求を満たすこと、といったところでしょうか。うーん、他にもありそう… さて、今回は、先日「受けた」というよりも「付き合いで同席した」セミナーの感想とでもいきましょう。 自己啓発洗脳組のありがたいお話 いやいや、今回はゆるく行きましょう。カタイような表現ばかりで疲れる、というようなことを避けるために、という試みです。その方がスイスイ書けるような気がしたということでゆるゆるで行きます。 今

» 悪人たちの幸福の続きを読む


考慮せよ

罰をうける者は、行為をしたものともはや同じではない。彼はいつも罪を贖(あがな)う山羊なのである。 曙光 252 「本を読めば、本を読む前とは別の人間になる」、よく言われるキャッチコピーのようですが、確かにある経験をする前とした後では、当然に別の意識を持っているので別の人間になります。 本を読む前と読んだ後では、意識の中に入っている情報内容が変化するので、少なからずは変化するはずです。 しかし、癖というものはなかなか取れません。 これは、行動の元になった原因が消滅していないと、また同じようなことをするという因子を内在

» 考慮せよの続きを読む


規則

「規則は私にとっていつも例外よりも興味がある」― こう感じる人は、認識が広く進んでいる人であって、大家に属する。 曙光 442 規則というものは何のためにあるのでしょうか。世の中には意味のわかる規則と、意味のわからない規則、そして、ギムキョ(義務教育の成れの果て)な発想の規則と、タダのわがままの部類に入る規則があります。 「規則を守れ」と声高々に言うことはいいですが、その規則がどういう趣旨のものかもきちんと説明できないと、僕のような中学生などに相談室で数時間拘束されることになります。 規則的には合理性があっても、ギ

» 規則の続きを読む


義務としての偽装

親切ということは、親切に思われようと努める長い間の偽装によって、最も多く発展せしめられてきた。偉大な力が存在したところではどこでも、ほかならぬこの種の偽装の必然性が認められた。 曙光 248 前半 特に偉大な力でなくとも、偉大な力かのように見せる集団での圧力と、そのイメージからの習慣による「疑いも呼び起こさない常識」が、親切に思われようとする一種の偽装的な生き方をするように、自然の中に溶け込んでいるかのようになっています。 「親切さ」は恣意的な別の目的のために偽装されることもあります。しかし一方でそうした可能性ばか

» 義務としての偽装の続きを読む


力の感情の鋭敏さ

権威にぶらさがったりしている人の取る態度は虚しいモノがあります。権威にぶらさがっていることも醜い態度ですが、権威の目から離れた瞬間に横柄になるという態度が最も冷笑の対象になります。 ある種の力が欲しいと思うことは、弱者であることを認めている、つまり弱者だと自認しているようなものです。 特に経済社会では、極めて力を欲していることがバレている人がたくさんいます。いつでも横柄も嫌われますが、謙遜と横柄という両極面を見せられた側は、一気にその人への信頼がぐらつきます。 力の魔物 本当は威張りたいのに、そこまでの実力がないか

» 力の感情の鋭敏さの続きを読む


去就に迷う

去就に迷う。 ー 「この仕事はやっていられないが、食い扶持が無くなるのは困る」、さあどうするか。 世間でもよくありがちな「身の上をどうするか」というこの命題に対しての回答は、「すぐに辞めろ」です。 イライラや焦燥感、恐れなどを解消するために稼いでいるのに、その稼業によって、イライラや焦燥感などが出てきているのならば、もっと良い仕事を探すべきです。 仕事に限らず、それがコミュニティであっても、パートナーであっても、それまでの歴史・実績的なものは頭から外して、これからの身の上をどうするかを考えねばなりません。 詐欺的と

» 去就に迷うの続きを読む


自主

自主(その最も僅かな服用量では「自由の思想」と呼ばれる)とは、権力を好む者が結局受け入れる諦めの形式である。― 支配することの出来るものを長いこと求めて、自分以外の何ものをも見出さなかった、その彼が。 曙光 242 自主は自主以外の用途で使われることがあります。プライドを保ったまま服従するために、自己説得を行う場合と、「任意という名の強制」を支配者側がこれもプライドを保ったまま、美しく見えるように、また、法の穴をくぐり抜けるために用います。 自主的にという場合には、本当に自分発端で行うものです。しかし「自主的に動け

» 自主の続きを読む


道徳学者への忠告

われわれの音楽家たちは大きな発見をした!興味を引く醜さは、彼らの芸術でもやはり可能なのである! 曙光 239 冒頭 「フックとしての醜さ」という手法が取られるようになりました。違和感を覚えさせることによって、興味関心を惹くという手法です。怒りやがっかりすら使われるようになりました。アイドルにボクシンググローブを付けさせるような手法ですね。 そうした手法を垣間見た時、ふとイワン・シャポヴァロフ氏を思い出したりしてしまいます。 t.A.T.u.とイワン・シャポヴァロフ氏 そういえば、十年ちょっと前にt.A.T.u.とい

» 道徳学者への忠告の続きを読む


党派の悩み

友人との雑談の中にも、内容に少し社会的なことが混じるといきなりギクッとせざるを得ない時を迎えることがあります。それは、当の友人のご両親などに「君、政治に興味ないか」と迫られる時がある、という場合です。 これは一種の宗教勧誘のようなものであり、信者とは言わず党員になれという脅迫の瞬間です。そんな時にはすぐに「無いです」と答えねばなりません。 友人のお父さんを論破したところで、何の実りもありません。かといって、ある程度の意見が同一であっても、同調などしてしまえば何かの集会に参加させられたりなど、ひとつの駒としての役割を

» 党派の悩みの続きを読む


第500回投稿記念

これで500記事目です。ということで第500回投稿記念の回です。 常連さんいつもご高覧ありがとうございます。あれほどおもんないグループについて書いているのに、再訪問いただいているということは確実におもんないグループの方ではないでしょう。 とうとう記事は500になりました。曙光のタイトルの量が膨大すぎて、なかなか進みませんが、通常カテゴリもちょろちょろと書いていこうと思います。一応3/28までは宝探しをしています。一周年が見えてきたところで「ぼちぼち」といわず、ブーストをかけて連投していきましょう(せめて一周年くらい

» 第500回投稿記念の続きを読む


鎖につながれているもの

鎖につながれているすべての精神に注意せよ!たとえば、その運命のために、狭くて見苦しい境遇の虜にされ、そこで老いてゆく賢明な女性たちに注意せよ。 曙光 227 前半 ふとしたことで精神はすぐに鎖に繋がれてしまいます。世の中で良しとされ、みんなが持ちたがるものでも、やがてそれはただ単に手に入れたと言うよりは鎖へと変化していきます。 入りたかった会社に勤めたとしても、欲しかったヴィンテージのギターを手に入れたとしても、それが自分への鎖になります。 「鎖につながれているもの」ということで「絆」と呼ばれるものやネットワーク、

» 鎖につながれているものの続きを読む


急速に軽蔑される手段

早口に沢山のことを口にする人間は、ほんの短期間交際しただけで、たとえ彼がもっともなことを口にするとしても、われわれの尊敬を異常なほど大きく低下させる。 曙光 225 前半 早く多くしゃべることは、マイナスだとよく言いますが、早く多くしゃべることには、その奥に様々なタイプの動機があります。マイナスになるのは印象ですが、間を埋めて、相手が理解する前に、何か別の話題に切り替えようというものから、要約力がないというものから、必死の暑苦しさまで様々です。急速に軽蔑される手段ということになりましょう。 早口で話すことついては、

» 急速に軽蔑される手段の続きを読む


いかなる道徳が退屈させないか

道徳の時間というのは他の授業とは異なり、変な空気感が出ます。それはやはり道徳というものは人生にストレートに関わることであり、ギムキョの偽善をひしひしと感じる時間であるからです。基本的に何かの教材を使って、自分たちの思想を教え込もうとしますが、やはり多感なティーンにはそれが偽善に映ってしまい、本来の目的からは逆行した結果が生じることがあります。 道徳の時間において懐疑や反駁はつきものです。それをそつなく返し、さらに道徳を語れるほどの哲学的思考を持っているのか、ということも問題ですが、「いかなる道徳が退屈させないか」と

» いかなる道徳が退屈させないかの続きを読む


狂信が望まれる場合

粘液質の人々は、狂信されてわずかに感激するだけである。 曙光 222 狂信の対象は、いわゆる宗教的なものだけではありません。企業や政治思想、末端はアイドルまで、様々です。 狂信といえば代表的なものは変なカルト宗教ですが、気が狂れているとしか思えないほど熱烈な信仰というものは、愛社精神や政治思想への信奉、アイドルへの陶酔といったものまで様々なタイプのものがあります。 実際にあった話ですが、強烈な寒気を催したことがあります。 昔の勤め先ですが、そこまで大々的ではないものの、変なコンサルか何かに吹き込まれたのでしょうか、

» 狂信が望まれる場合の続きを読む


義務と権利の博物学のために

義務と聞くと嫌な響きがしますが、たまに義務を根拠に何かの意見を主張してくる人がいます。体育会系の上下関係など、世間で勝手に義務とされているようなことであり、「そんな義務はどこからきたのか?」ということをまず聞きますが、法律上でも私人間なら権利義務関係は契約という概念がないと原則生じません。つまり双方の意思表示の合致ですね。言い換えれば特に私人間だと合意がないとそんなものは発生しません。 いい年をこいて、「駅まで車で迎えに来るはお母さんの義務だ」と、決まってもいないのに、また履行しないからといって、他の誰かにどう主張

» 義務と権利の博物学のためにの続きを読む


逆らうもの

ある組織や主義などと同化し、共通の敵を作ることによってアイデンティティ(自己同一性)を形成しようとしている人がいます。しかしながら、何かの主張を「叫ぶこと」や誰かに対して嫌がらせをすることくらいしかできません。 啓発活動をしても結局は「お知らせ」しかできないから、それしかできていないわけですが、本当に「何かを変える」というのは、彼らの目的としては二の次です。啓発活動をしたり、何かの主義や主張を叫んでいる人たちにとっては、何かに「逆らっていること」に意義があります。 自分たちでは本当に何かを変えようとしていると主張し

» 逆らうものの続きを読む