タグ別アーカイブ: 体

体・身体や健康に関すること

黄金と飢餓

彼が触れるすべてのものを黄金に変えるような人間が、時折いるものだ。ある日彼は、彼自身そのもののために餓死しなければならないことを発見するであろう。 曙光 486 前半 最近またよくいろいろなところから会社宛にDMが届くようになりました。 創業時も、法人の登記を見てたくさんの事業者が勝手に送りつけてきますが、会社が継続しているということ

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新しい魂の医者はどこにいるのか?

慰めという薬は、それによって人生が、現在人々が信じているあの苦しみにみちた根本的な性格をはじめて手に入れるようになったものであった。人間の最もひどい病気は、彼らが病気にうち勝つことから生じた。 曙光 52 前半 今まで一度も入院はしたことがないのですが、ちょくちょく身体がおかしくなることがよくありました。 特に胃腸です。毎年このシーズ

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重くなる

諸君は彼を知らないのだ。彼は多くの錘(おもり)を身体に吊るすことができる。しかし彼はそれらをみんな一緒に高く持ち上げる。そこで諸君は、諸君の小さな羽ばたきに応じて、彼はこれらの錘を身体に吊るしているのだから下に留まりたいのだ!と結論する。 曙光 475 ニーチェはたまにこういった曖昧で対象を名指しせずにつぶやいたりするので文学的だと言

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近代人の養育

すべてを食べる人間は、一番上等の種ではない。 曙光 171 中 うまい飯屋を「知っているだけの人」の類については、さんざん触れてきました。 しかし、味覚など本人の感性しだいであり、結局は頭の中で合成しているだけのことです。錯覚させようと思えばできてしまうことです。 しかし錯覚させなくても、たとえば白米や塩などであっても、よくよく味わう

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第七日に

「諸君はあれを私の創造として賞賛するのか?私は自分の重荷になるものを片づけたにすぎない!」 曙光 463 序 「第七日に」 「うーん…どうしよう…」という久しぶりの混乱がやって来ました。現在お腹が弱っていることも原因かもしれません。お腹が弱っているのでエネルギーを吸収できず、慢性的にフラフラだったりします。 銭湯の電気風呂に浸かりなが

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緩慢な療養

疲れというものは結構軽視されています。どうせ療養するなら思いっきり療養した方がいいのは明確ですが、ただ休んでいてもなかなか疲れは取れるものではありません。 以前勤め人だった頃に、年配の上司に「ビタミン剤は歳がいくと効果を実感するぞ」と教えてもらったことがあります。しかしビタミンでは追いつかないことがあります。 今現在も気力はあるのです

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正しさと限界

正しさと限界

禁欲の教えは、感性的な衝動が狂暴な猛獣であるためにこれを根絶しなければならないような人々にとって、うってつけの考え方である。しかし実際またそういう人々にとってだけである。 曙光 332 これはZ会について触れろということでしょう。今回はZ会、つまり「絶倫すぎる男たち」について触れていきます。 世の中には絶倫になりたい人、食べ物などで何

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空が暗くなる

晴れやかなところにいると気分も晴れやかになるように、どんより曇り空だとなんだか感傷的になったりする時があります。 陽の光はそれほどに気分にまで影響したりしますが、どんより空が暗くても、それはそれで味わい深かったりします。小糠雨などは絵になります。 といっても、空が暗くなり気圧が下がってくると、心境は少し変わってきます。思うままに情緒だ

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歓待

歓待の習慣の意味は、他人の敵意を麻痺させることである。もしわれわれが他人をもはやさしあたって敵とは感じない場合には、歓待は減る。歓待は、悪意をもったその前提が盛んである限り、盛んである。 曙光 319 歓待(かんたい)は、「手厚くもてなすこと」ということで、「歓迎!」と「接待!」だということですね。まさに「他人の敵意を麻痺させること」

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夕暮れの判断

終わって疲れているとき、その一日の仕事や、一生の仕事を反省すると、だれでも普通は憂鬱な観察をするに至る。これはしかしその一日や一生のせいではなく、疲れのせいである。 曙光 317 前半 朝は思考が働き、夕方は感情が働く、というようなことがよく言われます。確かに頭は午前中のほうが働きます。しかしパソコン作業は深夜のほうが捗ります。 「な

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われわれが極めて疎いギリシア的なもの

東洋的であれ近代的であれ、アジア的であれヨーロッパ的であれ、これらすべてのものは、ギリシア的なものと比較すると、嵩高(かさだか)なことや、崇高なものの表現としての巨大な量を楽しむことが、特有なことである。われわれは、ペストゥムやポムペイや、アテナイにおいて、またギリシア建築術全体の前において、ギリシア人が、どんなに小さな量で何か崇高な

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諦めるな!

「諦めるな!明らめろ!」というような、言葉遊びをするつもりはありません。そういうちょっとした落語家のようなことして興味関心を惹こうというようなことがよくソーシャルネットワークで行われています。 今回は、気合と根性で突き進みつつ、どうもうまくいかない時の対処法について触れていきましょう。 世の中では様々な方法論が語られていますが、実務的

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病人の認識について

病人に気を使いすぎると、かえってその人の治りが悪くなるという場合があります。病中のままの方がその人にとって都合のいいケースがあるからです。 そういう考え方の原因は、人にもよると思いますが、特に幼少期の記憶があります。学校はサボれる、テレビは見放題、ジュースとまではいかないがスポーツドリンクは買ってもらえる、周りが優しくなる、というよう

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時代に適した美

時代に適した美ということで「平安美人」という言葉が、現代では侮蔑に使われることもあるように、時代時代で美しさの基準は変化していきます。ある程度の「調和」という意味で一定の傾向はあるものの、一応変化していきます。 つい先日も触れましたが、間違っても80年代だけは繰り返してはいけません。いつまでも美しいとされるようなものはたまにありますが

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気づかれないままでは破壊しない

そもそもは認識の誤謬、錯覚というものから起こる悲劇ばかりですが、単純に日常のモヤモヤというものは、奥深くに眠っている「何か」が引っかかっていることがほとんどです。怒りの本音で触れましたね。錯覚がなくなればすべてがガラッと変わり、一気に消えますが、それは少しハードルが高いのかも知れません。 トラウマはそれが何かがわからないからトラウマと

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やはり英雄的

われわれがほとんどあえて口にしないほどいたって評判が悪いけれども、有益であって必要であることは行うこと。―これもやはり英雄的である。ギリシア人は、ヘラクレスの大きな仕事の中に厠の掃除を入れることを恥としなかった。 曙光 430 「やはり英雄的」ということですが、なぜか二十歳くらいから、英雄ならば「ひでお」、正義なら「まさよし」、勝利な

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われわれのどこが最も精巧であるか

自律訓練法というものをやったことのある人は経験があると思いますが、思うだけで本当に手が温かくなったりします。そう感じるだけでなく本当に温かくなるのだから、錯覚でも何でもありません。 自律訓練法は、右手が重いと意識するだけで本当に重く感じてくる、右手が温かいと意識すれば、右手が本当に温かく感じられ、実際に体温も上がったりするというような

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差がわかる

アイツこと自我とは、何かと何かを分ける機能ですが、ここで重要になるのは差がわかることと、差をつけてしまうことは全く別物だということです。差がわかるのは機能が純化されているだけで、差をつけてしまうのは観念による判断、という思考の産物だからです。 音楽をやろうという時に、耳コピができない人がいますが、僕はそれが信じられません。何十本も楽器

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身体の限界と楽しみの限界

僕は体育会系ではありませんから、身体の限界と銘打っていますが、特に運動能力的なことについて触れるわけではありません。いわゆる五感を通しての楽しめる限界についてです。 やたらと楽しいことを求めてしまうのは「アイツ」の仕業ですが、楽しみについて以前少し考えたことがあるので、一応書き記しておきましょう。 必要以上にお金を欲しがってしまうのは

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アルコールの影響

ひとりでいる時は全く酒を飲まなくなったのですが、あえて飲んでみたらどうなるのだろうということで、飲んでその様子を具に観察するということをしてみました。 つまり、おそらく最後になるであろう独り酒です。 ただ、動機が普通のそれとは大きく異なります。アルコールは身体や気分や頭の働きにどう影響するのだろうというようなことを観察するために飲んで

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メガネと視力

十代の頃から左右の視力に結構な差があって、右は1.2、左は0.5など、そのあたりをうろうろしています。大昔に聞いた原因は「横になってのゲームのしすぎ」だそうです。特に気にならなかったので、ずーっと放置していました。 二十代の頃に同僚に誘われてメガネを買ってみました。昔からメガネは似合いません。「胡散臭そうになる」というのが大多数の印象

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水の味

以前は水で酔うというようなお話をしましたが、今回は「おいしい水」について触れていこうと思います。 「きき水」などなど水の味を語るにあたって、硬水や軟水についての分類、つまりミネラル分についてばかり語られますが、味を構成しているものはそれだけではありません。 「ボルビック」か「クリスタルガイザー」か「コントレックス」か「いろはす」かと言

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減量と省エネルギー

20代前半の時、職場の近くにある弁当屋に「唐揚げジャンボ」たるものがありました。ノーマルサイズのからあげが13個入っています。僕はほぼ毎日食べていました。そして、それでは足りなくなり、お昼には唐揚げジャンボとカップヌードルを食べるほどになりました。 そんなこんなで13キロほど増えました。みるみる太っていったわけですが、またすぐに戻りま

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タイヤの細いチャリとロハスな人

おそらく昔に比べてかなり安価になったのでしょうか、ウェーイの矛先としてタイヤの細いチャリンコが街にたくさん現れるようになりました。 また、SNSが普及した影響からか、「ロハスな人」に生活スタイルを語られたり見せつけられることも多くなりました。 ということでタイヤの細いチャリとロハスな人についてでも書いていきましょう。 タイヤの細いチャ

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磯をかぐ 改

昔は現代のようには「明かり」がありませんでした。 「古典を読むと、闇夜、匂いで人を嗅ぎ分けていたというような記述もあります」というようなことを読んだことがあります。 何もかもが平均的を目指す世の中は「無臭」がよいとされています。 臭いのも嫌かもしれませんが、「量産化されるスタイル」に対しての奇抜さのように、匂いも大切にしてみてはいいの

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ゆかたビフォーアフター

浴衣というものは何のためにあるのでしょうか。 旅館に泊まって浴衣で寝ると、昔はほぼ確実に翌朝下痢になっていました。足を冷やすとダメなはずなのに、「足は無防備でいけ」という仕様になっています。 朝方になると必ずぐちゃぐちゃの浴衣姿と、5時に下痢で起こされる僕がいました。頭寒足熱の精神はどこにもありません。 特に、帰る予定が二軒目三軒目と

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ノンアルコールで酔う

ノンアルコールで酔うということで、ノンアルコールビールやコーラ、水でも酔うということについて書いていきます。 最近はめっきりお酒を飲まなくなり、集まりの付き合い以外ではほぼほぼ飲みません。 一人で飲むことはもっと前からしていません。 僕は発泡酒があまり好きではないので、付き合いの場でビールが無く発泡酒オンリーならいっそ飲みません。 む

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RUNNERS HIGH

「このままの勢いが続けばいいのに」 そう思って、続かないのは寝るからです。たくさん寝ると、気分が大きく変化します。特に大酒なんかを飲んで、昏睡なんかするとそれまでの勢いはだいたい失速します。 気分にとらわれている間は、絶対に続くことはありません。 大きく気分が変わる出来事があればしなしなヘタっていきます。 ― 一時期、休みが「月に一度

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健康志向という精神病

世界保健機関(WHO)憲章は、1946年7月22日にニューヨークで61か国の代表により署名され、1948年4月7日より効力が発生しました。 日本では、1951年6月26日に条約第1号として公布されました。その定訳は、たとえば 「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。 到達

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薄口と濃口

醤油に薄口と濃口があるように人間にも薄口と濃口があります。人間の場合、薄口は”淡白”、濃口は”絶倫”と、呼ばれています。 ― モテないが正しいですが、絶倫はいつか女子に嗅ぎ分けられてモテてしまう運命にあります。 主従関係を逆転しない限り、男性はすべからく生産工場に支配されています。 「英

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