餅なんかにつく青カビ

餅なんかにつく青カビが抗生物質の原料であるように、カビや菌だからといって毛嫌いする必要もないはずですが、世の中には潔癖の人もいて、全てのカビや菌が悪者であるかのように考える人もいます。 「すべてはバランスしだい」という感じで、恒常性維持機能は、バランスを取るというのが基本です。偏ったら偏りを戻すという感じですね。 現代

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万一の僥倖をたのんでの事だろうか

万一の僥倖をたのんでの事でしょうか、定型文的な営業メールが未だによくやってきます。 まあ営業メールにおいて、調べても出てこないような業務形態のあり方が垣間見れたりするので少し面白かったりはするのですが(めったに体験を語らない)、もうそろそろいい加減にそうした文化は廃れていけばいいと思っています。が、それでも一定数の人が

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磁石に吸い寄せられる鉄片のように

磁石に吸い寄せられる鉄片のように魅力なり何なりに弱い側が強い側に引き寄せられるという感じで考えると、商いでもなんでも結構うまくいったりします。 ただ、そうした魅力のようなもの自体は画一的に決まっているわけではなく、ある人にとっては魅力的に映ってもある人にとっては気持ち悪いものとなりうることもあるという感じになっており、

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心をときめかせるに足る珍品

昔から物欲があまりないので、物によって心がときめいたという経験は少ないのですが、やはりなるべく汎用製品ではなく、電気も通わず、手の込んだもので洒落っ気のあるものが良いと思っています。 家電屋さんで買えるものよりも手紙のほうがありがたいという感じになり、代替性がないほうが心ときめくのは当然といえば当然で、それそのものが持

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見晴しのきく場所は、同時に見られやすい場所でもある

見晴しのきく場所は、同時に見られやすい場所でもあるということなので、高い位置にいる事自体はいいですが、同時にリスクを増やすことにもなります。 何かしら代表となったり、壇上に立って話をしたりすると、「その注目を浴びるはずなのは私だ」というような僻み根性を持った人たちからの反発を浴びることになることがあります。 そのような

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食糧分配係

食糧分配係といえば、元祖は鍋奉行、現代では「介護アピール」という感じです。 セキセイインコ等々草食の鳥類における殻付きの穀物と殻剥きの穀物の違い、うさぎにおける牧草とペレットの違いのようなもので、ある種食べやすいということは、食べるということに対する本能的な満足感を低下させてしまうようなものになると思います。 「むきえ

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空間の争奪戦

まるで囲碁のように、その空間を占めているものの面積や体積がその人の力を示すような代理構造になっていたりするので、至るところで空間の争奪戦が起こっていたりします。 ― 部屋の中の物はその人の意識の中を示しているフシがあります。少なければ少ないほど重要なものが少なく、重要なものが少ないほど何かの変化に反応することも減るため

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ちっぽけな誤解の種子

スーツ姿の時とパーカー姿の時で人の対応が違うということについて触れたことがありましたが、そのような感じで、ちょっとした許容や一時的な役割ですら相手に勘違いを生み出してしまうというようなことについて触れていきます。 ちょっとの「許容」や「一時的な役割」といったものは、ちっぽけな誤解の種子となることがあり、良かれと思って選

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こんなふうに淡々と、日常茶飯のように

ある人にとっては難しく、また難しいからこそワクワクするようなことであっても、またある人にとっては日常茶飯のように淡々とこなすことができるものであったりします。 そんな日常茶飯事レベルになった時、当然ながらその余裕さに比例して、それに「なりたい」という気持ちやワクワクは消えていきます。 それがなく渇望している人にとっては

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寓話の現実化

いつか読んだ寓話が現実となるようなことがたまにあります。 それらはあくまで例えが現実的になるという感じですが、寓話も誰かが創作したものでありながら、その創作においては現実の体験のシーンたちが少なからず反映されているので、別におかしなことでもありません。 そうした印象やシーンにイメージを向けたからこそそれがよく見えるとい

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野生化が進むにつれて

野生化という表現が良いのかどうかはわかりませんが、事業等々どんどん事が進んでいくと実践的で実務的な話ばかりになり市販化されている「それ系の情報源」に触れる機会が減っていきます。 まあもちろん直接的に関係しているものは、継続的に情報に触れることもありますが、「あたかも社長が読んでいるかのような名前の雑誌」などは、そうした

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車窓の外には、原野がひろがっていた

以前、奈良に行った時のことですが、友人に春日山原始林の方に連れて行ってもらったことがあります。春日大社の神山ということで伐採が禁じられていたからこそという感じのようですが、確かに何だか少し雰囲気が違うような気がしました。 ― さて、世の中には「ブルー・オーシャン戦略」として語られることがある経営戦略があります。まあ端的

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第1600回投稿記念

これで1600記事目になります。ブログ創設から1600回目の投稿ということで「第1600回投稿記念」です。 前回の第1500回投稿記念は、2019年6月1日で、前回からの100記事は、4ヶ月ちょっとかけて投稿したという感じです。旅行記を細分化して連投したことや「笑う月」を開始したことで後半にはスピードが高まりましたが、

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一滴の雨のしずくが、大海の主成分であることに変わりはない

一滴の雨のしずくが、大海の主成分であることに変わりはないように、客観的な世界を仮定した場合、一人ひとりが社会の構成員であるように、言葉、情景といった一つひとつの記憶が膨大な無意識を構成するものであることには変わりありません。 それがどのようなものであれ、いずれ心的複合体として重要度の高いものとして発露することがあります

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それに、モデルと言っても

本人にとっては自己顕示欲を始めとする自尊心獲得ゲームとなり、他者にとっては欲を刺激するものとして捉えられがちなモデル等々の職業ですが、経済社会の中ではどうあがいてもそれに携わる人が繰り上がり式などで役割を担うことになります。 世間が求めていないものは需給が成り立たないということになるため、少なからず求めに応じて役割を担

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無名性によって構成された世界

「名」は何かを区別し、他との分離を引き起こします。それは基本的に便利なものですが、個という執著をもたらすものにもなりえます。 言語を用いない自然界は「無名性によって構成された世界」ですが、それでもやはり視覚や聴覚といった別のベクトルで区別がなされていたりはするでしょう。そんな中でも記憶の組み合わせから起こる言語的な判断

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やむをえずつけた符牒

「やむをえずつけた符牒」ということで隠語についてでも触れていきましょう。 世の中にはたくさんの隠語のようなものがありますが、何だかひねりに欠け、バレてしまうのではないかと思ってしまうようなものもたくさんあります。 別にバレてもいいという意図でつけられたものもあると思いますが、中学の同級生の裏ネーム的なものの場合は、バレ

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意識的操作を超えたもの

自分が外の世界に反応するのではなく、外の世界が自分に反応する、ということは、認知バイアス等々を用いてある程度論理で説明しようと思えば説明できますが、それだけで捉えられるものではありませんし、あまりそうした事を言うと「表層的な意識とは裏腹なのはなぜだ!」ということになりかねません。 まあ、目覚めが最悪ならば、その最悪具合

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発想の種子の、登場のしてきかたのさりげなさ

どのような表現にしてもその人の内にあるものしか外には出てこないため、どんな組み合わせになるにしても発想の種子に関してもできるだけ多いほうが面白みが増していきます。そんな発想の種子の登場のしてきかたはいつもさりげなく、遠い昔にちらっと見ただけというようなものですら、何の脈略もなくある時ふと何かの起点となったりします。 そ

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再びぼくの意識に、たっぷり充電された状態で浮び上がってきた

あまり気にかけなくなった対象やほぼ忘れていたような物事であっても、ふとした時に「再びぼくの意識に、たっぷり充電された状態で浮び上がってきた」といった感じで、より洗練された形で復活してくることがあります。 その中でもとりわけ一度沈みまた浮かび上がってくるもの、それは意欲などになるのではないでしょうか。意欲すら洗練されて復

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腰をおろして泣いていた

ふと気付けば歩道橋で腰をおろして泣いていたという経験があります。 それは夏の疲れがもたらしたものなのか、ふと気付いた何かしらの虚しさなのかはよくわかりません。 秋風がもたらした愁嘆。 それは何だか体からの本音のような、体が限界にきたからこその悔し涙のような、それよりももっと哲学的な「生きてるって何だろ生きてるって何?」

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厚化粧した廃墟

廃墟というと八幡の通称軍人病院を思い出します。その場所は、尾ひれがついてまた尾ひれが付き軍人病院と呼ばれていました。 なお、現在では立入禁止になっているようです。 心霊現象が絶えないという感じのようですが、おそらく思い込みからやってきているのでしょう。「実際には軍人病院では無かった」という場合に「負傷した兵隊を見た」と

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ある種の侮蔑

何かを必要以上に保護することは、ある種の侮蔑を意味することになってしまうという構造を持っています。 「〇〇だから大目に見ろ」「〇〇だから仕方がない」というような論調は、その属性を持ちつつも為し得るべきことを成し遂げた人々を侮蔑することにもなります。 そしてそうした達成の可能性をハナから放棄することにもなりかねず、それは

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主人公の最後の叫び

人体の構造上、「いえあおう」の順番で音の出る部分が奥に入っていき、軽々しいものから重々しいものへと変化していきます。 これは、そのまま情報空間に対するもの~物理空間に対するものというバロメーターを示すという感じになっています。「い」なら情報的で意識寄り、「う」なら物理的で肉体寄りといった感じです。 「いえあおう」の順で

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燃やしてしまった写真

デジタルデータとして残すというのが基本となった現代では、写真を燃やすという行動が未だに個人レベルで起こっているのかはわかりませんが、昔はよく写真を燃やすという描写がよくありました。今それを垣間見れるのは、抗議行動かカラオケのイメージ映像くらいのような気もします(実際にあるのかは知りません)。 そういえば、中学校卒業の頃

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共通の話題にしえない運命があったからといって

年齢や地域や日常の生活が異なれば、それだけ同じ話題で盛り上がるという可能性は低くなっていきますし、国が異なれば共通の部分などもっと僅かなものになるので、話の内容がある種原始的になっていきます。 同世代の人達と会う時であっても、十代の時ならば同じような情報に触れていたりするので会話にも困りませんが、今頃となっては社会の中

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どうやら糠喜びにすぎなかった

僕は普段あまり世間的な喜びを感じることがありません。 何かにつけて喜んだとしても、喜びに舞い上がって脇が甘くなって結局失敗したり、誤解したまま喜んで後で事実を知って落胆したり、喜びも束の間自体が急変するということもあります。 ということで「どうやら糠喜びにすぎなかった」ということが起こりうるというのが、理として否が応で

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しぶしぶ仏頂面の対応

しぶしぶ仏頂面の対応ということで、近所のコンビニの店員についてでも触れていきましょう。個人的には「嫌いな人からは飴の一つももらわない」ということにしており、また広い意味での豊かさがなく貧しいものを避けるという感じで生活しているので、最寄りのコンビニながら全く行かなくなりました。家からの距離は1.3倍位になってしまうもの

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現代のような分業社会では

現代のような分業社会では、全体像を捉えた上で個別的作業をするということが難しくなっています。 なぜ全体像を教えないのかという点に関しては、分業の方が合理的であり生産効率が高いからという理由もありながら、「出世させて高い給与を与えたくない」とか「口を出させたくない」という企業側の都合があるような気がします。 しかしながら

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工程を順序立てて、誰にでも伝達可能な教本をつくる

「工程を順序立てて、誰にでも伝達可能な教本をつくる」という感じが主流になり、人文科学の分野でもやたらと数学的に示すということが主流になってきました。実務や実学などでは、その方がやりやすいということはわかりますが、一定領域以上となるとメタ的に示さないと変な方向に行く、ということがよくあります。また感情の世界においても同様

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by bossu

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