雑な人の驚くほど雑な行動
世の中には多種多様な人がいます。なので、想定外のレベルで「雑な人の驚くほど雑な行動」を垣間見ることがあります。 なぜその人が今まで生きてこれたのかが不思議に思えるほどの雑さですが、「誰もが狼狽を隠せない」で触れていた当のバンドメンバーのように、雑さゆえに起こったトラブルや失態で固まった空気を上書きするほどのポジティブな雑さがあればそれはそれで成り立つのかもしれません。 雑な人は、「繊細な人としては理解不能レベル」の「驚くほど雑な行動」を

名峰 大山 なごみの国鳥取 2020 番外編
ついでと言っては何ですが、名峰 大山(だいせん)の写真を少しだけ載せておきます。 標高1709mで 中国地方最高峰の大山。 奥大山の天然水の大山です。 雪化粧した真冬の大山。 大山に雲がかかっていると言うよりも、大山から雲が出ているという感じですね。 温泉施設にあった山の雑誌によると伯耆富士(ほうきふじ)と呼ばれたりもするようです。また他の書籍で読みましたが、出雲富士と呼ばれることもあるようです。 最高峰は剣ヶ峰。夏に来た時は雲ではっき

大山乗馬センター 厩務員体験&厩舎ガイドツアー
昨年夏も厩舎ガイドツアーで厩舎内見学をさせていただきましたが、もちろん今年もおやつを片手に厩舎ガイドツアーです。 大山乗馬センター 厩舎ガイドツアー &場内の動物たち 今回は、様々な内容を組み込めるプランだったので、厩舎ガイドツアーと同時に馬房掃除を少しだけしてみたり、ブラッシング体験をしてみたりしました。 厩舎に向かう途中に観えた大山(だいせん)。 厩舎内 毎度のごとく入った瞬間、一斉にガン見。 どうしたのよ…順番順番… 「あの~…よ

大山乗馬センター 外乗で大山の自然を満喫
うーまが合うからいつもいーっしょ♪ ということで、爆睡ツアーを催行する夏まで待ちきれず、愛くるしい馬たちに会いに再び大山乗馬センターへ。半年ぶりです。 大山乗馬センター 森の小道を馬に乗ってお散歩(2019年7月) 今回も2日連続の予定で向かいました。昨年末から予定していましたが、前回と異なり両日とも「一日中満喫」です。普通に外乗に行こうかなぁと思っていた矢先、確認してみると、「冬期限定 乗り放題パック」たるものがあり、当然のごとくそれ

水木しげる記念館
水木しげるロードに来たからにはということで水木しげるロード内にある水木しげる記念館に行きました。 有名作はゲゲゲの鬼太郎や悪魔くんですが、個人的にはコケカキイキイや総員玉砕せよ!の方が好きだったりもします。 水木しげる記念館入口前(前庭)には「のんのんばあとオレ」。 水木しげる記念館は、ゲゲゲの玄関、水木しげる漫画ワールド、水木ギャラリー、ねぼけ人生の間、水木しげるの仕事部屋、のんのんばあとオレ、妖怪洞窟、妖怪ひろば、人生絵巻の回廊、ア

水木しげるロード
昨年の夏は忍者ハットリくんロードに行きましたが、今回は妖怪ラッシュの水木しげるロードです。 水木しげるロードは、JR境港駅からスタートして約800m続いています。至る所に妖怪ブロンズ像が設置され、夜でも楽しめるよう様々な工夫が凝らされています。 「いざ行かん!水木しげるロード!」という感じで向かったわけではなかったのですが、米子・境港方面に行くからにはという点と次の理由があったので向かいました。 僕自身は気づきませんでしたが、先日の検査
確率に潜む日和見
個人レベルの意識であれ、その集合である社会の流れであれ、決定論的な理も働く中、その実、確率による因果が働いています。 以前にも少し触れましたが、大腸菌のバランスのように善玉菌と悪玉菌と日和見菌かのごとく、ある流れとそれを否定する流れが常に争いの状態となっており、7割程度は中性で、残りの3割の枠を善と悪のような両極端が争いを起こしているという感じになっています。 残りの3割の枠に対して2対1になるのか、1対2になるのか、はたまた均衡状態に

笑う月
月の季節に「義務教育的な文語の世界を笑う」という感じでふと思い立って始めた「特別企画 その8」の「笑う月」。結局フレーズ抽出によりタイトル化するばかりとなりました。 「有限の情報から無限の組み合わせ」という思考の基本に立ち返り、文語的タイトルに限定されることなくフレーズから抽出して展開していくということを楽しみとしてやってみようということで、今回は新潮社さんより刊行されている安部公房氏の「笑う月」から、からフレーズを拝借してタイトル化し

湿っぽい虚しさに身をまかせながら
湿っぽい虚しさに身をまかせながら、感情に浸っていると、体の方にも部分的に痛みが走り、そして感情と共に消えていったりします。 「虚しさも、どうせならば楽しんでしまえ」という感じで取り扱ってみると、「案外楽しいかもしれない」と思えてきたりします。 もはや虚しさといえば、移り行く人の意識くらいなもので、それすらも諸行無常として捉えれば憂いすらありません。 胸の痛みが消えてなくなる感覚 考えてみれば、例えば両親であっても、小学生の時の自分と両親

デマを飛ばすんじゃない
「デマを飛ばすんじゃない!」と言いたくなるような情報はたくさんあります。そうしたデマ情報は昔から絶えませんが、近年では様々な情報への到達が容易になっているので、デマと出くわす確率は格段に上がっています。 自信のなさから来ているのか、近年では大学による研究結果等々権威性というものを盾にしたような説得が多い傾向にあります。しかしながらその実、実験と称しつつも雑誌程度のアンケート結果だったり、複数要因のうちの一つにしか着目していない等々、根本

急速に轟音が近づいて
「急速に轟音が近づいて」といえば、最近では数が減ったものの暴走車両の出す排気音やスキール音ですが、大きな音というものは注目を集めるため、映画のコマーシャルなどにおいても大きな音で驚かせるという手法が蔓延するようになりました。 そして性や死、そして死を連想させる生命的な危機の描写が、人の注目を集めるのに効くということで、より一層の効果を期待してか、破壊音や叫び声などが多用されていたりします。 これらは生理的な反応を利用して焦らせ、注意を引

猫を抱上げながら
あまり猫には詳しくないのですが、茶トラ猫は人への抵抗感が薄いということを比較的最近知りました。 たしかに真鍋島の島猫代表のお兄ちゃんや沖縄にて突然膝に乗ってきた猫も皆茶トラ猫系です。 この手の猫は、突然膝に乗ってきては、モミモミを始めます。 人と共に暮らす動物の代表は犬や猫ですが、個人的には鳥や草食の方が相性がよく、基本的に家にいたのは、鳥やうさぎであり、猫と暮らしたことはありません。 しかし、以前にも触れていましたが、どこからやってき

翌日の新聞記事の内容
自分が事件に巻き込まれたりした場合、当然に翌日の新聞や新聞社のサイトなどを確認したりします。 しかしながら、そうした事件の全容について、犯人側がある程度うまく証拠を隠滅していた場合、記事の内容が事実とは全く異なるものとなっていたりもします。 以前、とばっちり的に巻き込まれた事務所監禁事件について、警察は出動していましたが、僕自身は事件後に被害者として警察に駆け込んだりしていなかったためか、翌日の新聞記事の内容を確認すると、全く見当違いの

先に弁明したほうが負け
日常、社会の中では「先に弁明したほうが負け」ということになっているのか、「明らかに負けているのに非を認めず強気」というような人を見受けることがあります。 そうした場合だけでなく、「気持ちを汲み取ったら負け」ということなのか、何があっても意味不明の毅然さを保つ人たちもいます。 その代表例は、外資系企業であり、時価総額ランキング上位のIT・ネット系企業などにおいては顕著だったりします。 法制度よりも自分たちのポリシーの方が上 現地は訴訟国家

白っぽい、頼り切った微笑
白っぽい、頼り切った微笑には美しさを感じたりしますが、そうした笑みだけに翻弄されてはいけない場合も多々あります。 入院中などは一番わかりやすいですが、何かしら悲惨な出来事があった後などに見られる「白っぽい、頼り切った微笑」は誰しもが見せるものでありながら、その美しさに感化されていると、追々苦しさが生じてしまうことがあります。 ― 先日、検査を受けた時の自分も鎮静剤の影響で「ふわ~」っとしながら、そのような「白っぽい、頼り切った微笑」を浮
事実が形作っていく社会
無理に新しいことを創出しようと思わなくても、人が求めているものやそれに対応するものは、既に目の前にあることがほとんどだったりします。 「目に入っても見えていない」ということばかりであり、それは時に前提知識や理解のための材料がないということが要因となっていることもありますが、逆に知識偏重の偏見からも生まれたりします。 ツァラトゥストラの副題である「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」みたいな感じで、「誰にでも見えて、ほとんど誰にも見え

データを利用した最適化への疑い
最近では少し落ち着いてきた感じがしますが、人工知能への期待なのか何なのか、やたらとデータ偏重型な社会になりつつあります。まあそれだけ、人間の感性を信用できないとか「システムやスキームを組んでバイトにやらせる」という感覚が蔓延してきているという証なのでしょう。 データを利用した最適化への疑いということで、そんな「統計データの影響による行き過ぎ」について触れてみようと思います。 「合理化や最適化が機械にできる限界」などで触れていましたが、コ

駅のトイレットでは
駅のトイレットでは、様々な方々の日常動作の癖を観察することができます。ちなみにハイカラにトイレットという表現をしているわけではなく、原文のまま故にトイレットという言葉を用いています。トイレでいいのですが、笑う月に倣うようにあえてトイレットで統一しておきましょう。 さて、男性用トイレットにおいては、小水コーナーにて様々な放尿の仕方を観察することができます。 中高生時代等々は股間を見せまいと必死にキワキワまで小便器に近寄るはずですが、後年は

扇子のように折りたたみ可能な印象
扇子のように折りたたみ可能な印象のものの代表例は、エリマキトカゲ理論であり、物理的な大きさによる威嚇を無意識的にしている人たちといったところでしょうか。 羽を閉じても開いても本来の物理的な質量は同じですが、羽を広げた場合、主に面積的に空間を占める割合が広くなるというのが扇子です。 威嚇のみならず、異性へのアピールとして体を大きく見せるということは、孔雀やエリマキトカゲなど、様々な生き物で見られる現象です。同種間では魅力になるのかもしれま

弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている
「弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている」 と、まあいかにも芥川賞作品などでありそうなテーマ、という感じのフレーズです。 可愛がられること、甘えること、すがることへの憎悪、その裏にある我慢や奮闘といったものもありそうなものですが、弱々しさの象徴として、自分の中の弱さの投影、そして破壊というようなものも込められていそうな雰囲気もあります。 他者からの評価というものを別としても、なんだか弱者への愛は自然でありながらどこかしら無理があ

しだいに空洞化していっているのだろう
趣味というほどのものではないのですが、一応旅に出た時に、記念にと収集しているご当地新聞集めという習慣があります。 ご当地新聞を買う時か、何かの待ち時間で著しく暇な時くらいしか新聞を読む機会がないので、そうした時には一応全ての記事に目を通すことにしています。 するとだいたい社会面あたりに、社会学者と誰かの対談とか著名人の論説のようなものがちらほらあったりします。 社会学者が用いるSNSというキーワード そうしたコーナーを見ていつも思うので

誰もが狼狽を隠せない
一触即発の緊張感や焦燥感から、狼狽してしまうということもありますが、ズレすぎている人に出くわした時の狼狽というものもあります。 言葉遣いなどにやたらに敏感な京都という土地柄では、そうした狼狽に関して他エリアよりも出くわす頻度が高いというようなことを思っています。 20歳くらいのときの対バン相手のお話ですが、事あるごとに言葉尻が京都にそぐわない感じでした。 妙に引っかかる言葉尻 「あ、もう切ってもらっていいですよ」「あ、もう少し音絞っても

苛立たしげに、素早い会話
何かしらの理由でカツカツになっている時、悠長な人を相手にすると苛立ったりしてしまうことがあります。苛立たしげに、素早い会話を繰り広げるときは、どちらか一方、もしくは両方が何かしら急いでいたりする時や苛立っている時です。 仕事などで疲れが溜まってきている時などは顕著ですが、それ以外にも話のテンポの差や情報差なども苛立たしげな素早い会話の要因になったりします。 話すテンポの早い人がゆっくりな人と話すときは少し苛立ちますし、その逆もまた然りと

掘割を這上り、道端に立った
中学生の頃、同級生とよく自転車で旅立ったりしました。平日の夕暮れ時は近所をぶらぶらという感じですが、休みの日、特に春休みや夏休みの時は結構な頻度で旅に出たりしました。 ある夏、ジーパンマニアである一人の同級生が、少し離れた場所にあるジーパン屋に行こうと誘ってきました。 同級生たちと三人で向かったのですが、スマートフォンなどで地図を参照することのできない時代だったので、迷いに迷いました。多少郊外なので、田んぼや畑がちらほらあるような場所を
痩せ細った体
対象が人であれ動物であれ、かつてがっしりして元気だった者が痩せ細っていく姿を見るのは辛いものがあります。痩せ細った体は、ただそれだけで、それを見る者に何かしらの侘しさをもたらしたりします。 養子のうさぎも、寝たきり時には日に日に体重が低下していき、一番がっしりしていた頃と比較して、最後は体重が半分以下になっていました。 痩せ細った体を見る辛さ そうした痩せ細った体を見る辛さは、基本的には記憶からやってきます。一種の愛別離苦ということにな

断末魔のあがき
断末魔のあがきということで、「悲惨な出来事とあがき」について触れていきましょう。世の中では突発的な被害というものもありながら、悲惨そうに見える人もだいたいは「なるべくしてなった」という感じがしてしまう時があります。 悲惨な人だけでなく、うまくいっている人も、後に振り返り全体の流れを俯瞰してみると、やはり「なるべくしてなった」という感じに見えてしまいます。 悲惨なこと続きのように見えて「かわいそうだなぁ」と思ってみて、少し手を差し伸べてみ

ブルグマンシア(エンジェルストランペット)
ブルグマンシア(Brugmansia、エンジェルストランペット)は、ナス科キダチチョウセンアサガオ属の低木~高木です。「エンジェルストランペット」という名の通り、印象的なラッパ型の花を咲かせます。かつては同属に分類されていたことからダチュラと呼ばれることもあるようですが、本来のダチュラである同じナス科のダチュラ属(チョウセンアサガオ属)は草本であり、近縁種でありながら一応別種となります。 ラッパ型の花 ブルグマンシアの花は、木にぶら下が

キダチアロエ
キダチアロエは、ススキノキ科ツルボラン亜科アロエ属の多肉植物です。多肉植物のため乾燥には強いですが、日当たりは必要になります。 切り傷や火傷用の傷薬的な扱いをされており、おばあちゃんがよく育てていたので馴染みの深い植物です。今でもチラホラ見かけますが、小学生の頃は近所中に植えられていました。 キダチアロエの名の通り、茎は木質化し幹になっていきます。成長すると3メートル以上となります。和名は木立蘆薈(キダチロカイ)で、この蘆薈(ろかい)は

気のせいのようでもあるし、事実のようでもある
それが本当の真実であるということを証明できないようなタイプの主観的な感想については、それが妄想であれ「何かの象徴」として表現されているものなので、よほどの暴論でない限りそれほど問題にはしていません。 「気のせいのようでもあるし、事実のようでもある」という感想を持つしか無いような、巷で言う心霊系のお話については、「見えたのだから見えたのでしょう」という同語反復的なレベルのお話として捉えるに越したことはありません。 自我領域の主観的事実が、

セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服
日中の公園に行くと、「セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服」という光景をすぐに発見することができます。 「誰がそんなに自販機を利用するのだ?」と思うほどに公園周りには自販機がありますが、なんだかんだですごいペースで中のドリンクが消費されていっていたりもします。 まあ売れ筋は、よく言われるようにお茶と缶コーヒー、それに水あたりでしょうが「何本買うんだ?」という感じで、公園脇に営業車を止めて同じ人が複数回飲み物を買いに行っている姿