やむをえずつけた符牒

「やむをえずつけた符牒」ということで隠語についてでも触れていきましょう。

世の中にはたくさんの隠語のようなものがありますが、何だかひねりに欠け、バレてしまうのではないかと思ってしまうようなものもたくさんあります。

別にバレてもいいという意図でつけられたものもあると思いますが、中学の同級生の裏ネーム的なものの場合は、バレた途端に喧嘩になってしまったりするので、多段階に変形させて隠語化せざるを得ません。

あまりにストレートなものになるとバレるリスクが高まる上に野暮ったい、ということで、同級生たちは時に個人のひらめきを利用し、時に公園にてブレインストーミングを行いといったように、それを楽しんでいたフシがありました。

そうした工夫はある種知能を必要とするものになりますし、同級生たちの天才ぶりに感銘を受けていたというのが本当のところです。

隠語の使い分け

まあそうした仮の呼び方というものは、バレるとまずいものを隠すという意図で生まれる場合もありますが、ある特定のワードから起こるイメージや連想を避けるために生まれるという場合もあります。飲食店における「3番」「4番」などですね。

しかしながらインターネットが普及した現代ではそうした隠語の意味自体を調べられてしまうので、結局連想により想起されてしまうというリスクが増えました。

「おこしやす」と「おいでやす」

そういえば「おこしやす」と「おいでやす」を使い分けて、常連か一見かを奥にいる人に伝えたり、「入りました」と「到着しました」を使い分けて、相手がややこしいかどうかを電話等で伝えるというようなものもあります。

まあそうしたルール自体は独自ルールとして設ける限りバレることはないでしょう。

仲間意識を作るための隠語

その他、仲間意識を作るためにわざわざ隠語を使うというケースもあります。もちろんいざというときの会話のためでもありますが、共通語を使うことで外と内の意識を分けて結束力を強めるというようなものです(思想家の盲目)。

まあそうしたものの延長が「フィックスとなります」「アサインしますよ」というような「よくわからない横文字の使用」へとつながっているのでしょう。

そうしたものは隠語としての機能を持っているわけでも、定義を曖昧にしないために意味を限定する専門用語的ものというわけでもなく、単にモテたいという程度なので、意味はありません。

「やむをえず」という要素がなく、その語の機能の面から考えれば特に合理性はないので、単に格好をつけたいという程度でしょう。

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