「言わなくてもわかって欲しい」という人と「言ってくれなければわからない」という人とはなかなか相容れないものです。
しかしながら「言ってくれなければわからない」という人はまだマシであり、言ったところでどうにもならない人もたまにいたりします。
言わなくてもわかるということが成立するためには、相応の「言わなくてもわかって欲しいなぁ」という経験をしている人が聞き手側にいる必要があるような気がします。
しかしながら、もし経験をしていなくても、また、解釈・想定に多少の間違い・勘違いがあろうとも、破壊的とも取れるほどの明るさがあり、察することはできなくともそれを上書きするほどのパワーがあれば、それはそれで良いのかもしれません。
泣いているだけじゃわからない
「泣いているだけじゃわからないじゃないか」
と言った感じで相手に対して思いを言語化することを急かす人もいます。
しかしながら、相手の中でまだ言葉を紡ぐことができそうもないほど感情のほうが渦巻いているという場合か、「この雑な人に伝えてもどうせ理解されないだろう」と半ば諦めているかのどちらかくらいしか無いような気がします。
当の本人の共感力の乏しさに対して悲しさを感じているのに、それに対してさらに言語化することを迫るという場合には、急かされる方は二重に絶望に陥ってしまいます。
グッド・ウィル・ハンティングにみる共感力
そういえば比較的最近、グッド・ウィル・ハンティングを観てみました。
優しさとは強さの上に成り立つというようなことや、相手に合わせて何もかもを譲る必要はないというようなことを含めて、主人公に対するショーン先生の接し方は、非常に参考になるのではないでしょうか、ということを思いました。
内容については触れませんが、映画としての完成度を含め、グッド・ウィル・ハンティングは一見の価値のある作品だと思います。
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只声を呑みて泣く泣くさらに言なし。
言葉を急かすは雑の証。
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