心にググっと群馬県 2015 碓氷峠「アプトの道」
なぜか毎年恒例になりつつある、盆明けの「群馬ツアー」です。 今回は1500キロほど走りました(4日半、1515km)。 さて、「心にググっと群馬県」第一発目は、長野県軽井沢から群馬への玄関口、中山道の「碓氷峠」です。碓氷峠には当然昨年も行きました。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 碓氷~妙義 碓氷峠といえば、有名なのがやはり
そんなに重要ではない
人の死を見守ると、われわれには通常ある考えが浮かぶが、われわれは直ちにその考えを作法通りという不適切な感情によって心の中でおさえつけてしまう。すなわち、死ぬという行為は、一般に畏敬の念で主張されているように重要であるのではなく、また死んでゆく人は、彼がここでまさに失おうとしているものよりも、おそらくもっと重要なものを生きている間に失っ
われわれの幸福は賛否の論拠ではない
多くの人間は、わずかの幸福しか感じる能力がない。 曙光 345 序 思い返せば明確に人生に疑いをかけた瞬間というのがあります。 おそらくそれまでにも細かいものはたくさんあったのでしょうが、一番明確に覚えているのは、高校二年生の時です。 アルバイトを終えて、家に返ってホットコーヒーを飲みました。 その瞬間です。 「うまい」 と、ここまで
義務の変化
幾度と無く触れている中学生の時のお話です。義務の変化ということで、やはり義務教育における「義務」について触れていきます。 白靴下の件は幾度と無く出てきているので、既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、さらに自分が卒業して15年以上経った現在、母校の生徒を見てみると、蛍光オレンジなどのスニーカーを履いて歩いているという実情があります
浦富海岸と「うらどめ号」
今月上旬、鳥取県と兵庫県に旅立ちました。ひとまず最初は鳥取県です。毎度のことながら鳥取砂丘に行きました。 鳥取砂丘でカマキリ(?)とご対面 鳥取砂丘は昨年も行ったので、ここではあまり時間はとらずに今回の鳥取でのメインとなる浦富(うらどめ)海岸に向かいました。 鳥取県岩美郡岩美町(いわみちょう)にある浦富海岸(うらどめかいがん)は、山陰
「人間性。」
われわれは動物を道徳的な存在とは考えない。しかし一体諸君は、動物はわれわれを道徳的な存在と考えると思われるか?― 話の出来る動物が言った。「人間性とは、すくなくともわれわれ動物が苦しむことのない偏見である。」 曙光 333 動物が道徳的でないとするならば、その従う指針のようなものがない、という意味ででしょう。以前に触れた我が家のイン
道徳の空位時代
いつか道徳的な感情や判断と交代するであろうものを、だれが現在早くも記述することができようか!― それらは土台のすべての点で設計に誤りがあり、その建築物は改修不可能なことをわれわれは確実に洞察しているとはいえ、ともかく理性の拘束力が減少しない限り、それらの拘束力は日増しに減少するに違いない! 曙光 453 前半 理性で判断すると、たいて
商売に精通していないのが高貴である
教師として、公務員として、芸術家として、その美点を最高の価格でだけ売りつけたり、その上にそれで高利貸しをしたりすることは、― 天賦の才や素質を小売商人の仕事にすることである。人はその知恵を何といっても小利巧に利用しようとしてはならない! 曙光 308 最近福祉関係の仕事をされている方とお話する機会がありました。福祉関係と言っても、運営
本田宗一郎と井深大展
本田宗一郎氏と井深大氏、それぞれホンダ、ソニーの創立者であるこの両名は「尊敬する人」として、よく挙げられるお二方です。 「僕も尊敬しています」 ということが書きたくて、というわけではありませんが、僕が躍進するきっかけになったお二方です。 「なんだか楽しそう」 仕事に対する見方がほとんど180度変わってしまったきっかけであり、それは20
われわれが極めて疎いギリシア的なもの
東洋的であれ近代的であれ、アジア的であれヨーロッパ的であれ、これらすべてのものは、ギリシア的なものと比較すると、嵩高(かさだか)なことや、崇高なものの表現としての巨大な量を楽しむことが、特有なことである。われわれは、ペストゥムやポムペイや、アテナイにおいて、またギリシア建築術全体の前において、ギリシア人が、どんなに小さな量で何か崇高な
上品な人々の悲劇
心からの親密さをうまく示すことの出来ない上品な人々は、その上品な性格を、慎しみ深さや、厳格さや、ある種の親密さの軽蔑などによって推測させようと努める。彼らの強い信頼感は姿を見せることに恥じらいを抱いているかのようである。 曙光 288 よくビジネスマナーなどの研修で言葉遣いについて研修をすることがありますが、相手尊重した版、こちらが遜
子供らしい
子供のように生きる― したがって自分のパンのために戦わず、自分の行為に決定的な意義が属していると信じない― 者は、いつまでも子供らしい。 曙光 280 温泉やスーパ銭湯などに浸かっていると、他の客の中に騒がしい子どもがたまにいますが、動きまわるだけでなく「奇声を発する」という場合があります。それが集団となると狂騒と表現するのがふさわし
10年前の日記 理解者との共同作業
ハードディスクを整理していると、ちょうど10年前、2005年3月23日 水曜日に記したであろうテキストデータが出てきました。その内容は以下のようなものです。 ヒロユキとタロー 忍空という漫画のアニメ、53話「友情の舞台!ヒロユキの秘密」が小学校の時から頭に焼き付いて離れない、という内容でした。ペンギンを含め、鳥好きと言うのもあるとは思
何としばしば!何と思いがけない!
世の中には「思いがけないこと」がたくさん起こります。 今年に入って同窓会がありました。そこで、当時あまり同級生には視聴者のいなかった「タートルズ」を共に観ていた同じ町内の同級生に成人式以来に会いました。彼は途中で他府県の学校に行ったので、それからほとんど知りませんでしたが、何と今は近くに住んで家業を継いでいるというのです。 それも最近
人間の権利と特権
われわれ人間は、うまく出来ないときには、出来そこないの文章を抹殺するように自分自身を抹殺できるただひとつの生物である。― われわれがこうするのは、人間の名誉のためであろうと、人類に対する同情からであろうと、われわれ自身に対する反感からであろうと。 曙光 274 何故か曙光のこの箇所を見た時に、一番最初に浮かんだのが戸田誠二氏でした。イ
賞讃
賞讃や讃辞という言葉も頻繁に出てくるようになりました。曙光はどうしてもタイトルの似通ったものが多いですね。以前も「改」シリーズを作ったくらいなので構わないのですが、すぐに出てくるところが難題です。まあそんなに頭をひねる必要のあることではありません。 世の中では自己都合のためにということなのか「賞讃」によって他人をより良く働かせようとか
外見上の寛容
高校生くらいの時に何度か引越のバイトをしたことがあります。 その内の一回は、若い女性の引っ越しだったのですが、引っ越しが完了すると、ロングヘアの40代位の男性がやって来ました。 その男性は、その当時、京都ファミリーでやっていた催し物のジャグリングショーの人に似ているので、「ジャグリングショー」という名前で記憶しています。 引っ越し完了
犬にお世辞
犬は特に好きでも嫌いでもないのですが、犬を飼う人は、犬に対しての態度よって嫌いです。どういう点が嫌かというと、人間側の都合なのに犬側の都合かのようにすり替えて正当化して居直る点です。 本当に犬のことを考えているのか疑問です。人間の思考の産物である主義やマナーなどで勝手に去勢したり、「もっとかわいく」と人間の感情のために、毛にハート型の
あの日のおにぎり Another Story
おにぎりには、たくさんの思い出があります。小学生の時の「あの日のおにぎり」や、19歳の時、チャイニーズレストランで悔しさを感じて真っ先に買いに行ったおにぎり、いつもどこかでなにか大人ぶろうとして、その流れに気づいて、また原点に帰ろうとするときには、いつでもそこにおにぎりがあったように思います。 背伸びをしようとしている時は、どうしても
ワンテーマ 養子のうさぎとインコたちとゆかいな動物たち
我が養子のうさぎと、インコたち、そしてゆかいな動物たちの記事です。人から教わったこともたくさんありますが、言語を介さずして彼らに教わったことも計り知れません。 動物はエライという境地 改 うちには現在、養子のうさぎがいます。 そして昔、うちにはインコがいました。セキセイインコを漢字で書けるほど(脊黄青鸚哥)、無類のインコ好きなのですが
へりくだりの欺瞞
「自分を欺くな!」 曙光のこの箇所(219)はこの言葉で終わります。 今回は、僕が自分を欺き、へりくだった時に、ふと、「自分を欺いてへりくだるのをやめよう」ということを気づかせてくれた同僚のことについてでも書いていきましょう。 先日、その同僚との思い出の場所の前を通ると、そこは内装がすっかり片付けられていて、もぬけの殻になっていました
見え坊で、けちで、賢くない
諸君の欲望は知性よりも大きく、諸君の虚栄心は欲望よりもさらに大きい。― そうした諸君のような人間には、かなり多くのキリスト教的な実践と、それに加えてわずかばかりのショーペンハウアー的な理論が徹頭徹尾おすすめできる! 曙光 160 見え坊は見栄っ張りを指し、外面・外見をよく飾ることで人からよく思われようとすることであるため、人の虚栄心に
理解者
久しぶりにこのカテゴリテーマについて触れることにします。カウンセラーについて、そして「理解者」について触れていきます。 うつに関しては、理解者が必要であるというようなことが言われたりしますが、その役割として世のカウンセラーというものはきちんと機能しているのかどうかが疑わしい部分があります。 僕にとっての理解者であったおばあさん、カウン
悪人と音楽
音楽は彼らにとって、自分の異常な状態を傍観し、しかも一種の疎遠さと安心感を抱いて初めてその姿にあずかる、ただひとつの手段である、愛する者はだれでも音楽を聴いて思う。「これは私のことを語っている。私の代わりに語っている。音楽は一切を知っている!」 曙光 216 最終部抜粋 原則的にカラオケには行きません。よほどのことがない限り行きません
クリスマス被害者の会
僕は12月生まれです。なぜか友人は11月から2月の間に生まれた人が多い傾向にあります。 生まれた日は大雪が降っていたそうです。いまでは好きな季節というものがありませんが、雪国でもないのに、もしからしたら雪が降り始める季節、小さい時は12月が一番好きな季節でした。 ― クリスマス被害者の会ということで、12月後半生まれの方が実感するよう
ONE LIFE
ONE LIFE/the pillows 昔は家の前にも蛙や蝸牛がいました。もう20年くらいは見ていないような気がします。母校も昔は校舎裏が森のようになっていました。今ではその面影もありません。 母校もそうですが、観光客への見栄か、地元の「無菌状態」を好む人のヒステリーかわかりませんが、京都中が整備されすぎて、どんどんその土地らしさが
どせいさん
どせいさん もちろんこの方。 MOTHERシリーズでおなじみになったどせいさんです。 「380どる あったら うらかんぽー かえるのになー。1780どる あったら いのちのつのぶえ かえるのになー。」というようなことで有名ですが、「ぐんまけん!」や「もういちど ぽてんしゃる!」などの短文ももっと有名です。 そんなどせいさんですが、以前
中国旅行記 上海
中国旅行記「上海」です。 SNSで友達の友達だった人が、生まれ年も誕生日も全く同じということで、メッセージを送ってみました。そして、その時上海にいるということだったので行くことになりました。全く同じ日に生まれているのですが、こちらはあちらの地元の大学、あちらはこちらの大学と、そういうところもなんとなく感じるものがあったので、すぐさま航
中国旅行記 北京
中国旅行記「北京」です。 大連から中国の国内便の飛行機に乗って北京市内へ。天安門や万里の長城に行きました。北京市は言わずと知れた中華人民共和国の首都です。 写真は別ページにまとめてあります。 2010 北京 北京 中国に冒険に行った際、基本的に滞在したのは大連ですが、合間に国内便で北京まで行きました。思いっきり雪が降ってます。 そうい
中国旅行記 大連
中国旅行記「大連」です。 大連市は、中華人民共和国遼寧省南部の街です。中国の北の方にあります。 大連旅行中、その大半を現地にいる中国人の友人に案内してもらうような形になりました。友人の勤める企業にお邪魔したり、餃子の王将や吉野家などに行ってみたり、射撃ができる所に行ったり、路面電車に乗ってロシア人街に行ったりしました。 餃子の王将や吉