扇子のように折りたたみ可能な印象

扇子のように折りたたみ可能な印象のものの代表例は、エリマキトカゲ理論であり、物理的な大きさによる威嚇を無意識的にしている人たちといったところでしょうか。 羽を閉じても開いても本来の物理的な質量は同じですが、羽を広げた場合、主に面積的に空間を占める割合が広くなるというのが扇子です。 威嚇のみならず、異性へのアピールとして体を大きく見せるということは、孔雀やエリマキトカゲなど、様々な生き物で見られる現象です。同種間では魅力になるのかもしれま

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弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている

「弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている」 と、まあいかにも芥川賞作品などでありそうなテーマ、という感じのフレーズです。 可愛がられること、甘えること、すがることへの憎悪、その裏にある我慢や奮闘といったものもありそうなものですが、弱々しさの象徴として、自分の中の弱さの投影、そして破壊というようなものも込められていそうな雰囲気もあります。 他者からの評価というものを別としても、なんだか弱者への愛は自然でありながらどこかしら無理があ

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しだいに空洞化していっているのだろう

趣味というほどのものではないのですが、一応旅に出た時に、記念にと収集しているご当地新聞集めという習慣があります。 ご当地新聞を買う時か、何かの待ち時間で著しく暇な時くらいしか新聞を読む機会がないので、そうした時には一応全ての記事に目を通すことにしています。 するとだいたい社会面あたりに、社会学者と誰かの対談とか著名人の論説のようなものがちらほらあったりします。 社会学者が用いるSNSというキーワード そうしたコーナーを見ていつも思うので

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誰もが狼狽を隠せない

一触即発の緊張感や焦燥感から、狼狽してしまうということもありますが、ズレすぎている人に出くわした時の狼狽というものもあります。 言葉遣いなどにやたらに敏感な京都という土地柄では、そうした狼狽に関して他エリアよりも出くわす頻度が高いというようなことを思っています。 20歳くらいのときの対バン相手のお話ですが、事あるごとに言葉尻が京都にそぐわない感じでした。 妙に引っかかる言葉尻 「あ、もう切ってもらっていいですよ」「あ、もう少し音絞っても

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苛立たしげに、素早い会話

何かしらの理由でカツカツになっている時、悠長な人を相手にすると苛立ったりしてしまうことがあります。苛立たしげに、素早い会話を繰り広げるときは、どちらか一方、もしくは両方が何かしら急いでいたりする時や苛立っている時です。 仕事などで疲れが溜まってきている時などは顕著ですが、それ以外にも話のテンポの差や情報差なども苛立たしげな素早い会話の要因になったりします。 話すテンポの早い人がゆっくりな人と話すときは少し苛立ちますし、その逆もまた然りと

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掘割を這上り、道端に立った

掘割を這上り、道端に立った

中学生の頃、同級生とよく自転車で旅立ったりしました。平日の夕暮れ時は近所をぶらぶらという感じですが、休みの日、特に春休みや夏休みの時は結構な頻度で旅に出たりしました。 ある夏、ジーパンマニアである一人の同級生が、少し離れた場所にあるジーパン屋に行こうと誘ってきました。 同級生たちと三人で向かったのですが、スマートフォンなどで地図を参照することのできない時代だったので、迷いに迷いました。多少郊外なので、田んぼや畑がちらほらあるような場所を

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痩せ細った体

対象が人であれ動物であれ、かつてがっしりして元気だった者が痩せ細っていく姿を見るのは辛いものがあります。痩せ細った体は、ただそれだけで、それを見る者に何かしらの侘しさをもたらしたりします。 養子のうさぎも、寝たきり時には日に日に体重が低下していき、一番がっしりしていた頃と比較して、最後は体重が半分以下になっていました。 痩せ細った体を見る辛さ そうした痩せ細った体を見る辛さは、基本的には記憶からやってきます。一種の愛別離苦ということにな

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断末魔のあがき

断末魔のあがきということで、「悲惨な出来事とあがき」について触れていきましょう。世の中では突発的な被害というものもありながら、悲惨そうに見える人もだいたいは「なるべくしてなった」という感じがしてしまう時があります。 悲惨な人だけでなく、うまくいっている人も、後に振り返り全体の流れを俯瞰してみると、やはり「なるべくしてなった」という感じに見えてしまいます。 悲惨なこと続きのように見えて「かわいそうだなぁ」と思ってみて、少し手を差し伸べてみ

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気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

それが本当の真実であるということを証明できないようなタイプの主観的な感想については、それが妄想であれ「何かの象徴」として表現されているものなので、よほどの暴論でない限りそれほど問題にはしていません。 「気のせいのようでもあるし、事実のようでもある」という感想を持つしか無いような、巷で言う心霊系のお話については、「見えたのだから見えたのでしょう」という同語反復的なレベルのお話として捉えるに越したことはありません。 自我領域の主観的事実が、

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セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服

セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服

日中の公園に行くと、「セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服」という光景をすぐに発見することができます。 「誰がそんなに自販機を利用するのだ?」と思うほどに公園周りには自販機がありますが、なんだかんだですごいペースで中のドリンクが消費されていっていたりもします。 まあ売れ筋は、よく言われるようにお茶と缶コーヒー、それに水あたりでしょうが「何本買うんだ?」という感じで、公園脇に営業車を止めて同じ人が複数回飲み物を買いに行っている姿

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選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない、ということで、やることが決まっている場合は脇目も振らず突き進むことができるので、事がうまい具合に運んだりします。 もちろんその方向が誰かに恣意的に設定されたものであるならば、ロクでもないことになるのは明白ですが、複数の選択肢や可能性があるゆえに迷ってしまうと、足踏みしてしまうことになりかねないということにもなります。 何かしらうまい具合に事が運んだということは良いですが、その一方で一度何かしらの成功を味

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周旋屋

斡旋ならまだしも周旋という言葉は、この近年では聞き慣れない感じがしますが、「笑う月」に出てくるように、昭和の頃は周旋や周旋屋という言葉それほど珍しくもない感じだったようです。近年ではあまり耳しない「細君」みたいなものでしょうか。 周旋は売買や雇用の「仲介」というよりも「立ち会い交渉」という意味合いがありますが、「間に立って世話をする」というような感じあり、たいてい不動産や仕事の仲介などを意味したりするようです。ということで、周旋屋といえ

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何処に置いておくつもり

「何処に置くの!」というようなフレーズがありますが、母を筆頭にそうした言葉を今まで何度も投げかけられたことがあります。 あまり物を買ったりしない傾向にありますが、「何処に置いておくつもり?」ということで、大型のものを急に持ち帰るということがたまにあります。 大型の物ということでなくても、養子のうさぎも相談なしに養子入りしてもらいましたし、周りの人々としては抵抗がありそうなことに関しては事あるごとに事後報告を徹底しています。 基本的に相談

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福井県 2020 若狭町

美しくたくましく福井県 2020 若狭町

毎度のことながら越前町の他、若狭町に行きました。 親戚が全て京都市内なので、正月に帰る場所が無い僕は、若干の野生を取り戻すべく海辺に行くことにしています。 暖かく開放的になる海とは対極にある、身を閉ざさねばならない寒く厳しい海にあえて行くという感じです。 「わかりやすい観光地」よりも海辺の日常。 佇む鳥。 佇む鳥たち。

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旧敦賀港駅ランプ小屋

美しくたくましく福井県 2020 旧敦賀港駅ランプ小屋

ついでと言ってはなんですが、「写真撮影、SNS投稿等はご自由にどうぞ」ということだったので、「旧敦賀港駅ランプ小屋」の写真を掲載しておきます。旧敦賀港駅ランプ小屋は、人道の港 敦賀ムゼウムから歩いて行ける距離にあります(が、駐車場もあるので近いですが車で行っても良いと思います)。 明治15年(1882年)に敦賀港駅の前身、金ヶ崎駅ができた時に建てられてたランプ小屋(なお、大正8年(1919年)に金ヶ崎駅は敦賀港駅と改称されたようです)。

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人道の港 敦賀ムゼウム

美しくたくましく福井県 2020 人道の港 敦賀ムゼウム

毎年の恒例になりつつある年始の福井ツアーですが、あまりどこかしらに行くという感じではなく、ぼーっとすることを目的としています。ただ、今回はとりあえずこの「人道の港 敦賀ムゼウム」にだけは行こうかなぁとだけは思って向かいました。 基本的には、「暇な人が映える写真を撮るために行く系の観光」というものはあまり好みではなく、どちらかというと、爆睡ツアーとかご当地の日常などに触れる方が好きだったりします。 それ以外の場合は、何かしらの人物や作品や

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年寄りじみた笑い

加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまではいきませんが、十代や二十代の時ほどの笑いはそれほどなく「人と話している時に爆笑」ということの数は減ってきているような感じ

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宅地造成で新しい道

世の中には一見不可解な構造や状態に見えるものがたくさんありますが、社会生活の中でふと思うそれらは、結局税を含めた法律やお金的な合理性などが絡んでいたりします。 結局割に合うか合わないかとか、許認可や税の関係などによって、傍目からは不可解な構造になっているもの、不可解な形で放置されているものなどがちらほらあったりします。 ということで「割に合わない」ということから放置されている不動産や許認可や税の関係で起こる不可解な構造等々について触れて

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鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。 「何もせずにい

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一種の消去法

消去法というものは、基本的に「期限が迫っていてどうしようもなく」という場合に用いられるようなものなので、「仕方無しに」という感じがどうしてもつきまとう物事の選択方法です。 通常、消去法というと何かしらの制限があったり、それほど望んでもいないことに対して「選択肢のうち、ダメなものから削除していく」という感じになっています。対象外にしていくという感じですね。 消去法が利用され、もしくは、その利用が迫っているような時、何かしらの制限や惰性があ

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第1700回投稿記念

これで1700記事目になります。ブログ創設から1700回目の投稿ということで「第1700回投稿記念」です。 前回の第1600回投稿記念は、2019年10月10日だったので、前回からの100記事は、3ヶ月弱かけて投稿したという感じです。年末の空き時間の影響もありますが、「笑う月」によってスピードが高まったという感じです。あと少し書庫の植物も増やしたことが若干影響しているでしょう。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、c

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くたびれた服装

意図的にくたびれた服装やおじさんっぽい服装で出向くことがあります。 あえてちょっと劣化したような服を着ていくということになりますが、もちろんそれは皮肉的な遊びであり、服装で態度を変える人や服装を自慢する系の人で遊ぶためにやっています。 兵法というわけではないですが、相手に「慢心」を作るということも、相手にその実力を出させないという方法になりますし、隙きを作ってもらうということにも一役買います。 あまりにカッコをつけたい人たちは、僕が忍者

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一種の崩壊感

崩壊感という言葉自体はなんだか、消極的な感じがしてしまいますが、創造と破壊というコントラストが象徴するように、どのような分野や段階の話であっても、新しいものが形成されるときには必ず崩壊がセットになっているので、崩壊感が来た時は新しい世界の幕開けということにもなります。 平穏な状態というものは、普通「安定していて揺るがない」という感じにはなりますが、やじろべえのようにある程度両端が伸びている方が安定したりもします。 両極端の「伸び」による

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新年 2020

新年 2020

みなさまあけましておめでとうございます。 2020年になりました。 元日は早速白味噌の雑煮を食べました。 が、今年は餅は4つにとどまる形になりました。 夜が寒すぎるというのが第一要因ですが、主に次のようなプロセスを経て、という感じです。 まず小晦日、つまり大晦日の前日のことですが、若干寒さがマシだったため、帰省中の友人と外で話し込み、気付かぬところで少し腹が弱っていたという感じになりました。 そして大晦日当日、「大晦日」というイレギュラ

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さよなら2019

2019年が終わります。ついでに今年は平成も終わり令和になりました。その元年も終わるということになります。今年は亥年で歳男ということでしたが、猪や豚よりも馬とたくさん触れ合うことの多い一年でした。 2019年は中盤より体が悲鳴を上げ、精密検査を受けたりしましたが結局今はピンピンしています。ということを踏まえて、2019年を振り返っていきます。 ― 僕は12月生まれなので、36歳になりました。 35歳を超えると感性が固定化され、笑い等々の

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飛ぶ人間を知ったことによる、心のゆがみ

「飛ぶ人間を知ったことによる、心のゆがみ」ということで、詐欺師についてでも触れていきましょう。 詐欺師を筆頭に最初から飛ぶつもりで人に近寄ってくる人間もいれば、途中から都合が変わって飛ばざるを得なくなって飛ぶという感じのことも起こり得ます。 変な話ですが、幼少の頃から僕は様々な犯罪の中で特に詐欺に思い入れがあり、詐欺師というものに関心を寄せています。 とりわけ地面師など不動産詐欺に強い思い入れがあります。 なぜなら、先祖が被害に遭ってい

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プライバシーの盲点

プライバシーの盲点としてよく語られるのが、スマートフォン関連であり、とりわけソーシャル系ということになっています。 画像の高解像度化により「指紋が読み取られてしまう」ということが囁かれだしたりなんかして、運営側も「アップロード時に画像を自動で圧縮する」などなど、そこそこ対策をしたりしているようです。しかし、可能な限り自己防衛しておくに越したことはありません。 個人情報保護に関する法整備がなされたり、個人レベルでも個人情報保護の意識が高ま

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混雑したバスや電車

混雑したバスや電車

混雑したバスや電車の中は、当然のごとく人が密集しており、時にトラブルも起こったりもします。 そして混雑した電車ですぐに連想できるのが痴漢というやつです。 突然ですが、あなたは痴漢にあったことがあるでしょうか? 僕はあります。 痴漢ということで、男性が加害者ということになりますが、僕の場合は、痴漢・痴女両方です。触られる程度なら数十回、まあ軽いものなので問題にはしていません。 「は?」という感じでしょうが、何故か僕は高校生くらいの時から、

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冗談ですませられる話

仕事上においては、いわゆるビジネスライクに過ごすこともありますが、対面する形で人と会った時、「あ、この人とは友だちになれる」と思える基準というものが、中学生くらいの時からあります。 それは、冗談ですませられる話を冗談ですませることのできる人かどうかと言うような点です。 世の中には本当に冗談では済ませられないタイプの話があります。特に、一過性では終わらず、その後にも負担が残るような悲惨なタイプのものです。詐欺被害などがその代表例でしょう。

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念力のようなもの

念力というと、いわゆる超能力のようなものを想起してしまうと思いますが、本来「念」とは「今心」なので、今に心を合わせるとか、今に集中するとか、自己観察というような意味を持っています。なので、念力といえば、本来は今への集中力とか、自己観察力というようなものになります。 まあどうして自己観察なのかということになりますが、これは普段慣れ親しんだ自分というものを社会的な客観性をもって見るというものではなく、端的にはヴィパッサナーということになりま

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by bossu

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