カテゴリー別アーカイブ: 第五書

曙光(ニーチェ) 第五書 曙光(ニーチェ)全記事一覧

認識と美

人間たちが依然として行っているように、彼らの尊敬と幸福感とを、想像の仕事と偽装の仕事とのためにいわば取って置くなら、想像と偽装とが対立する場合、彼らが冷淡と不快を覚えても驚く必要はない。 曙光 550 序 どんな業種にも共通して言えることですが、概ね抽象的な本質を掴んだものだけが勝っていきます。 おそらくこのあたりのズレが、ぽっと出の居酒屋なんかをすぐに廃業に追い込んだりしているのでしょう。 特にそれほど好きではないのですが、スティーブ・ジョブズなんかはその本質を捉えることに関しては天才的だったと思います(といって

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「自己逃避。」

バイロンあるいはアルフレッド・ドゥ・ミュッセのように、自分自身に対して短気であり、陰鬱であり彼らの行なうすべての店で逸走する馬に似ていて、そればかりでなく、自分自身の創作から、短い血管をほとんど破裂させそうな喜びと情熱だけを獲得し、その後でそれだけ一層冬のような寂莫と悲観とを獲得するような、あの知的な痙攣の人間たち、― 彼らはどのようにして自己の内面で我慢できようか!彼らは「自分の外」のものに同化することを渇望する。 曙光 549 前半 今回も例のごとく 「バイロンあるいはアルフレッド・ドゥ・ミュッセのように」 と

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力に対する勝利

これまで「超人的な精神」として、「天才」として尊敬されて来たものすべてを考慮するなら、大体において人類の知性はどうしても極めて低劣で悲惨なものであったに違いない、という悲しい結論にわれわれは到達する。立ち所にかなり人類を越え出ているという感じをもつためには、これまでほんの僅かの精神しか必要でなかった! 曙光 548 序 人を欺くつもりで演じるのではなく、本人も行ききっている形で堂々と物事を説く人がいた場合、その雰囲気に周りが感化されてしまうということが昔からよく起こっているようです。 ご本人が自己洗脳状態にあって、

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精神の暴君たち

小さな個々の問題や実験は軽蔑すべきものと思われた。人々は一番の近道を望んだ。世界のすべてのものは人間によって整えられているというように思われたので、事物の認識可能性もやはり人間的な時間の単位によって整えられていると人々は信じた。一切を一挙に、一言で解決すること。― これが密かな切望であった。 曙光 547 中腹 宗教的なものは代表例として当然ですが、一種の経済的民間信仰のようなものも、人を盲目にしていきます。 自由な状況で自由に思考するよりも、わかりやすい「神」などを設定したほうが、全てを一気に解決できるというよう

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奴隷と理想主義者

奴隷と理想主義者ということで、いかにも奴隷で理想主義者っぽく映る人々について書いていきましょう。 日本でも2017年時点で戦後70年ちょっとくらいですが、終戦直後は焼け野原、その頃は今とは随分違った「普通」があったはずです、その後高度経済成長期などを経て、何故か日本のスタンダードのようなものが確立しているかのような風潮があります。 歴史としても半世紀くらいで、しかも状況は様変わりしているはずなのになぜか人生観だけは固定化されているような変な風潮です。 20歳位の時、つまり活字中毒の時に、よくこんなことを考えていて、

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しかしわれわれは諸君を信用しない

諸君は人間通であることを示したがる。しかしわれわれは諸君の誤りを見落とさないであろう!諸君は、諸君がそうである以上に、経験が豊かで、深く、興奮し、完全であるように見せかけるということを、われわれは気がついていないだろうか? 曙光 545 前半 「わざわいだ!偽善の律法学者パリサイ人よ!あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする」 ということで、「完全であるように見せかける」についてでも書いていきましょう。 マタイ23章ですが、すごく面白いですよね。 現代社会でも「ギクッ」となる人は結構いそうな

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現今の人々の哲学研究法

現今哲学的に考えるわれわれの青年たちや、女性たちや、芸術家たちは、ギリシア人が哲学から受け取ったのと正反対のものを要求するということに、私は十分気がついている。 曙光 544 序 現今(げんこん)の人々の哲学研究法ということで、活字中毒期の個人的な哲学的思索、哲学研究について触れていきましょう。 普通、哲学研究というと過去の哲学者が提唱した概念を学び、知り、それを踏まえて展開していくという風に想像されるところかもしれませんが、哲学の研究法は基本的には、日常、疑いをかけないことに対して疑問を抱くことから始まります。

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情熱を真理の論拠にするな!

この場合は、情熱=パッション(passion)ということで、殉教としての情熱という感じでしょうか。 世の中には「押しが強い人」がいます。その内容が理不尽であっても押しの強さでやってきたというタイプの人です。 たまに政治家でもそのタイプの人がいますね。というより、そういう人たちはそうした気質を利用されつつ、ほとんど傀儡ですから、それはさておきましょう。 新興宗教にハマった人というのは概して押しが強いものです。 「迷っている人々を救うことで自分の徳が上がる」みたいなことを本気で思っていますから困りものです。 そうした人

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哲学者と老齢

夕暮れをして昼間を判決させるのは懸命でない。なぜならそのとき疲労が力や成功や、善い意志などの判事になることが、あまりにもしばしばだからである。そこで全く同様に、老齢とそれの人生の判断とを顧慮する最高の慎重な態度が必要であるだろう。 曙光 542 序文 哲学者と老齢ということで、老いていくに従って訪れる頭の回転の低下を少しばかり実感しています。 我が事を思い返してみても既に頭の回転が低下しています。全盛期は23歳から25歳くらいだったでしょうか。 ただ、回転速度自体は下がっても、「効率の良い回し方」を習得しているので

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どのようにして化石になるか

宝石のように、ゆっくり、ゆっくり硬くなる― そして最後に静かに、永遠の喜びに横たわったままである。 曙光 541 化石や宝石ということで、いままでに見た宝石の中で印象に残っているのは、20代はじめくらいに宝石屋に勤めている友人に優良顧客用展示会の招待状をもらい、会場で見せてもらったバカでかいアレキサンドライトです。光の質によって色が変化する石ですね。 天然モノだったので、価格はフェラーリくらいでした。 益富地学会館 まあそこまでいかなくても、京都で面白い石を見に行くのであれば、御所の近くに益富地学会館というところが

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習得

習得ということで、学力や習い事についてでも書いていきましょう。先日「われわれ初心者!」の中でも学力について少し触れていましたね。 僕には各分野特に師匠的な人はいませんが、学力をつけたり物事を習得していく場合には、「良い先生」に出会えるかどうかが結構なキーポイントだと思っています。 小さい時にピアノを習っていましたが、特に上手く弾けるわけではありません。今思うと、先生を変えれば良かったのかなぁなんて思っています。 ピアノの先生と幼き日の弱さ まあでもそのピアノの先生のおかげで、先生によって上手にも下手くそにでもなると

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諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか?

諸君はあらゆる認識の洞窟の中で、諸君自身の幽霊を、諸君に対して真理が変装した蜘蛛の巣として再発見することを恐れてはいないか?諸君がそのように無思慮に共演したいと思うのは、恐ろしい喜劇ではないのか?― 曙光 539 文末 同じような内容のことを先程書いたので、「諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか?」についてはどうしましょう。 … お金が欲しい人は、お金がもたらす安心感や新しい経験が欲しいと思っているだけで、お金そのものが欲しいわけではありません。 同じように、彼女が欲しいと思っている人は、もしかするとただ

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天才の道徳的な狂気

世の中でなされる悪の四分の三は、恐怖感から起こる。そして恐怖感は、何よりもまず生理学的な現象である! 曙光 538 末 天才の道徳的な狂気ということで、世の中の様々な活動を見てみると、とりわけ歴史なんかを読み込んでいくと、「この人たちは、結局何がしたかったんだろう?」と思うような出来事がたくさんあります。 後世に天才と評価されるからには、何か大した事を成し遂げたというような感じにはなりますが、その内容をよくよく見てみると狂気じみていることがよくあります。 なんだか志が高いということで、美徳のように捉えられているよう

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老練

実行に当って、摑み損ねもなく、躊躇もなくなるときが老練に達するときである。 曙光 537 老練ということで、何事もプロの領域に達すると、迷いもなくものすごい判断の速さと実行をもって素早くこなしてしまうようになります。 以前何処かで書いたと思いますが、仕事をしているようでも結構な空回り時間があり、あれこれ判断を決め兼ねているとドンドン進みは遅くなっていきます。 ⇒(仕事を倍速でしてみよう「われわれのどこが最も精巧であるか」、「粗雑な知性は何に役立つか」) おそらく一般的な職場でも、できる人とできない人とのスピードの差

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拇指じめ

拇指(おやゆび)じめということのようです。 うーん。 と考えましたが、ひとまずIQOS(アイコス)という電子タバコを吸っている人に対する変な印象についての答えが先日わかりましたので書いておきます。 「拇指しゃぶりに見える」 という違和感です。 スーツを着た大の大人が、拇指をしゃぶっているように見えてくるのです。 さあアイコスを吸っている人を発見したら次のようにイメージしてみましょう。 「ぼく、三歳」 … さて、拇指じめです。 拇指を拘束するだけで、結構な拘束力になります。 テロリストなどは、面倒だと思えば結束バンド

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真理は力を必要とする

たとえ口の上手な啓蒙主義者がいかにその反対を言うことに慣れていようとも、― 真理はそれ自体では断じて力ではない!― 真理はむしろ力を自分の味方に引き付けるか、あるいは力の味方になるか、でなければならない。 曙光 535 前半 社会を見渡してみると「力を手に入れなければならない」というような印象が多いですが、力は手に入れるものではありません。 同時に力だけでなく一切の現象は「手に入れる」という属性のものではないのです。 体育会系や義務教育の延長では、「努力した末に手に入れる」という構造が好きですが、こうした構造は、ア

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僅かな服用量

自然界の中では、すごく危険な植物をはじめ、ちょっとの量でえらい目にあうような物質が意外とたくさんあります。 触っただけでもダメというものもありつつ、でもたいていのものは大丈夫なので普段はあまり気にしていませんが、ある植物の葉っぱでおしりを拭いて、その激痛に耐えかねて自殺したと言うケースもあるほど危ない植物もいるくらいですから、むやみに自然界のものに手出しするのは危なかったりします。 虫刺されでもすごく強烈な毒を持っている虫もいますから侮れません。ブトでもあのサイズであの腫れ具合ですからね。 必要量や摂取量 まあそん

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われわれ初心者!

俳優が他の俳優の演技を見るとき、彼は何と一切のものを推測したり見て取ったりしていることだろう! 中略 他方画家が、彼の前で動いている人間をどんなに別様に見ることであろう! 曙光 533 抜粋 合気道の袴は、相手に膝の動きをさとられないためにブカブカであると聞いたことがあります。 一方、画家はピカソ等々平面空間を抽象的に統合して捉えたりしています。 さて、「われわれ初心者!」です。初心者ということで「初心者と学力」あたりから進めていきましょう。 誰しも初めてやることに関しては初心者であり、そうした時は「何がわからない

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「愛は平等にする。」

愛は、それが一身を捧げる相手から、よそよそしさの感情をすべてなくそうとする。したがって愛は偽装と擬態とで満ち満ちている。愛は絶えず欺き、実際には存在しない平等のお芝居をする。 曙光 532 前半 平等ということなので、絶対的なモノの見方と相対的なモノの見方についてでも書いていきます。 平等が語られる時は、だいたい社会目線です。経済学の永遠のテーマとされる、ピザを均等割りするのか、体格に合わせて分けるのかといった分配なんかも社会的です。 ほとんどの場合、「平等」という言葉は、弱者側からの説得材料として使われる程度で、

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芸術を別様に感じとる

人々が孤独でありながら交際し、吸収しながら吸収され、深く実り豊かな思想を持ちながらも辛うじてその思想を抱くだけで生きる時代となって以来、人々は芸術からもはや決して何も望まないか、あるいは以前とは全く違ったものを望むかである。 曙光 531 前半 そう言えば先日、今 敏さんが出演されている番組の動画を見ました。20代前半の頃に「妄想代理人」を観てからというもの、一気にハマり、全作品を観ました。既に故人ですが、大好きなアニメ映画監督です。パプリカや東京ゴッドファーザーズもいいですね。 今敏さんも、そして僕の周りの全ての

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思索家の廻り道

多くの思索家にあっては、その思索全体の歩みは、厳しく、仮借(かしゃく)なく、大胆であり、それどころか、時々自分に対して残酷である。しかし細部にわたると、彼らは穏やかでありしなやかである。 曙光 530 アイツこと自我は、危険回避を中心に汎用性の高い法則を好みます。 そういうわけで、若いときから様々な物事に対して「どうやったらいいんだろう?」という疑問がわくたび、「バッチリな答えはないかなぁ」なんてなことを思い、思索を繰り返してきたのではないでしょうか。 一人で思索することもあれば、誰かに相談して知恵を借りようという

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人間と国民は何によって光沢[ツヤ]が出るか

われわれがそれを行う前に、誤解されることを見抜いたり邪推したりするために、どんなに多くの純粋に個人的な行為が中止されることであろう! 曙光 529 前半 まれに、自分で「交渉上手だ」と思っていながらも、結局損をしている人がいます。 確かに「厚かましいお願い」でも、プラス10%くらいのオマケなら、ゴリ押しで何とかなります。 でも短期的には得をしても長期的に見ると損をしている人が案外多いのです。 「厚かましいお願い」やゴリ押しで、その場は得しているように見えますが、結局大きなものを失うという感じになっていきます。 とい

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めったにない節制

他人を判定しようとせず、他人について考えることを拒むのは、しばしば人間性の少なからぬしるしである。 曙光 528 めったにない節制ということで、浪費家についてでも書いていきます。 節制は、浪費の対極にあるものであり、必要な消費に関して惜しむことはありませんが、必要ではない浪費は一切しないという感じです。必要なものすら出し惜しみするというのは吝嗇、つまり「ケチ」であり、節制とはまた異なった概念になります。 節制家の対極にあるもちろん浪費家であり「お金を貸す人借りる人」で触れているような、すぐにお金を借りてしまう人です

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隠れた人たち

世の中では表舞台に立たずに黒幕に徹している人たちが結構います。 そうすることで、ふとした時の怒りの矛先が自分に向くこともないからです。 意図的に誰かを担ぎ上げているというわけではなく、そうした人を自由に泳がせて、間接的にサポートする形で表舞台に立たせ、いいように使っているという場合もあります。 あえて表には出てこない隠れた人たちは、世の中を動かしつつ「世間からは隠れているため、怒りの矛先が自分たちには向くことはない」という構造をうまく利用しています。 黒幕に徹する理由 企業などの組織でやたらと階層・階級などもが多い

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象徴であることを望まない

大物であれ、という不断の強制によって、彼らは結局事実上儀式張った零に等しい者になる。そしてこれが、象徴であることに自分の義務を見出すあらゆる人たちの常である。 曙光 526 後半 今は亡き大物芸人が「いつまでこのキャラ続けなあかんのやろ」と嘆いていたというのは知る人は知る話です。 世の中ではキャラ付いていたほうが、覚えられやすく得をすると思われていますが、そうした場合世間の短期的な暇つぶしの踏み台とされ、消費されてすぐに終わっていきます。 すぐに小学生やB層にマネをされるようなわかりやすいキャラ付けがなされると、そ

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