磁石に吸い寄せられる鉄片のように魅力なり何なりに弱い側が強い側に引き寄せられるという感じで考えると、商いでもなんでも結構うまくいったりします。
ただ、そうした魅力のようなもの自体は画一的に決まっているわけではなく、ある人にとっては魅力的に映ってもある人にとっては気持ち悪いものとなりうることもあるという感じになっており、また、ある特定の魅力がさも絶対的なものかのように演出して物を買わせたりしようとする人達もいるので、「魅力」というものについてはよくよく検討しなければなりません(魅力と期待・信用と相対基準)。
他の方向で考えた場合、「類は友を呼ぶ」というように、やはり同じような人同士は集まりやすく、タイプが違う人、何かしらのレベルのようなものが違う人たちは、集まりにくく時に排斥されるということもあります。
そうした感じで、自分自身の魅力に様々なものが引き寄せられることを意図してか、自分磨きのようなことをしている人もいますが、磨き方が消費者的であり、何かに煽動されたというだけになっている場合もよくあります。
ある意味での心の状態に沿った現象
まあこうした「引き寄せられる」ということは、一つの方向から見た印象でしかなく、ある意味での心の状態に沿った現象を観ているに過ぎないというのが本当のところです。ここでいう心の状態とは、受け取る働きの方ではなく、顕在的な意識や無意識を含めた意識状態といった感じの意味合いです。
落ち着いて俯瞰して観てみると、モテたいということを意図して、何かしらオシャレを心がけようとしている時は、モテたいと思って何かしら無理をしているというのが本音なので、実際には特にモテたりすることがありません。
モテたいという心の状態、多少なりオシャレにお金をかけて「これでモテるだろう」という期待を持っている状態、に沿った現象が続くだけという感じです(実際に嫌でもモテてしまっている人はモテるのが当たり前であり「モテたい」ということを思いません)。
まあそうしてオシャレを心がけようということ自体はいいですが、そうした動機のもと行動を起こす中で、何かしらの執着や恐怖心、そして何かしらの「くだらなさ」などを見逃すことなく、本質を観ていくと、心の状態は少しずつか一気にかはわかりませんが変化していきます。
そして心持ちの変化に沿って現象も変化していきます。
大体の因果関係はすぐに観える
そんな感じなので、別に具に分析などしなくても、大体の因果関係というものはすぐに観えます。
でもそんなことは、勝手に観えるというだけで、他人を分析してコントロールしようとするような目線で観るようなことではありません。
「他人を分析してコントロールしようとする」ということに執着するということは、「そうしなければ自分はコントロールされてしまう」というような思いを無意識に保持しているということに他なりません。
そして誰かを許せない時、それはあくまで記憶の中で起こっており、今現実に起こっていることではありません。
それを頭でわかっていてもどうにもできない、という場合もあると思いますが、そんな時に本当に許せないのはその他人ではなく、その他人と対峙した時に、自分を守れなかった自分です。
それは幼少期であったり、どうしようもないことだったという場合もありますが「もうそうした形で痛みを感じるのは嫌だと思っている」ということは間違いないでしょう。しかし、それらは現実には今起こっておらず、記憶の中にしかありません。
そうした記憶を上書きしようとして、相手に勝った自分とか、世間で強いものとされている人に勝った自分という記憶を作りたいと意図して行動を起こしている人たちもいます。
しかし、本当に許せないのは、きっと過去の自分を傷つけてしまった過去の自分です。
そんな過去の自分への怒りがあると、現象としては、その時代に即した形で物理的に可能な範囲という感じになりますが、ロクでもないことが起こってしまったりします。
「まだ若かったし、未熟なりに精一杯だったんだから、もういいじゃないか」
そんな感じで、記憶の中の「自分を守れなかった自分」を優しく包み込んであげましょう。
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