情報処理に対するイデオロギーの反映

まあ今に始まったことではありませんが、情報処理に対して、一定以上の利用者が揃った段階でイデオロギーを反映させていくというような風潮がよく垣間見れたりします。

「独占的なシェア率を誇るプラットフォームを作って、それからは…」という一種の加速主義的な感じでしょうか。

10年くらい前からその気配はちらほらありましたが、デバイスの普及によってさらにウォールストリート臭や何かしらのイデオロギーの匂いが漂う感じが顕著になってきたように感じます。

撒き散らして普及後に制度を変える

通信系の産業等々でありがちですが、無茶に見えるような形で消費者に都合の良い状態で撒き散らしておいて、一定以上普及した後は、どかんと自己都合の方に制度を変えるという感じが主流になっています。

一番顕著だったのは、通信無制限だったものが、同一料金で通信容量の上限設定が勝手に加わったみたいなやつでしょうか。

そうしたものは料金系に関する取り決めの一方的な変更ですが、そのようにある程度馴染みができてきて、今更変えるほうが面倒だという感じになってきたタイミングでごそっと制度を変えるという、あまり信用のならない商法が当然のように起こるようになりました。

それは収益に関するものということで実利的なタイプのものですが、近年では一種の情報操作のように、何かしらの意図を伝えるというものではなく「情報のタイプを勝手に篩い分ける」という方法でイデオロギーの反映を行うようになってきたように感じたりもします。

仲間の範囲

シロナガスチ○ポ流ということになりますが、「仲良くしましょう」と友愛を示しつつも、ある地点にまで事が進むと、寝込みを襲うようにごそっと自分たちの都合に合わせて物事を変えてしまうという旧来からの方法です。

地域コミュニティの感覚の強いところでは、「いきなりそんなことをすると生きていけなくなる」ということで考えられないようなことを、根本的に個人主義的、もしくは家族主義的な感覚を持つ文化圏の人達は平気でそれを行うことができる、ということを忘れてはなりません。

「仲間を守る」というのは、全てに共通していますが、「仲間を守るために敵を討つ」ということも共通しています。そしてその仲間の範囲が極めて個人的であったり、血縁者だけということを思っている人としては、当然に仲間の範囲は狭いということになり、「仲間を守るために敵を討つ」ということで、その他の人を大切に思うわけがありません。

というような構造の中、情報を扱い情報を処理して社会に影響を与えることのできる企業としては、ある地点から自分たちの都合に合わせて情報処理のあり方を急に変えるということがありうるということです。

そしてそれは安易な考えでは単に「収益の最大化を意図したものだろう」という事になってしまうものの、どうやらその自己都合というもの自体が信奉するイデオロギーの方になってきているような感じがしています。

「私達は間違っていない」の世界です。

「うまく使って、飲み込まれない」という利用法

まあこうしたものとの付き合い方は単純で「うまく使って、飲み込まれない」というのがちょうど良いでしょう。

僕としてはインターネット等々との付き合いが20年以上になるので、冷めた目で見ているという感じになりますが、経済社会の中で出会う「比較的最近使用しだした人たち」は、その奥にある構造、そしてそれを利用するリスクを見抜けぬままに、「bossuさんも使いましょうよ」ということを勧めてきたりします。

まあリスクについては、プラットフォーム側に情報を閲覧されるというようなことだけがリスクというわけではありません。

例えば以前少し触れていましたが、ある人は、LINEというツールで仕事上のやり取りをした後にトラブルとなり、いざ証拠をという段で「送信済みメッセージを削除する」という機能のおかげで、証拠が消され、賠償等々の交渉が破綻したということがありました。

「意志を伝達する」という機能は同じでも、証拠の保全という面では欠陥があるということになります。

急にシステムや制度を変えてきたり単価を変えてきたり

まあ余談ながらこうしたプラットフォーム系や広告収入系は、急にシステムや制度を変えてきたり単価を変えてきたりしてきます。なので根本としては信用できないようなシロモノであるはずですが、それを見抜けず飲み込まれてしまうと後々狼狽してしまうことになりかねません。

合理化のつもりというよりもヘタレ

あと面白いのが、こうしたプラットフォーム系はたいてい電話問い合わせなどがありません。あったとしてもその企業に直接つながるのではなく、代理店のようなところだったりします。

電話番号を調べて実際に電話してみても、音声案内が流れ「フォームよりお問い合わせください」と言われるのがオチです。

一応表向きは、「全てに対応しているとパンクする」という感じで合理的選択というつもりなのでしょうが、個人的には「情報を扱うときには強気でも、対面するとヘタレ」という人格の表れだと思っています。

アルゴリズムによるリーチの制限

ここでいうリーチとはもちろん「届く範囲」という意味ですが、イデオロギーの反映を感じてしまうのがこのリーチの制限という部分です。

SNSを代表とする「ユーザーがコンテンツを配信する系」において、フォロー等の機能があってもフォロワー数より明らかに少ない数のリーチ数しか無い場合と、逆にフォロワーの数より圧倒的に多いリーチ数を叩き出す場合があります。

それが評価システムによって「急上昇」となっているゆえという場合もありますが、仕組み上は、自然言語解析のアルゴリズムによって、都合の良い投稿は、フォロワー以外にも表示させることでリーチ数を向上させ、逆に都合の悪い投稿は、フォロワーにすら届かせないということを操作することが可能であるということです。

単純に考えればそれが広告利用されるということも考えられますが、それ以外の利用として、一定のイデオロギーに関するものも恣意的に操作できるという可能性を含んでいるということは否めません。

それは、意図的に情報を流すということではなく、ユーザーによってもたらされた情報をどれだけその他一般に届くようにするかという部分が、人工知能等々で操作できるということです。

というようなこともあるので、「何だこのやろう」と利用しないということもひとつですが、「ほう、ということは世間はこのように反応するだろうなぁ」ということで先見の明に役立てることもできるわけです。

「今の時代の流れ」などといっているうちは「独占的なプラットフォームを作って世界の仕組みを変える」という一種の思想に飲まれているという感じになります。

それはそれで、「今の時代の流れ」ということだけを見据えて、飲み込まれないようにうまく使うくらいがちょうど良いという感じになるでしょう。

少なくともそうした仕掛けによって行動がコントロールされないようにだけは気をつけるべきだと思います。

Category:IT &Internet パソコンとか通信とか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ